浜崎あゆみとエイベックス・サウンド | ラフラフ日記

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主に音楽について書いてます。

「マッチョになった」
「陰性から陽性へ」
「ポップ・アイコンとしての仮面」
「組織と闘ってやれ」
「人間として生きてやれ」

なんて大それたことを語ってきたけど、そういうことよりも何よりも、『A BEST』(2001年)以降の浜崎あゆみにとって重要なのは、

脱エイベックス・サウンド

だったのではないかと思えてきた。

というのも、大森靖子があゆの宇多田カバー(2014年)を「エイベックス・サウンドでやってる!」と絶賛するのを聞いて、やっぱりそうなのかな?と思ったから。大森靖子に限らず、あゆの宇多田カバーを「あのころのあゆだ!」「エイベックス・サウンドだ!」と言ってる人を結構見かけて、でも私は、

いや、あれはレッドワン・プロデュースなんだけどなぁ

と、腑に落ちないでいた。みんな、浜崎あゆみってだけでエイベックス・サウンドって決めつけてない?

でも私は、『A ONE』(2015年)を聴いたとき、「エイベックス・サウンドへの回帰」を感じたのだった、そういえば。
正確に言うと、回帰ではなくて、「あゆがはじめてエイベックス・サウンドと向き合ったのではないか」と感じたのだ。

そこで、「私の大好きなエイベックス・サウンドでやってるんですよ!」と力説する靖子ちゃんを見て、ハッとした。


『A BEST』以降、浜崎あゆみの何が大きく変わったって、

生音が増えた

ということだと思う。それは、

打ち込みが減った

ということでもある。

ちなみに、ライブはバンドによる生演奏なので、ここでは CD の話をする。

そして私は、どこで浜崎あゆみが変わったのかがわかった!!

2004年に発売された 6枚目のアルバム『MY STORY』の 2曲目、1曲目はプロローグのような曲なので実質アルバムの幕開けと言っていい、「About You」のイントロ。



このドラム!
このドラムが鳴り響く瞬間こそ、「ここから浜崎あゆみは変わりますから!」という合図だったのだ。
『MY STORY』を分岐点とする人が多いのもそのためだ。(と、今回は言い切る)

ちゃーんと “音” にすべてが出てるじゃないか!
みんなもっと “音楽” を聴こうよ! なんてな!

生音と打ち込み、バンド・サウンドと打ち込み、何が違うって、やっぱりドラムだと思う。

浜崎あゆみはこれ以降、生音が増えていく。

「About You」のドラムは玉田豊夢(100s)で、浜崎あゆみの多くの曲でドラムを叩いており(最近は叩いてないけど、2013年の『LOVE again』までは叩いてる)、「alterna」のドラムなど、私は大好きだ。


そして 2016年の今、15周年盤が出たのをキッカケに『A BEST』のクレジットを改めて見てみると、ほぼ打ち込みであることに私は驚いてしまった。

このころ、あゆはほとんど打ち込みだったんだなぁ

2004年の『MY STORY』って、2001年の『A BEST』から結構時間かかってんじゃんと言われてしまうかもだが、やはり時間がかかったのだろう。

『A BEST』発売時期のインタビューで、あゆはこう言っていた。

「あんまりあゆ的な、歌謡曲というか、ポップス? ザ・エイベックス!みたいなものを壊しちゃいけないんだって。壊せない? その勇気もなかったし」

「それでもし、『ああ違うな、あゆはもっとこうデジデジしてくれなきゃ』とか(中略)シャカシャカいっててくんなきゃっていう子たちがいなくなっても、それをたぶん振り向かせる事に、自分は生きる喜びを見るんじゃないかなっていう」

(『ロッキング・オン・ジャパン 2001年4月号』より)


こんなにわかりやすくあゆ本人が言ってるじゃないか!

つまりあゆは、『A BEST』以降、エイベックス・サウンドを脱しようとした。

それが、「人間として生きてやれ」という意志とともに、より「生音」を求めていったのかなと思うと、考えさせられるものがある。打ち込みよりもバンド・サウンド、デジタルよりもアナログ、商品ではなく人間・・・。

「マッチョになった」だの「孤独を歌わなくなった」だのなんだの、もっともらしい理由を付けてあゆから離れた人も、ただ単に「サウンドが変わったから」というだけのことだったのかも知れない。

そして私は、脱エイベックス・サウンド以降、あるいはその過程であゆを好きになったことになる。


そして 2015年、『A ONE』を聴いて、私が思い浮かべたのが「エイベックス・サウンド」だった。

そういえば、ここ最近、「打ち込み」が増えている。
(2014年の『Colours』が決定的だったかも知れないが、あれは EDM というトピックがあった。でも、ひょっとしたら EDM ブームが浜崎あゆみに火をつけたのかも知れない。「ワタシが何年も前から先にやってるんじゃあ!」って)

困ったのは、それを私が「とても良い」と思ってしまっていることだ!

そして、宇多田カバーがエイベックス・サウンドとして評価され(もちろん打ち込み)、『A ONE』も好評みたいだ。

これは困った!
脱エイベックス・サウンド、打ち込みより生音で、バンド・サウンド~ロックに向かっていった浜崎あゆみに惹かれて好きになったのに、これでは、「あゆにロックは合っていなかった」「浜崎あゆみはやっぱりエイベックス・サウンド、生音より打ち込みの方が合っている」ということになってしまう。

けれどやはり、宇多田カバーのかっこよさ、『A ONE』に漲る歌の力に目を背けることはできないし、してはいけない。
(TSUTAYA で見かけたポップには「揺るぎない感動を届ける渾身の歌」って書いてあったんだよ!)

たぶん、あゆファンで私と同じように、浜崎あゆみに対して「打ち込みより生音の方が聴きたい!」と思っている人もいると思う。けれど、そういう人も、浜崎あゆみが「エイベックス・サウンド(あるいは打ち込み)」に回帰したからこそ、この輝きを放っていることを無視してはいけない。

「歌に回帰した」とか「昔のあゆに戻った」とかそういうことよりも、「エイベックス・サウンドへの回帰」に見落とせない鍵がある気がする。(と同時に、バカにされがちなエイベックス・サウンド、ほんとはみんな大好きなんじゃんと思ったり・・・)

といっても、やっぱりこれは「回帰」じゃなくて、「あゆがはじめてエイベックス・サウンドに向き合った」んじゃないかなぁって思うのよ。

大体、「エイベックス・サウンド」って何だろうって、私もわかってないのだけど、あのときあゆが脱しようとした、シャカシャカした、デジデジした、「ザ・エイベックス!」なるもの……あゆがずっと避けてきたものと、あゆ自身向き合ったんじゃないかなぁって。

打ち込みが増えたことも、小室哲哉も。
あゆがはじめて自身のルーツ(というかなんというか)に向き合ったとも言えるのかも知れない。

そう考えると、今『A BEST』の 15周年盤を出せたこともわかる気がする。というか、つながってくる。


では、やっぱり、浜崎あゆみは打ち込みの方が合っていたのか。

そんなことをぼんやり考えながらの一ヶ月前。

3月25日の『Mステ』で歌った、「A Song for ××」。

あなたは見てくれただろうか。

思いっきりバンドだった。

笑ってしまうくらいにバンドだった。

私もね、少し思ってしまったんだよ。

15周年盤も発売されたことだし、『A BEST』に収録されているような「A Song for ××」が聴けるんじゃないかって。

そしたらさ、昨年のライブで歌ったときのような「A Song for ××」だったんだよ。私がよ~~~く知ってる「A Song for ××」だったんだよ。

私、打ちのめされちゃったね。

過去の再現じゃない。

「A Song for ××」は、あゆの中で今も生きている。鮮明に。


よく考えれば、いや、考えなくても、『A ONE』は、「エイベックス・サウンド」だけでは作れない。

しかし、それがまた、「エイベックス・サウンド」を更新したのだ。


「打ち込みより生音」とか言う前に、その “音” に耳をすませ!!