「世界中で生きている命って、なにも人間も含んだ動物や植物だけのことじゃないんだよ」って、そんな感じに子どもの頃に教えられてきたアニミズムや精霊信仰についての話を、いろいろ今になって考えたりもしていました。
世界中のあらゆる自然や物質に対しても精霊や神様が宿っていたりするという教えのことです。
その精霊や神様っていうのは具体的にどのような存在であるのかはよくわからないけど、生物として【生きていて喜怒哀楽の気持ちなどもあるもの】と、そういう感じに精霊や神様のことを子どもの知己(自分)に言い聴かせてくれました。
こういった文化が、今では文化遺産として保護されていることや宗教学としての一種の原点みたいな評論されているからも、なんとなく重要な文化であるような気もします。
書かれた内容に感想とか、また、間違い指摘や批判の部分あれば、詳しくコメントあるとうれしいです。



・大自然のお仕置きです



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侍魂シリーズのアイヌの巫女のセリフから行題を拝借。
精霊信仰についての説明は、一種の「大自然のお仕置きです」と言うようなことについても触れながら、子どもの頃におじぃチャンやおばぁチャンから教えられました。
この精霊信仰に背くような違反言動を、おじぃチャンやおばぁチャンは、この事を「罰(バチ)が当たる」という表現で話していました。

精霊っていう【生きていて喜怒哀楽の気持ちなどもあるもの】という教えから、いろんな食べる物とかもそうだし、いろんな木々の林とか、風や水や火や土などの自然そのものへの感情意識や優しさの意味について、道徳の事としてたくさん教えてもらいました。

今、眼前で観えていたり触れている生物とされるもの以外にも、あらゆる自然を擬人化して人格や感情があるものとして、それらを感じれる人間になれみたいなことを、そうやって知己(自分)は、おじぃやおばぁから、今、【何気なく生活できているこの現実から自然や世界のイメージや精霊の存在とその感情意識】についてなども、たくさん教えてもらいました。

そうして、物を粗末に扱うような知己(自分)に対して、「精霊サンはどういう気持ちになるのかな?」って、【物に対しても吸ってる空気に対しても人間と同じように】【生きていて喜怒哀楽の気持ちなどもあるもの】として、【物や自然そのものを精霊として】、コミュニケーションの遣り方を教えてもらいました。

だから、それらの精霊サンを怒らせたり哀しませたりするようだと、そりゃケンカにもなるだろうし、ふてくされるようにもなるかもしれません。

そういうとき、あまりに度が過ぎれば、いずれ何らかのカタチで「大自然のお仕置きです」と言わざるを得ない厄が襲ってきて、本来、大切にするべき精霊サンなどゝも大ゲンカとか戦争をしてしまう愚かな現実となってしまうのかもしれないです。

日本の歴史上では、こういったアイヌの文化などを大昔には絶滅に追いやるほどの迫害をしてしまった侵略戦争の罪として、今一度、アイヌのこういった文化などの一例を文化遺産として護る約束をすると共に、精霊サンっていう物や大自然へのコミュニケーションをとっていくことが、人類に試されていることなのかもしれないですね。



・資源エネルギーの限界



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風・水・火・土のクリスタルの話なんかでもそうだけど、実際にも、【地球そのものゝ資源エネルギー】というものが存在しますし、そういった生命力を借りながら、人間もそうだしいろんな生物などもそうだとおもいます。
石油などのエネルギーも、排気ガスなども、昔は、いくらでも捜せば採取できるものとか外気に流してしまえば消えていくものとして扱っていたんだとおもいます。
そうやって、冬中の寒い日も、石油ストーブなどで火を炊いては温室をつくって、それによって発生する排気ガスは外に放り出してきたんだとおもいます。
ですが、いつからか、それは【無限に存在するものなんかじゃない】と、気づかされる時代が、今、来ているような感じがします。
大自然の精霊サンたちが痛いおもいをしていって、やがて生命力が無くなってしまうような危険も来てしまうのかもしれないです。

いくら地球の規模が広大だからといっても、無限ではない地球そのものが、どんどん痛めつけられていってるような感じがしますし、地球という規模は、あらゆる世界中の共通の問題として、地球を形成している大自然の精霊の気持ちについても考えていかないとならないのかもしれないです。

風・水・火・土のクリスタルの話では、その大自然にまつわる4つのエネルギーは、吸収しすぎた結果、砕け散ってしまい、どのような事が起こったのか?
風の概念の全てが止まって、やがて空を飛ぶものも飛べなくなり船も波を起こすものも船を押すものも失ったり、水の概念の全てが止まって、恵みやうるおいといったものも失ったり、火の概念の全てが止まって、暖炉を温めるものも食べ物を焼くものも失ったり、土の概念の全てが止まって、野菜や野原といった大地を失ったり、そうやって地球という世界を形成できなくなっていく…。
このようなイメージの現実が、実際、エネルギー資源のことで起こることもあるかもしれません。

知ってるひとなら知ってるだろうけど、『マナ』のエネルギーも、使い続けるのに限界というものがあって、それを【使用しないこと】や【節約していくこと】の約束を、大自然に存在してる精霊たちはもしかしたら命を助けてほしいかのように訴えていることなのかもしれません。



・ピリカ(良い)とウェン(悪い)



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遊戯王OCGで、ちょうど「霊獣使い」と「精霊獣」にまつわるカード情報あったので、ピリカ(右)とウェン(左)のまとめ画像を貼ってみる。

アイヌ語らしいんですが、単純に説明すると、「ピリカ=良い」という意味で「ウェン=悪い」という意味らしいです。
【風・水・火・土などのものが「色」を表すもの】なら、この【ピリカ(良い)・ウェン(悪い)は、白・黒の2元素として「明度」を表すものっぽい】ですし、どんな精霊が宿っているのかを考えると、それは天使・悪魔の関係でもあるのかもしれないです。

また、『雑記5 陰気(闇)と陽気(光)の世の中の成り立ち』の陰陽思想の内容と、ほとんど被った内容になるとおもいますので、説明は割合しますけど、知己(自分)は、いろんな精霊がいるにしても、特にこの【「ピリカ(良い・天使などに該当するもの)」とか「ウェン(悪い・悪魔などに該当するもの)」とか、この2つの要素の精霊に関しては特別な関心があります。】
あと、この2要素だけに限定するなら、0(白)か1(黒)かの概念しかないイメージになったり、考えたりするのが大きくも重たくもない処理でとても【コンピューターでも簡素かつ高速に考えやすい例えのように】、知己(自分)なんかそうおもってますし、まずは色みたいな多様なものよりも、この2つの明度をしっかり感じれるようになってから、色のことを応用として考えてほしいようにおもいます。

アニミズムや精霊信仰の心理を大切にしていたアイヌの文化においても、多分、「ピリカ(良い)」「ウェン(悪い)」の概念は、特別に重要視されていた言葉なんだとおもいますし、知己(自分)も、基本、風・水・火・土といった色の概念をあまり考えていない生活や思考をしていますので、明るいか暗いかの白か黒かの概念しかない次元に住んでいるのかもしれない感じもします。
いわゆる【色の無いような次元に住んでいる】代わり、この2つの要素については、知己(自分)も、極めて特別に重要視しながら、いろいろ「ピリカ(良い)・天使・天国など」の話と「ウェン(悪い)・悪魔・地獄など」の話と、何千・何万ものシチュエーションを教えられるかのように、おじぃやおばぁもそうだし、学校の教師などゝも徹底的に向き合うような感想の相談もたくさんしたり勉強もたくさんしてきたつもりです。
精霊に逢えて話とかできるなら、そういった光を司る精霊とか闇を司る精霊に、まず、相談とかしてみたいですね。

物事の「良い」「悪い」は、そもそも道理や道教としても基礎の基礎として、人間として絶対に考えていきたいものだとおもってます。



・幻想郷の由来



同人ゲームの『東方Project』に登場する世界、幻想郷の由来については、現実にアニミズムや精霊信仰というか神道(仏さまについてとか)などゝ関係ある内容だったりします。
現代、自然界のあらゆる現象なども「科学の証明」によって発表されてきました。
でも、その結果、【「精霊なんて存在しないんだ」という概念を世につくり出してしまい、現実において存在を消されていってしまいました。】

現実において存在を消された精霊などは、幻想郷という別の次元の世界で住むことになりました。

【精霊という存在と共に、アニミズムや精霊信仰の内容みたいなのも添えて、おじぃやおばぁがたくさん教えてくれた、知己(自分)にとっての憧れやヒーローたちも消えていってしまったんです。】

【精霊という存在が消えてしまったので、そして、風・水・火・土といった色や、光・闇といった明度も、それらにあった人間や生物と同じように存在した気持ちや心なんかも全てが消えていってしまった感じがします。】

そういうわけで、【いろんな神様や精霊が住んでいたとされる大自然そのものが持ってた気持ちや心なんかも、消されてしまった感じがします。】

東方の幻想郷にある東洋文化の遺産には、たくさんの精霊についての想像や擬人化などが含まれているわけで、知己(自分)は、そんな精霊の存在こそ現実に存在してほしいとおもっていますし、また、気持ちや心があって話したりもできるんなら、腋を出してるわけじゃないけどそういう巫女の霊能力だって、能力として欲しいっておもったりもします。

そういった精霊の存在は、知己(自分)は、人間や現実にとって確かにいてほしいものなんだと、自然のことやいろんなことも考えたうえでそうおもいます。



・あとがき



宗教学についての内容になってますけど、最近、いろいろなゲーム作品や視聴作品についての考えごとや、おじぃやおばぁに幼少期に教えられたことなど、睡眠中に昔の経験場面にタイムトラベルする夢をよく感じていたりするので、おもいついたことをまとめ書きしてみたくなりました。

ゲーム作品の幻想郷の世界などには、いろんな由来とかもあって、その歴史の由来なども興味本意で調べたりしながら、いろいろな経験や知識など繋ぎ合わせたりするパズルを組み立てたりしていたら、こういうアニミズムや精霊信仰というキーワードに辿り着いてきました。

あと、この雑記もそうですけど、実際の文化学とは違いがいくつかあるとおもいますが、知己(自分)が個人でおもいついたことや世界観などを書いているほうが多いとおもいますので、あくまでも知己(自分)の感想レポートゝして、この記事のアニミズムや精霊信仰の内容も判断してくれるとうれしいです。

知己(自分)なんか、多分、半分くらいは意識がアニミズムや精霊信仰のような幻想郷に住んでいるような狂気のウサギだったりタヒの亡霊だったり、そういう妖怪みたいな存在っぽいのもありそうだし、精霊サンとお話とか接することができるなら、いろんな自然や地球なんかのお話もしながら、逢ってみたくもなりますね。

2014.12.30