最近、知り合い関係のお誘いで、福島県の原子力発電所のメルトダウン事故からの復興のための支援事業のお手伝いに参加させてもらったり、そういう機会も出てきました。
詳しい場所は、まぁ2ちゃんねる掲示板のほうでドンパチやらかしてる情報リテラシーやストーカー犯罪など個人情報の盗みや無断掲載などの生活安全の侵害や嫌がらせ攻撃から守る意味も含み、詳しい場所などは厳守として伏せさせてもらいますが、福島県のほうの放射能の危険域からは外れたところのある山の場所にある山頂や滝などに風力発電や水力発電などを建設しようなどの事業みたいです。
この記事では、ネット上で口先だけカッコつけしてるだけの連中や、生活仕事人などのひとたち全般をナメた芸NO媚びや、そういうマーケティングしてるだけの事業全般や、【ノンポリという社会に暮らしながら社会に無関心や無感覚な社会人】という社会のお荷物や食い潰し民衆などを猛否定するような意味も含めまして、【生活するとは何なのか?】【電気などのエネルギー資源はどうやってつくられているのか?】などの事案も語りながら、記事にまとめてみたくなりました。
この記事でも、なにか気になることやアドバイスなど情報ありましたら、コメントやメッセージなど受付してますので、よろしくお願いします。



・インターネットの人間性の現状







まず、このブログやツイッターや2ちゃんねる掲示板コテハン活動を、匿名希望とは言いながらもある程度のリアル活動の実況も踏まえながらネット活動していた理由に、【こういうネットワークは日本や世界などの全国で繋がっているものとしての規模】を有効活用したいっていう意味もありました。
そして、このブログでは、メールアドレスを公開して、なにか仕事や役割から些細な趣味レベルの依頼までも受付するような形態をとってきました。

以前にも、ちょっとした非公式のやり方での芸能活動アピールするなどの悪ふざけとはいえ、【真冬に朝から夜中に至るまで自転車を漕ぎ続けられるという体力や精神力の自主テストやその実況を2ちゃんねる掲示板のログに書き遺しをしていた】のもあるんですが、【こんな全国規模に広いネットワークありながらも、今まで、その体力や精神力を買っての仕事や役割に関する相談みたいなものなど何ひとつとして戴いたこともない現状】とか、そういう現実の有り様に、人間性について疑問を抱いてしまう部分もかなりあったわけなんですよね。

福島の風力発電や水力発電などのいろんな建設業の支援のお誘いをさせてくれたのは、こういうインターネットからの経由ではなく、身近な知り合いの知り合い関係などで、偶々、そういう支援事業にも参加している繋がりがあったものにすぎません。

前々から、ツイッターで仮面アカウントながらも、根本は、公共でみんな共通の倫理(モラル)や法律(ルール)など守りながらのものもーす言動をやっていたわけですが、随分とまぁ集団暴力サイバー攻撃じみた芸NO業者や銭ゲバ(金利戦争屋)業者の連中などにアカウント破壊やら情報破壊やら、それらのネットニュース関係や報道では、でっちあげ「嫌がらせ」「つきまとい」扱いで弾圧かまそうとしてきたり、モロクソにやってることテロリストな汚い情報操作などを受けてきたわけですが、【こういう偽装性や詐欺性に満ちた実質が凶悪犯罪者な連中に壱部のニュースや報道などを支配されてる現実の社会問題】も考えまして、「みんなでシアワセに生活することって何なのか?」「生活を産むような生産になれる実質の仕事や役割とは何なのか?」など、そういうのを人間として、今壱度、考えたり悩んでほしいこと、社会や教育なんかを業者や金利に頼らずに、みんなの民主活動や実行活動でつくっていく方策など、訴えかけたいために、こういう記事やレポートを書いておきたい感じです。

元々、どうして知己(自分)が、暇人として24時間の中での自由時間こそを大切にして、あまり労働時間のない給料の仕事を引き受けていたのかっていう理由に、もしも家族や親友などのトラブルがあればすぐに付きっきりになれるとか、入院ともなれば、病院の面会時間に御観舞いに行くなど、そういう人間関係やコミュニケーションや心の繋がりなどを人として大事にしたかったっていう想いもあったわけなので…。



・自分の家庭電気は自分たちでつくる







アンジュ・ヴィエルジュのフランボワーズチャンがエロ可愛…ゲフンゲフン…
火力発電所や原子力発電所が、いろいろ大気汚染とか化石資源の有限燃料などなど、大幅な発電ができることがあるんですが、【そもそも電気に頼らないと生活すらできないなど、あまりにもミエっ張りやザコすぎる人間性や生命力になったあなた達にも重大な罪とか原因があるんじゃないでしょうか?】
福島の山のところでの暮らしを研修として、今壱度、原住民のような農村生活のことや、河や森林などに囲まれた、ちょっとした水の汲み出しから酸素喫煙や自炊のあれこれまで、「生活とは何なのか?」「村社会のコミュニケーションとは何なのか?」っていう原点のようなものも自然体から学び直すようなことも支援事業への参加を通じて出てきました。

お金とか給料とかそういう概念を除外して、まずは【農業っていう食べ物をつくる仕事や役割】とか、【工業っていう生活用品などをつくる仕事や役割】とか、そういうのや、なるべく電気を使わないで安心安全に暮らしていける充実生活というのを、こういう福島に関する支援事業を通じて話し合う機会もできました。

「炊飯器1つのみであらゆる健康栄養を補給できる餌(料理)をつくったり食べたりしていけるのか?」とか、「ホントに冷蔵庫から照明器具などの生活に必需とされてるものを中心とした電気コストをどこまで削減できるのか?」とか、「情報や通信のツールとして無限大規模の広大さや可能性のあるようなインターネットやケータイやノートPC・タブレットPCなどを外出先でも電力確保できるような自転車ペダル発電システムや永久機関のような発電システム」とか、いろいろと考えることたくさん増えてきまして、そういった意味で、学生の勉強生活みたいなことを楽しめたり充実できる機会も増えてきました。

例えば、「鏡面のようになったアルミホイルを天井や電気傘にテープやクギやネジで固定するなり貼っていくとか、白ペンキや白インクなどで塗っていくとか、7・8ワット出力くらいの電球ひとつやふたつで、どれだけ電力消費コストや会社経費コストなども削減しながら、部屋を明るくできるのか?」っていう案や、「自転車で1日に必要な健康運動も兼ねてのペダル発電システムや、そのペダルを自転車スタンド立てながらも永久機関みたいなやり方で回し続けられる発電システムなど、そういう充電や蓄電やコンセント電源も供給できる自転車をつくったりできないか?」っていう案や、「炊飯器・洗濯機・電気ポッド・ケータイ・PC・無線ルーター・扇風機(羽根のついたモーター1つ回してるだけなのでエアコンなんかより遥かに電力消費してません)など総合の生活に必要な電気コストの計算と家庭や会社事務所の経営化」っていう案や、「お風呂なんぞは別に電気ポッドのお湯に手拭いや垢擦りをつけて擦り洗いするだけでも身体の洗う機能はこなせるだろ」っていう案などなど、そういうのを切り詰めて考えていきながら、そもそも発電所に頼らず、電線なんかも撤廃しても良いくらいの、みんなが【自分の家庭電気は自分たちでつくる】っていうような、エネルギー資源もいろいろと考えた生活スタイルを考案したり、地域に話しかけたりもしてみたくなってきた部分もあります。
自給自足っていう、【そもそも極論で言えば、お金とかいくら持っていようがムダな焼け野原とか瓦礫しかろくになかった環境で生き抜いてきた戦後の昭和のひとたちの生き方】とか、そういうのも参考にしながら、冬なんか逆に食べ物が腐ったりしにくい気候を利用しながら、蓄積しておいた食べ物をちまちま食いながら【まるで自然の法則のとおりに冬眠しているかのように布団の中から身体をろくに動かさないでとことんPCやケータイで何かインターネットサーフィンで遊んでたり製作していたりこういうブログ記事を書くようなことばかりしていた】ことなども、よく貧乏ながらもこういう家庭生活していたわけですから。
プラモデルでも完成品販売ではなくキット販売で、あえて工業みたいにつくる実感や愛情みたいな要素を採り入れていたり、そういう些細なところからも、なにか心とかを感じれたいものだとおもいます。



・自然との共存







原住民とか農村民とか、どうしてとてつもなく不便すぎる生活をしているはずなのに、ストレスとか感じず、うつ病などにもならず、そうやって生きて活きれているんだろう?
と、いうか、自然っていう本来のヒトの在り方っていうのってなんなんだろう?
そんなこと、【ヒトの】歴史の話を観ていて、感じたことありませんか?
【別に昔だろうが今だろうが人間という種であることに変わりはないはずだとおもう】のに、不便や不満足に対して、なにを争って、なにをストレスを感じて、なにを栄光だの求めているんだろう?
残酷なようですけど…ひとつは文明の発展…もうひとつは人口数や増えすぎて地球上の生活圏を人間だけが独占しすぎてしまったせいなのか…とかも考えが出てきたりします。

今、環境問題などの話するなら、バカみたいにあらゆる生命そのものでもあるような地球をぶち壊しかねない化石燃料の採掘や原子力の使用やら、洋服から生活用品なども含み【お金の都合だけしか考えれず、買い替えばかりしては物を職人愛情や有限資源という慈悲も持たずして棄てまくるなど、地球っていう全世界の病原菌みたいな存在にしかなってない人間をとにかくこの世から消す】とか、【ひとりっ子やふたりっ子などの出産制限を全国規模で実地するなり、どうあっても地球上の人間の総人口の数が減っていかせる】とか、社会問題や経済問題として、そういう【人間が観境なく理性なにもなくて出産しまくる犬や猫を保健所で処分しているように、これからは人間が人間に対してそういうルールをつくっては、やっていかなくちゃならないことなども理論上で出てきてしまう】かもしれません。



・あとがき



世界のあちこちでは、財政っていうお金に関するものが破綻したくらいで、なにを暴動などを起こしているんだろう?
きちんと自分たちの生活は自分たちで組み立てたりしていこうなど考え、お金とか無関係に、畑や牧場なんかで農畜産業などやって、川や井戸などの水を汲んでは濾過して飲み水にしたりとか、自然や人間本来のような暮らしをしている原住民や農村民などの感覚からすれば、なんだか超絶たる気違いじみてる狂気におもえますよね。
そもそも、昔は、税はお金(紙や金属のカタマリ)ではなく税はお米(穀類の主食としてひとが大切に生きるために食べれる食糧)という考え方だったり、そういうみんなが餓えないで生きれるための食糧やそれをつくれる畑の土地こそが、なによりも大切な財産だった時代なんかもあったわけですよ。

地球を守ろうとか、エネルギー資源は化石燃料みたいな何千年・何万年と眠って出来上がってるものじゃなく、どこにでもある水力や風力とか、自転車発電のような人力とか、はたまた栽培してどんどん増やしながら生産できるものとか、エコロジーに頼らないといけない話が、どんどん深刻に出てきています。

地球の命の問題になってくるんです。
この記事の内容が全てが全て正しいことであるとは限りませんが、そういうことに対して、関心や活動精神をみんなで、今壱度、地球であるがゆえ人類や全世界の共通の問題として考えたり悩んでもらいたくて、書き遺すことにしました。

2015.10.6