優しい歌を君にあげるよ | ラフラフ日記

ラフラフ日記

主に音楽について書いてます。

終わってしまった。

昨日、浜崎あゆみの Rock'n'Roll Circus ツアー@代々木第一体育館に行ってきた。

再追加公演である、10月の 7days(!!)もあるけれど、今回のツアーはこれにて一区切り。

これで、楽しみにしていた「エレカシ野音」と「あゆのろけろツアーファイナル」という二大巨頭が終わってしまった。

正直、寂しくないと言ったら嘘になる。

ぽかーん。
抜け殻状態って、こういうことを言うのだろうか。

それなのに、エレカシさんは夏フェス、あゆさんは a-nation へと続いていくのだから本当にすごい。更に、新曲だってあるという。

私は、今年は夏フェスにも a-nation にも行く予定はないから、ひとまずこれにて本当に一区切り。

正直、寂しいけれど、清々しい気持ちも感じている。

完全燃焼!!

できたのかな?

「始まりがあるものには終わりがある」

あゆもそう歌っている。
けれど、それは悲しいばかりのことじゃない。辛くて苦しいとき、ふと「M」を思い出して、そうか、“全てには必ずいつの日にか終わりがやって来るもの” なのだから、この苦しみにもいつか必ず終わりが来るんだ、そう思えたら楽になれた。「M」の歌詞は、そう捉えることもできる。つまり、「終わりがある」ことは「希望」でもあるんだ。

ろけろツアー、さいたまのときはライヴの内容について書かなかったので、今度は書きたいんだけど、その前に書いておきたいことがある。

『GG10』に向かう電車の中で、iPod を取り出して音楽を聴こうとしたら、イヤホンが消耗していたらしく、左側が聴こえなくなっていた。ひねったり押さえたりすると一瞬聴こえたりするんだけど、すぐに聴こえなくなってしまう。右側のイヤホンだけで聴く音楽は、どうにもこうにも心地良くない。

………………あゆはこういう感じなのだろうか。
左耳の聴覚を失っているあゆは、携帯音楽プレイヤーで音楽を聴くこともままならないんだろうな。
だけど仕事上、ヘッドホンとかイヤホンで音を聴かなければならないときは一杯あるだろうから、そういうときは右耳ですべての音を聴き、音楽を感じているのだろうな。

こうして何も考えず iPod で音楽を聴ける私は、なんて幸せなんだろう。

私は片方しか聴こえないイヤホンを外して、景色の音に身を委ねた。

ろけろツアーファイナルの前日、「ああ、明日で終わっちゃうんだ」とふと悲しくなった。「終わりが始まる」のを感じて切なくなったんだ。あゆも同じように感じていたのかなぁ?

「終わりを始めよう!」

この言葉にハッとなった。

「始まりがあるものには終わりがある」

逆に言えば、終わらせなければ始められないんだ。終わらせることができるから、始めることもできる。

始められずにいるのなら、「終わらせる!」って意識に切り替えてみたら、案外、前に進めるかも知れない。私が始められないでいるのは、終わらせられないでいるからかも知れない。

ありがとう、あゆ。

終わることは前から決まっていたことなんだから、それを嘆いていないで、終わりに向かう今を精一杯楽しもう! そういう覚悟を決めた言葉だったのかも知れない。「10月のスーパーファイナルに繋がるファイナル!」、そんな気持ちだったのかも知れない。気合を入れただけなのかも知れない。

だけど、私には、心にズシンと響く言葉だった。

ふと思ったが、私にとって、エレファントカシマシは「始まりをくれる」存在で、浜崎あゆみは「終わりをくれる」存在なのかも知れない。

な~~~んて、これは単なる思い付きで、言葉を綺麗に並べてみたかっただけです(笑)。

だけど、「始まりをくれる」ことと「終わりをくれる」ことは、結局は同じことであり、向いている方向は一緒なんだ。前を向いている。

すごく勇気ある言葉だね。

終わりを始めよう!