23才のモンスター | ラフラフ日記

ラフラフ日記

主に音楽について書いてます。

浜崎あゆみのライブに行ってきました。

これ、アジアツアーなんですよ。

このタイミングでアジアツアー!

今発表されてる会場は国内のみだけど、これから海外公演も発表されていくのだろうか…ってそりゃそうか、アジアツアーなのだから。

「前回のツアー中断から約1年半。
未だ日々の活動への制限も変動する中、どんな状況においてもエンタテイメントを諦めない気持ちを持ち続け、その時々の最善を尽くし、浜崎あゆみらしいステージを国内外のファンの皆さんと共に創り上げていく。
新たなスタンダードと融合しながら、勇気をもってその先へ。」

(浜崎あゆみ公式ホームページより)

インスタのストーリーであゆはこう綴っていた。

“取り戻すんじゃなくて
今と一緒に生きるんだ
新しい当たり前を創るんだ”


新しい当たり前を創る、か。

当たり前が奪われたのなら、新しい当たり前を創ればいい。

そして知る。当たり前は当たり前でないことを。

というわけで、

 

※ これからライブについて書きますが、ネタバレはほとんどないと思います。ライブの話というより、違う話になってる気もするので。それでも人によってはこれもネタバレと思う人もいると思いますので、ご注意ください。

あゆ以外のアーティストも出てくるので、あゆファン以外にも読んで欲しいです(笑)。





ayumi hamasaki ASIA TOUR 2021-2022 A ~23rd Monster~
2021年10月3日(日) 幕張イベントホール

 

まず、なんと言っても、セットリストが、、、

あゆ、何があったんだー!

と言いたくなるくらい、レア曲を歌った。

これちょっと本気であゆこのアンケート見てくれたのかと思ってしまった。

 

 

結果の詳細 → アンケートの結果と 2021年の夏

 

なんて、実際は、コロナの影響でライブができない日が続いていたときにあゆが過去ライブの副音声をいくつかやった。

 

その中であゆが「ライブで歌ったことない曲もうないよね?」とかドヤりながら(笑)言うもんだから、私は「いやいや、ある!」と突っ込んだんだ。そんな私が突っ込まなくてもスタッフが「ある」と答えて、あゆは「え?」となり、「…じゃあ、次のライブで」みたく小さく(笑)言ってたんだ。

 

そんなこともあったから、アンケートをやったのもあった。新曲もあまり出してないし、今がチャンスじゃないか? もしかしたら、もしかしたらあゆに届いて、この中から 1~2曲くらい歌ってくれるかも知れない、と。

 

そしたら、、、1~2曲どころじゃなかった!(笑)

 

実際はそのスタッフとのやりとりもあって、自分の曲やライブを見直したんじゃないかと思う。

 

けど、ちょっと、ぞくぞくしてしまった。

 

副音声、今は一部しか見られないけど、これ、見たら新鮮かも知れないからちょっと見て欲しい。2分だから。最近はあゆが喋るところなかなか見られないかも知れないし。
(実際、カリスマ的なイメージが強いのでこんなに喋るんだ~と驚き、親近感が湧いたと言われました。また、ステージでのプロフェッショナルとのギャップとも)

 

(「ボーカル、あゆでした!」のこと言われたあゆ、照れてる可愛すぎピュア過ぎ)
 

コロナでライブができなくて時間ができたことで、ずっと走ってきたあゆが自身のヒストリーを見直せたことは大きかったんじゃないか。

 

この選曲も、あゆが『自分の歌いたい曲を歌う』というよりも、あきらかに『歌ったことない曲を歌う』という選択を感じた。

「自分の歌いたい曲を歌う」というある意味ワガママなあゆも大好きだけど、彼女が「自分の歌いたい曲を歌う」というだけではいかないキャリアに突入したんだと思った。ずっとやってるとそういう時が来るんだよ。宮本さんとか見てても。だから面白いよ。長いキャリアのアーティストを追ってると。

 

そして私はそこに何を感じたのかというと、未来を感じた。過去の曲ばかりやって、歌ったことない曲を全部歌っちゃったらどうすんの?なくなっちゃうよ?という感じなのだけど、でも私はそこに未来を感じた。過去の曲でも、ライブで歌ったことないから、ある意味「新曲」でもあった。そして、その過去の曲たちの先に何があるかといったら、未来があるんじゃないか? わからない。私がそう思いたいだけかも知れない。でも、過去の曲ばかりといっても、肝心なところは新曲で今の曲だった。

 

最近のあゆは新曲を出してないわけじゃないけど、それも数曲で、アルバムまではいかない。それは音楽がっていうより、歌詞なのかなぁって思ったりもした。でも、あゆがいま新曲を出していないのは、あゆがこの先も歌手を続けていくためなんだって、なんだかそんなことを思った。

 

(過去の曲でつないでいこうっていうより、そこに嘘がない感じがしたのかな。そして、久しぶりに「もがき」を感じたのかも知れない)

 

 

それと、これもキャリアの話に通じると思うのだけど、ある曲で事前に募集した写真を使った。私はそれを見て、

 

「ああ、もうあゆは自分のためじゃなくて、この人たちのために歌うんだ。もうあゆは主役じゃなくて、この人たちが主役なんだ」

 

と悲しくなってしまったの。こんなことははじめてだと思う。

 

でもそれも、長くやってるとそういう時が来るのかも知れない。さっきと同じ、あゆもそういうキャリアに突入したと。(また、エレカシや宮本さんを思い浮かべながら…)

 

でもそれだってあゆの想いだし、「歌ったことない曲を歌う」というのも意思だし、チャレンジだし、欲でもあるんだよね。

 

だからきっと、あゆがまた主役になる時も来るよね。

 

 

それにしても、あゆを見てると、こんなに体張ってる人いる!?と思ってしまう。

 

いや、みんな体張ってると思うけど、体に跳ね返ってるものがすごいっていうか、批判も賞賛もすべてその体で受け止めてる感じがするというか。「この体とは無関係です」って感じがする歌手もいるのよ。だけど、あゆの場合、批判だろうが賞賛だろうがすべて体に跳ね返ってるというか。とにかくすごいのよ。

 

体の持ってるグルーヴ感というのが。

 

だからもう、ごまかさないっていうか、ごまかせないっていうか。

 

最近、歌の上手さが世間にバレだしてる宮本浩次も、劣化とか言われたりもする浜崎あゆみも大好きな私は、引き裂かれるような気持ちになることもあるんです。一体、私は何なんだ!?と。

 

でも、宮本浩次歌上手い!とかいう声を聞く度、そんな風に私はドヤりたいわけじゃなかった、宮本浩次の歌はそんなんじゃないと反抗する自分もいるんです。

 

あゆの声が出てるとか出てないとか歌の調子がどうとか、(良い意味でも悪い意味でも)おいそれとは言えない自分がいて。それは宮本浩次に対してもそうかも知れない。他の歌手なら言える気がするのに。

 

ああ、浜崎あゆみの歌声って、自分の心の奥深くの、とてもセンシティブな部分に存在しているんだ。

 

歌の上手い歌手はたくさんいる。けれど、そこに触れてくる歌手はなかなかいないし、浜崎あゆみには他の歌手にはなかなかない「歌との関係」みたいなものがある。

そのくせ「不良娘」だから、歌と自分の関係をわかってるくせに、ときどき背を向けるふりをしたりする。そんなところもいじらしく愛おしく…。

 

歌が上手い歌手はいる。けれど、もし思うように歌えなくなってしまったら? それでも歌う勇気はあるか? もちろん、辞める勇気というのもある。

けれど、歌い続ける勇気(あるいは…)を称えたい自分がいる。

 

歌で圧倒していた時代があった人にこそ、その傷や痛みがある。

歌の上手い新しい人が眩しすぎる時もある。

それをわかった上で私は、宮本浩次の歌が(そしてもちろん浜崎あゆみの歌が)好きなのだ。

 

昔スガシカオが言ってた。欠損がないのは、もう音楽じゃないって。

(全文はこちらで読めます。宮本浩次が耳の病気を発表したときの日記です。忘れもしない、そのときの日付が… → 夢から醒めた日が新たな誕生日 )

 

つまり、宮本浩次の歌声にも欠損があるはずなんだ。

 

そして、浜崎あゆみにも。

 

そしてだからこそ、決して今がそうじゃないというわけではないけど、あゆにも歌で圧倒する時代また来るから!

 

 

ある曲のとき、MV をバックに映しながら、同じダンスをしたあゆ良かったなぁ。

 

当時のあゆと、浜崎あゆみ 43歳 って感じで。

 

まさにリアルミー。(バレバレですみません)

 

オープニング面白い!笑った!

 

音楽のジャンル的にもバラエティに富んでるんですが(これ本当すごい)、やっぱり、あゆにはロックが合ってるなぁ~って思うところあった。声にもね。いややっぱ、あゆロック好きでしょ?

 

 

さっきしれっと「不良娘」と書きましたが、最近あゆが何かで自分のことそう書いてた気がするんですよ。それもあって、そうだよなぁ、あゆは「不良娘」で、私はそんなあゆを好きになったんだよなぁって。

 

それなのに、不良娘になに優等生求めちゃってんの!!

 

みたいなね。

 

 

一座のこととかダンサーのこととかいろいろ言うファンがいるんです。

 

だけど、思うのはそれ、一座やダンサーの問題じゃなくて、あゆの問題じゃない?

 

特に最近のあゆには大きな変化がある。ライブでバンドがいなかったり、なかなか新曲を出さなかったり、出産したり。

 

出産のことはプライベートだから抜きにしても、ライブでバンドがいないことについて何も語ってなかったり、どうして新曲をなかなか出さないのか語ってなかったり、そういうところだと思うんですよ。(大きな変化があるにも関わらず)あゆが何も言ってくれないから、ファンが置いてけぼりのような気持ちになってしまう。

 

宮本さんみたいに、雑誌にたくさん出て、インタビューとかで語ってくれれば、「これこれこうでバンドがいないんです」とか「これこれこうで今は新曲あまり出せない」とか、すべては言えなくても語ってくれれば、ファンも落ち着くみたいなところあると思うんですよ。

 

だから、それがない限り、ダンサーが 30人だろうが 5人だろうが、同じだと思うんです。

 

だからこれは、あゆの問題だと思うんです。

 

そこから目を反らして、一座やダンサーや他の問題にしてしまっては、何かを見誤る。

 

あゆ本人にだって明快な答えなんてないかも知れないよね。あゆにばかり答えを求めないで、自分に求めてみても良いかも知れない。

 

で、私はそれを、今はそういう時期なんだって思ってます。

 

いつか話してくれる時がくる。

 

そうじゃなくても、

 

いつかわかる時がくる。

 

そう思ってます。

 

 

下記のライブ記事、セットリストは書いてないです。

  

 

 

 

SNS などで強烈な言葉であゆへの不満を語る言葉を見ると、強烈ゆえにそれが大多数の意見のように見えてしまうし、「私も浜崎あゆみに不満を持たなければいけない。そうでなければファンとは言えない」なんて気持ちになってしまうかも知れないけれど、そんなことはない。