「どうして女の子がロックをしてはいけないの?」 | ラフラフ日記

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マジックミラー/さっちゃんのセクシーカレー(CD+DVD)/大森靖子


大森靖子の 2nd 両A面シングル。

帯に書いてあった。

「あたしの有名は 君の孤独のためにだけ光るよ 大森靖子」

これは歌詞の一節で、一番では「有名」のところが「ゆめ」になっている。

もうこれだけで叫びたくなってしまうけれど、私は別の言葉に息を呑んでしまった。

「どうして女の子がロックをしてはいけないの?」

私にとって、女の人がロックをする険しさを誰よりも体現しているのが浜崎あゆみだったから。

靖子ちゃんはどうしてそれを知っているの?


女の人でロックをしている人なんてたくさんいる。
いけないなんて誰も言っていない。
いつだって好きなようにロックすれば良いじゃないか。


ある人はそう言うかも知れない。けど、残念ながら私にはなかなかそう思えない。
それはもしかしたら、「今ここ日本において」という注釈が必要かも知れないけれど。

浜崎あゆみが抱えてきた、あるいは抱えている困難であり逆境は、彼女が「女」でなければなかったことかも知れなかったり。でも逆に、彼女が「女」であるからこそ、得た人気や支持があって。
(背負う覚悟の分だけ可能性を手にしてる?)

この前書いた「今、浜崎あゆみに言いたいこと」で、プライベートと仕事の部分がどうしても最後までうまく書けなかった。どう書いたら良いかわからなかった。今もわからない。プライベートと仕事を分ける、または両立って何だろう。プライベートと仕事って何だろう。

これはもう、音楽のジャンルの話ではないかも知れない。

「ロック」なら、チャットモンチーとかねごととか SHISHAMO とか Drop's とかの方がふさわしいのだろう。

そんなことなら百も承知だよ。

浜崎あゆみが「ロック」ではなく「デジタルロック」だなんて言われてることも、とっくのとうに知っているし、それもわかっている。


大げさかも知れない。当たり前すぎてマヌケに聞こえるかも知れない。
けど、こんな曲に出会っちゃったら、もう言うしかない。

ここで言う「ロック」とは、「生きていく」ということなのではないか。

つまり、浜崎あゆみの音楽とは、「生きていく」ということをただひたすら歌っている音楽なのではないか。

ある方がブログで、あゆの音楽が教えてくれた事は「生きていく」事だと書かれていた。
至言だと思った。
その方もそこで引用していた歌詞を、私も今ここに書き記したい。

“lalalalala lala lalalalalai こんな毎日だよ
 だけど胸張って uh 生きてるよ”
(浜崎あゆみ「Walk」 2014年)


https://youtu.be/X5sBRjlAHAc

そしてもう一つ、私はこの人のこんな言葉を思い出していた。

「“ただ生きて行く”。
全宇宙に向かって俺は当たり前の結論だけを繰り返すだろう。ただ生きる。生まれたからには生きる。マヌケな程当たり前のこの結論は俺をふるわせる。」
(宮本浩次『東京の空』)


ああ、だから私は、あゆが好きなんだ。
ただ生きて行く。
そのことに心ふるわせられる人。

さてさて、先日あゆが宣言した TAツアーの会場、第一弾が発表されましたよ!

http://avex.jp/ayu/news/detail.php?id=1024164

ロックなら浜崎あゆみよりチャットモンチー、
浜崎あゆみはロックではなくデジタルロック、
甘んじて受け入れましょう。

けど、今度の TAツアーは、ライブハウスです!!


ああああああ、こうしてやっぱり今回も、大森靖子のことを書こうと思っても、浜崎あゆみのことばかり書いてしまったよ。

大森靖子=浜崎あゆみなんてことを私は言いたいわけじゃない。

浜崎あゆみには決して歌えないことを、大森靖子は歌っている。確実に。

ねぇ、靖子ちゃん、あなたは一体何者なの!?

私はまだ何もわかっていないよ。

「どうして女の子がロックをしてはいけないの?」とあなたが歌うとき、
あなたは「ロックする女の子」なのか「ロックする女の子を見ている女の子」なのか。

でもきっと、これからなんだね。

「あたしの有名は 君の孤独のためにだけ光るよ」

この言葉をあなたが歌ったとき、今までのあなたの歌声にはなかった<声>を確かに聴いた気がしたよ。

はじめまして靖子ちゃん。




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