「お金」でひとのシアワセは計測できるものなのですか?
「お金」で人生の生き甲斐は計測できるものなのですか?
そんな【お金】に関する【銭ゲバ】問題について、知己(自分)は、最近、気づいた感じがしたので、この雑記にまとめてみたくなりました。
「銭ゲバとは何か?」って、ジョージ秋山のマンガ作品『銭ゲバ』から出てきた単語で、銭(お金)に関するゲバルト(ドイツ語で闘争とか暴力という意味らしいです)という意味らしく、表側には出てこないで詐欺性(騙し・ウソ)によって隠されてきた裏側に存在する、数々の生物の中でも人間という生物が特有で持っていたりのあまりにもグロテスクで醜くて汚くて歪みや不正に満ちた愚かなものなども、知己(自分)なりにおもったことを書き遺しておきます。
『雑記16 節約するといろいろなことで得をできる要素』と、多分、似たような内容にもなるとはおもいますが、この記事では、お金に関する怒りや悲しみに満ちた憎悪についての個人感情なことも書いた内容になります。
意観・指摘や批判などがある場合は、コメントやメッセージなども募集しています。



・そもそもお金って何か?



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お金に関することを記載していく前に、「お金とはいったい何なのか?」という概念について書いてみます。
お金って、要は、なにか物と物を交換するための価値を、ひとつの共通の通貨として管理するために存在するようなものですよね?
お金に関することは、、そういう樹などの工事材料や石油などの燃料とか、いろんなそういう物を【欲望のまんまに贅沢三昧に使いたい放題に使っては、地球資源や生命(動植物とかの)資源などを枯れ果てるまでにぶち壊してしまわないよう、バカな人でなし連中を経済規模で制御するためにあるようなもの】だとおもっています。
お金っていうのは、原始の時代とか、今、現代でも世界遺産や文化遺産として守られるように制定されてるらしい小さな小さな原住民や村社会に暮らすひとたちとの間では存在しないものだったりもするんですよね。
お金について苦悩してるひとたちも大勢いたりして、また、お金のことで発生している銭のゲバルト(闘争・暴力)のことで、そういうお金のことで歪んでしまったり絶望してしまっているひとたちに向けても、今壱度、「お金ってそもそも何か?」っていう哲学を、読者それぞれ個人個人が悩んだり考えてほしいがために、この記事は、主にそういう話題を中心に書き遺します。



・お金というものがまったく無くて生きていた人間感覚



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そもそも、知己(自分)がお金という存在そのものに疑問を感じているのは、おじぃチャンやおばぁチャンから教えられた【お金というものがどんなにあっても商店というものが存在しなかった時代】ということで、昭和のときの戦争の話や戦後の話など、そういう世界観や現実が実在したんだということを染みて覚えておくように仕込まれた影響が強いからなのかもしれません。
東京も大坂も、あの広島や長崎なんかも、ほとんどの全てが焼け野原の荒野しか残っていない現実になったり、また、放射能などの感染症じみた毒が蔓延してしまった現実になったり、かつていわゆる【なにも存在しない】ような時代があったと言います。
農業(食べ物っていうみんな生きるために必然として必要とするものをつくる)とか、工業(生活用品っていうみんなが便利になるために必要とするものをつくる)とか、そういう、【人間が人間として生きるがためにお金とは無関係に必要としてきた仕事や役割というものを、絶対に人間として敬意や誇りを忘れてはならない】と、そのようなことを仕事っていう需要や概念として悩み考えてほしいと。
はっきり言って、芸をやってるだけとか、出演上の演技だけでやってるだけとか、そんな野郎なんぞに敬意や誇りを想おうなど、人間や社会人という概念をどこまでナメ腐ってんだっていうほどの気持ち悪さが憎しみが滲み出てくるくらいに不快感すさまじいです。



・お金と充実×お金とストレス



お金とか、銭ゲバとか、そういう実態を知ったとき、「みんなそこまでしていったいなんのためにお金を求めているんだろう?」なんて疑問におもってきたこともたくさんありました。
遺産相続ともなれば家族とのおもい出なんかよりも、あまりにも醜くすぎる騙し合いや化かし合いに満ちた陰湿さとか刑罰を逃れられたら何をやっても良いだとか、いじめじみた心理殺戮を繰り広げたりだとか、詐欺犯罪に手を染めてまで欲望を誇示したりだとか、そういうのに、そもそもの【よほどのトチ狂いじゃない限りひとが誰もが必要としている概念であろうシアワセがいったいどこに存在してなにが喜ばしく楽しかったりするのか激しく意味がわからなくてマジ狂ってる】ようにしか観えません。
ひとの生活の中での充実とかストレスとか、喜怒哀楽として喜楽(プラス)なことや怒り哀しかったり(マイナス)なことなど、そういうものから理論上で心とか気持ちとか安心安全とか生き甲斐などを考えていったとき、どんなものがひとや生活内に必要なものなのかを、じっくり考え直してみれば、そもそもお金とかそれ以前に根本のものが解ってくるものかもしれないですし、また、こういう雑記を何の商売収益にもならないのに書き遺してはネットワークでの共有場に置いていっていたり、また、情報のお持ち帰りは基本は自由(フリー)とあえてトップページに書いてみてるのも、そういう充実やストレスにまつわる気持ちを吐き出しては伝えたいだとか、生き甲斐とか役割のような意味を考えながらやっていることなのかもしれないです。



・文明は真心を滅ぼす



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お金によって、文明という概念が現れたことによって、富豪だとか貧乏だとか、はたまた、貴族だとか雑民だとか、そういうトップスやコモンズっていうような格差や差別などが生じてきた人類の歴史があるらしいです。
そもそも、お金というものや財力や権力を巡っては、どこまで人間戦争として商売戦争や陰湿いじめ戦争などまで繰り返されてきたものなのでしょうか?
そもそも、こういう雑記の記事でさえ、銭ゲバなどの陰湿性も含む商売屋や戦争屋にとって消したいとおもわれてサイバー攻撃を加えられる可能性も否定はできないです。
このブログっていう壱種の電子書籍も、情報屋として誰かにとっての何かの助けになるような知恵やアイデアなどのヒントみたいなものになる情報を、こうやってインターネット上であらゆる日本中や世界中で繋がっている共有場に自己の金銭利益なども求めずに無償の気持ちとか真心のつもりで紹介も自由なカタチで置いていってるだけなのに、いったいなにが気に入らないんでしょうね。
『文明』という概念が無かった原始時代のひと、もしくは、現代においても原住民として世界のどこかの辺境の地で暮らしているひとには、なんとも脳科学の測定レベルで調べても うつ病 の原因たるストレス成分がまるで検出されなかった実に奇妙なデータがあったという情報も知りました。
※この情報については『NHKスペシャル"病の起源 第3集 うつ病 ~防衛本能がもたらす宿命~"』が情報ソース。

インターネットっていう広大な情報流通や便利なども生活用品があるのも当然のようにおもっているひとも現代人には多いとおもいますけど、そんな情報流通も便利などもろくにない原住民のひとたちに【 うつ病 の原因たるストレス成分がまるで検出されなかった】など、ものすごく不思議におもったりもしませんか?
冷蔵庫もなく商店に当たり前のように食品が売られているなんてこともない、そんな環境での暮らしで、どうしてストレスを感じていないんだろう?
多分、『知らぬが仏』っていうことわざにあるような「知らないからこその仏の気持ちや感情状態(赤チャンみたいなニュアンスっぽいの)ですよ」っていうものなのもあるかもしれないですけど、『平等』っていう不平不満のない平和な和みの中で、格差や差別もなんにもない人間社会だったからというのが真相らしいです。
どうして人間社会はこうも真心が壊れてしまっているのか?
人間っていうか生物本来の生き方っていうのはいったいなんなのか?
いつも悩んだとき、原点を考えてみれば、案外、原始人や原住民のようなストレスのないひとたちのように、気持ちも楽にシアワセ感に暮らせるようなものなのでしょうか?



・インターネットの生産業



今や、生活必需品となって世に出回るようになったインターネットや、パソコンやケータイ通信端末。
これらは、割と熱を出さないように制御された電気によって、みんなの暮らしに当たり前のように届くようにもなってきました。
それどころか、こういう記事などもゲームソフトやアプリツールなども、誰もがダウンロードできて扱えるようになったりして、世界中のひとたちにこういったブログサイトから動画サイトやオンラインストレージからのダウンロード制などで配信できる世の中にもなってきました。
これらのものは、基本は、【この記事を読んでいるみんなが当たり前のように契約している端末から読まれている】ものだとおもいますし、これらの情報やソフトなどは、お金というものも燃料などの地球資源なども工場生産みたいに多大な【犠牲になるようなものを必要としない方法】で生産されていますし、こういった壱種の教科書の案件のひとつみたいに書いてるブログ記事でさえ、紙やインクを大量印刷することもなく、配信というカタチで配ってるものにしか過ぎません。

お金のことも、切り詰めたり大金ともなれば、感情も関係もいろんなものを財産相続から詐欺犯罪などまでも含む化かし合い騙し合い殺し合いなどのあまりに醜くて汚い残酷な現実をつくってしまい、そうやって資本を考えたものは、お金のことを巡り、使い棄てにされることばかりのムダな物を次々と産み出しては解体されていったり、ムダな富豪という勝者の考え方や貧民という敗者の考え方を世に広めてしまい、ムダな戦争を恨みや嫉妬や憎しみの念とかと共に発生させてしまっていたり、「お金さえあれば何でも買える」など物の生まれや創る立場からの愛情さえ認知できず、そうやって、やがて愚かな人間たちは、世界や地球そのものまで食い潰してしまう危機すら覚えてしまいます。



・あとがき



この雑記は、精霊信仰の教えのとおり、大自然への神様や妖精サンたち精霊サンたちが昔になんのために存在して、なんのために崇拝するように守らなきゃいけない言いつけが存在したのかというのも踏まえて、今壱度、地球の資源問題なども添えて、考えたうえで書きたくなって書いたものです。
お金や商売という事情がある限りは、【農場の仕事にしても、少しでも傷とかあったりカタチの変形して獲れた野菜や果物など売り物として不適切だからと棄てるような食べ物の資源を粗末にしては餓鬼の呪いの罰を与えてもよろしいかのような罪深き残酷な始末をされている】とか、【工場の仕事にしても、修理の労働が欲しいからとわざと故障するコンピューターウィルスみたいなプログラムを仕込んだ品質不全を観えないように隠した家電製品など世に出回らせたりしている】など、そういう悪意が世に蔓延るような動機を生み出しているなども、地球資源のぶっ潰しレベルで世界中に拡大してる実体なんかもあるみたいです。

ホントに資本という社会の生活っておかしいんじゃないのかなど、深刻に考える必要性があるように感じます…。

2015/9/10