内側にこもるのが好きな人間

これを驚くくらいずっと、否定をしていた。

それは、イチョウの木として生まれて来たイチョウに、

大多数は、サクラだから、サクラになりなさいと。
がんばって、ピンクの花をつけなさい!と。


まさに鬼の所業をしていたわけで。


内側にこもる人間は、
友達100人出来るかなー
は、歌っちゃダメ。


何年生になっても、友達は100人にはなりづらい。


それくらい生物として違う生き物。


幼い頃の環境がハードだと、
どうしても、自分の個性を捻じ曲げてでも、
別の人間になろうとするこは、あります。


イチョウの葉に色素をつけて、サクラだと言いはらないと生きていけない様な状況になることもあります。


僕は、生き残るために外向的な人間のふりをしていて、

本当に外向的な人間だと思って生きて来ました。


ですが、呪いが解けると、
外向的な人間を求められて、無理やり捻じ曲げて、
長年外向的な人間のふりをしていたことに気づいたのです。


そしたら、これまで生きてきた様々な
当たり前
が、当たり前でないことに気がついて、


自分に拍手を送りたくなりました。


おいおい、それらの行動は全て、
内向的なお前さんがやってたのかい!?

と、自分を抱きしめてやりたい気持ちになりました。


よくやった。
大変だったね。
悪いことをしたね。


って感じです。


内向的な人間は内向的な人間らしく生きればいい。


本当は、

明るくいたくないし、
愛想も良くしたくないし、
一部の人間としか関わりたくないし、
都会より自然だし、
スピードよりも、のんびりだし、
大勢より、少数だし、
めちゃくちゃドライだし、、


と、内向的だからか?

と、いう要素も含みますが、
外向的であることを強要していたからこそ、
自分にやらせていたことってまだまだ沢山あります。


向いてないことをさせる
持ってないものを求める
持っているものを否定する


これ、、、虐待やー!!


自分を自分で虐待して、
無理やり世界に自分を適応させようとしてしていた。
外向的な人間として。


これは、ハッキリ言って、
親の夢を押し付けて、向いてない野球をやらせる
くらい残酷なことです。


内向的な人間の人口が少ないことは事実。
主に外向的な人間が社会を動かし、
外向的な人間がルールを作っているから、
内向的な人間はマイノリティーであることは、事実。

しかし、それでも内向的な人間が
内向的な人間としての生き方をまずは肯定して、
自分の生きやすい道を選ぶことは出来るのです。


どういうわけか、
ずっと、外向的なフリを続けてきてしまった。 
無理してたなーというか、無理させてたなー
って思います。


内向的である

ということを目印にすると、
色々なことが見えてきます。


1番は捨てるべきことがどんどん見えてきます。


内向的なやつなら、やらねーだろ

ってことも見えて来ます。


まずは、一つ一つ、それを断捨離していくことかな。


やっぱね、、、

内向的でいいって、

肯定してみると、、、


やりたいことが見えてくるんだよね。


そして、それは心から、、、


楽しい!!


って思えること。


向いてないことすんな。
向いてることしろ。


これ、内向でも外向でも、考えるべきこと。


イチョウは、イチョウらしく。

サクラは、サクラらしく。