再び出会う初期衝動 | ラフラフ日記

ラフラフ日記

主に音楽について書いてます。

パルス(初回限定盤)(DVD付)/THE BACK HORN


初期衝動を保ち続けるのは難しい。いや、それは無理な話なのかも知れない。何かに強く心を突き動かされる。その一番最初の衝動。たとえそれがどんなに刺激的なものであっても、初めてそれが生まれたときの衝撃というのは、二度とは訪れないものだろう。だからこそ、初期衝動は強烈な輝きを放つのだと思うし。

だから、アーティストは常に過去の作品と比べられ、昔の方が良かったとか初期の作品こそが本質だなんて語られたりする。どんなアーティストも多かれ少なかれ、新鮮さというものは失われていくものだ。

でもそれは、何もアーティストにだけ言えることではない。聴き手だって初期衝動は薄れていくものだし、第一、過去の作品と比べたりするのも聴き手だ。

それに、結局は、どの作品でそのアーティストに出会ったのか(好きになったのか)が大きいような気もする。だから、初期の作品というよりも、それぞれが一番最初に出会った作品というのが聴き手にとっては初期衝動であり、その作品に特別な思い入れを抱いてしまうところがあると思う。

そう考えると、初期衝動とは、作品自体にあるのか聴き手の中にあるのか。

私がバックホーンに興味を持ったのは、『イキルサイノウ』(03年)の頃だった。そこから過去の作品も聴いて、『人間プログラム』(01年)とか凄いなぁって思ったんだ。

それから、『太陽の中の生活』(06年)、『THE BACK HORN』(07年)と聴いてきたけど、私の中では『イキルサイノウ』や『人間プログラム』の存在が大きくて、人に薦めるならその2作って感じだった。

『太陽の中の生活』も『THE BACK HORN』も、悪くはないんだけど、最終的なところでグッとこない、熱くなれない気がした。色々新しいことに挑戦しているのも分かったし、複雑なアレンジや聴かせるサウンドを実践しているなとも思った。でも、それを客観視してしまっている自分がいたんだよね。音楽ってのは、頭で分かっても、心と体でも分からないとさぁ! バックホーンの音楽にあった、“有無を言わせず” ってのが希薄になってきちゃってたんだよね。でもそれは、私の中だけかなとも思った。これで初めてバックホーンを知ったのなら、惹き付けられるかなぁとも思ったし。

そして、最新作『パルス』。

私は、“有無を言わさず” 引っ張られた!

だから私は、「初期衝動」というものについて、もう一回考えてみようって思ったんだ。やっぱりそれはだんだんと薄れていってしまうものなのかなぁって思いかけていたから。そこに “待った!” をかけたからさ、この『パルス』という作品が。

初期衝動を保つ難しさやそれが擦り減っていくことは、きっと、アーティスト自身が一番に思い知ることなんだと思う。そこでどう折り合いをつけていくのかがポイントなんだろう。

バックホーンも、初期衝動のままでは突っ走れないということにぶち当たったんだと思う。何故なら、『ヘッドフォンチルドレン』(05年)ぐらいから、“考えてる” のがものすごく伝わってきたから。アレンジがより複雑になってきたり、今までだったらやらなかったような爽やかな曲をやったり、そういう変化から “試行錯誤” が伝わってきた。

変化していくことは自然なことだし、考えることも必要なことで、それがまた新たな感動を生んでいくんだろう。

しかし、その頃のバックホーンのサウンドからまず第一に伝わってくるのは、「考えてる」という印象であって、それにつられてこっちも考え込んじゃって、サウンド自体も考え込んじゃってるし、なんだか、頭ばかりに響いてきて、心と体が置いてけぼりをくらっている感じだった。

こうして音楽について書いておきながら矛盾してるのかも知れないけど、音楽には、たとえそれが理論的にどんなに優れたものであっても、「言葉じゃない!」ってところでグイグイと引っ張っていって欲しいものだ。音楽が言葉だけになってしまったら、こうやって音楽についてああだこうだ書くこともなくなってしまうだろう。

そして、よくよく考えてみたら、バックホーンは初期の作品だって、考えてるし試行錯誤しているのだ。勢いだけではない、アレンジの妙や音楽的素養を垣間見せていた。しかし、それと同じくらいかあるいはそれ以上に、体が反応してしまい心が熱くなってしまう音楽だった。

最新作『パルス』から聴こえてくる音楽は、そのときと同じように、心と体が反応してしまう音楽だ。バックホーンの音楽から、“肉体的” なエネルギーが帰ってきてる!

そして私は気付いた。「初期衝動」は必ずしもなくなってしまうものではないって。

それは、形を変えながら、何度も何度も再生を繰り返し、生まれ変わっていくものだって。

初期の頃のエネルギーが戻ってきたといっても、『人間プログラム』や『イキルサイノウ』の頃とは違う。ヘヴィな音をヘヴィに聴かせるのではなく、軽やかに抜けが良いサウンドをヘヴィに聴かせ、要所要所のフックが思い切ってて、遊び心もあるし、確実に “今” のバックホーンのサウンドだ。これはやはり、ここ数年の試行錯誤があってこそのものだ。
最終曲「生まれゆく光」なんかは、「枝」(『THE BACK HORN』収録)があったから生まれた曲だと思うし、こういうスケールの大きなテーマを描けてしまうことに驚く。

初期衝動や新鮮さは、なくなっていくものではない。

強烈な何かに初めて出会ったときの衝撃も凄いけれど、何かを飽きることなく追い求めていった先に出会う感動というのもあるんだよ。

人はそこで、再び初期衝動と出会うのかも知れない。

関係ないけど、バックホーンの音楽性って、ビジュアル系が好きな人にも、サンボマスターが好きな人にも、マキシマム・ザ・ホルモンが好きな人にも、メタル好きにも、B'z が好きな人にも、奥田民生が好きな人にも、歌謡曲が好きな人にも、訴えかける部分があると思う。

だから、9mm Parabellum Bullet がブレイクするなら、バックホーンももっとブレイクしても良いと思うんだけど、なんだろな、“色気” みたいなものが足りないのかな。俗っぽさっていうか。別にそれならそれで良いんだけどね。誰か一人がバンドの強烈な個性になっているわけじゃないってところも大きなポイントかも知れない。
あ、でも、武道館でやったんだから、ブレイクしてると言えるのか。