2020年6月12日(金)
宮本浩次バースデイコンサート at 作業場
「宮本、独歩。」 ひきがたり
凄かった。
次元が違った。
というバカみたいな言葉しか出てこないのだが、まったく新しい体験をしたような気分。
タイトル通り、宮本浩次が普段使っている「作業場」からそれは生配信され、歌が素晴らしかったのはもちろんなのだが、何台も設置されたカメラ(「カメラの数じつに25台!!」宮本浩次インスタグラムより)がいろんなアングルから宮本浩次を映し出し、宮本浩次は作業場の中に本当に一人きりで、宮本以外は誰も何も語らない無人の中を、楽器や機材や調度品がある中を動き回りながら歌う、弾く、その様が、その光景が、今まで観たことない!!って思った。
宮本が使っている「作業場」ということで、ここで曲が生まれている・・・その源泉、生まれる瞬間に立ち会えたような感覚だったのだろうか。
その「作業場」がまた、外界をシャットアウトするように閉じられている。でも、だからこそなのか、この「作業場」も東京のどこかに存在しているんだというのが伝わってきて、同じ空の下つながってるんだと思えたというか。
宮本浩次も、これを観ているそれぞれの一人一人も、私も、作業場だったり部屋だったり画面だったりに閉じ込められていて、でもだからこそ爆発していた。
不自由だからこそ自由が爆発していたというか。
360度カメラに囲まれて、部屋に閉じ込められて、観客も誰もいない、もちろん反応もない、けれど自分は 360度見られている。言ってみれば、抑圧された不自由な空間。
宮本浩次を抑え付けたら危険なんだって!!
自由が爆発していた。
ピンチはチャンスだなんて簡単に言うけれど、本当なのかも知れない。
今ライブができなくて抑圧されて不自由なわけだけど、ある意味では、一人きりの作業場で自由にできる?
観る方も観る方でいろんなもどかしさがあるけど、ある意味では自由?
ピンチはチャンス!?
ライブができないから配信でライブを・・・っていうんじゃなくて(私もそう思ってた)、まったく新しいエンターテインメントの形を見せられたようでもあります。
そもそも無観客の配信ライブというものを数回しか観たことがないのだけど、そのときに感じた「ゆるさ」というものが全くなかった。
偶然か必然か、前回私は「ライブ」とは何かという記事を書いていた。
そこで宮崎裕介氏の記事をとりあげたが、続いて宮崎氏は LIVE2.0 の考察という記事を書いていた。(そこには「生のLIVEに参加することを前提としたものが多数」とあり考えさせられたが、「色んなアングル」ってところでどきっとした!)
しかし私はここで、宮本浩次にまったく新しいエンターテインメントの形を見せられた。まさか宮本浩次に見せられるとは…予想してた?
いや、それは新しい形とかじゃなくて、ライブとは何かを突き付けるものだったのかも知れない。
アルバム『宮本、独歩。』をどうやって届けるか。
私はライブがなかなかできない状況ばかりにとらわれて、そんな大事なテーマを忘れていなかったか?
こういう状況でどういう方法で…というのも大事だけど、こうなる前からずっとあったテーマ、「アルバム『宮本、独歩。』をどうやって届けるか」が軸にあって、私は…
宮本の手にかかると、ウィーンと動くカメラや椅子やテーブル、茶碗でさえも生き生きとして見えてくるのが不思議だ。あるいは、細部にまで生命を宿しているのか。
私は宮本浩次のエンターテイナーぶりに驚いた。
そしてそれが『宮本、独歩。』が伝えていたことだったのかもと。
エレファントカシマシはロックだけど、とてつもないエンターテイナーだよ宮本浩次は!
そのとてつもないエンターテイナーがロックバンドをやるんだよ! やばくない?この両輪!
「なんでこの人はさいたまスーパーアリーナとかと同じ、いや下手したらそれ以上のテンションで、無観客ひとりライブをやれるのか。モンスター」とは兵庫慎司氏のツイート。
宮本のギターは力強くてかっこいい。こんなにも力強くてかっこいいギターを弾くなんてなぁ。なんであんなギターが弾けるんだろうなぁ。
この日の「エヴリバディ!」は特別な響きを持っていたなぁ。
「まぁなんでもいいから感想を聞かせてくれ。何でも言ってもらっていいよ。聞こえないけどどうせ」
「みんないい顔してるぜ!全く見えないけど」(←いつものライブでは「よく見えないけど」)
という名言も飛び出した!!(宮本ってやっぱ天才なんじゃ…)
宮本さん、誕生日おめでとうございます!!