奥さんと、プライドが高いといいことがない。
そんな話をした。


プライドが高くて良かったこと。
考えてみてもやっぱりない。
プラスがないのだ。


威張ったり、
虚勢を張ったり、
競争しすぎたり、
偉そうになったり、
挑戦できなくなったり。

ちょっと考えてもいいことがないことがわかる。

でも、プライドが高くなってしまうのはなんでだろう。

能力が高いとか、低いとか、
関係なくプライドが高くなるという現象が起きる。


それは、根本的に自分には、
価値がないんだ!
と、どこかで、その人が思っているからだ。


ない

ものは、

ある

しなければならない。


例えば、ダムに水がないとしたら、
雨よ降れー!!

と、天に祈りたくなる感覚。

ないものは、あるにしたくなる。

自分には、価値がないのであれば、
価値を補てんしなければならないのだ。


さっきのプライドを高くなると、
起こりがちな現象の多くが、

無理やり盛ってる

感が出ている。


ないから、盛る。

自然な心理



でも、、、


でも、、、


ダムに水はあった!


となれば、村は大騒ぎになる。

あったんやんけー!

と、なるはず。


でも、自分の価値においては、
この現象が、起こってしまうのです。


それは、基本幼い頃に仕込まれた刷り込み。


壮絶な体験がなくても、
子供は素直なので、
ついつい、マイナスの刷り込みもしてしまうもの。


ダムには、水があるし、

自分にも価値がある。


この感覚になれれば、
能力や、実績を超えた本質的な
安心感がその人に訪れます。


反対にいえば、

ダムに水がないし、

自分にも価値がない!

と、思っていれば、
いっつも不安です。

常に足してなければいけなくなる。


これが、

ない

あら、

ある

へ。


これが人の本当の幸福を握っているのだと、
特にこの数年、痛感するようになってしました。



自信には根拠がない方がいい

というのも、

別に〇〇が出来る自信の話ではなく。


〇〇が出来るには、根拠が必要です。
だって、〇〇が出来た経験が必要だから。


でも、

自分には、価値がある。

には、根拠があってはならないのです。


根拠があれば、
その根拠を失った途端に自信を失わないと
いけなくなってしまう。


どんな条件があろうとも、


自分には価値がある。

と、思えた人は強いです。


で、この自分には価値がある。

は、刷り込みなので、
また再インストールする必要があります。


日々の反復練習。


これでしか、刷り込みは完成しません。

大人は、もう素直じゃないですからね。


ダムには、水があるし、

自分には価値がある。


これを呪文のように遊びながら言ってみる。


失敗した時こそ、

情けない時こそ、

下手かよ!

って思った時ほど。


ダムには、水があるし、

自分には価値がある。


を思い出せたなら。


心が少し柔らかくなるはず。