なんだか、学校教科の学習についてのことなんかもそうなんですが、いくらか学習や勉強についてどうしてもできないとか、物覚えができないとか、いくら習い事しても身につけられないとか、そういった教育についての難所の部分を、今回のこの雑記では、知己(自分)なりに書きまとめてみたいとおもいます。

そもそも「遊ぶことしか考えていなかったような知己(自分)が、どうして勉強のやる気が出てきたのか?」とか、そういった経験談も一部に踏まえながら書きまとめます。

どの雑記などでもそうですが、なにか感想や批判や指摘など、おもうことあれば、いろいろ説明してコメントあると助かります。

今回、この雑記の使用画像に、ファイアーエムブレムのシリーズに登場する『チキ』という(ロリ)キャラの拾い画像をイメージ画像にしながら、実にマムクートプリンセスだったり1000歳から3000歳への加齢化してしまった事情などに話の内容が逸れないよう気をつけながら書くようにします。



・勉強の意味



単純に書けば、「強くなること」です。
でも、その「強くなること」の意味まで学習できていますか?
なんのために「強くなること」が必要になってくるんでしょうか?
それを、これからの項にて書いておきます。



・強くなることの意味



勉強していく意味や目的については、ひとそれぞれの事情があるとおもいますが、学校で義務教育として定められてる学習内容などで、一応、【国が法律上で定めている社会人や巣立ちの自立人間となるべく必要最低限に必要とおもわれる学習ノルマが存在していて、本来の意味ならば、この学習ノルマをクリアしたひとだけが、社会人や大人として確立した免許証(ライセンス)を取得して社会人として認められた存在】になるものだとおもいますし、また、【現実の社会、楽に生きれるとおもったらそれこそ地獄生活を味わうくらいの大間違い】で、そういう【成績評価上だけじゃない実力の力や生活上の知識応用力などが、絶対に必要になってくるものだとおもいます。】
ひとは誰しも強くならなければならないとおもいますし、義務教育という人間としての育成をしていく実態を覚えるのなら、まず、【実力で強くなることを、意味や勉強や学習の基礎中の基礎の意識として確実に絶対に忘れないようにしてもらいたいものです。】
そして、その【学習や実力の欠陥部分が、生きていくうえで大きな人生の失敗にさえなりかねない】わけですから。



・強くなりたいとおもうこと



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ひとには、大きく分けて、2つの勉強の気持ちがあるような気がします。
ひとつは、【なにかを成したいために強くならなくちゃいけない外向性のような勉強の動機気力】で、その「なにか」ゞ、例えば、夢だったり願望だったり目標だったりするものなのかもしれません。
もうひとつは、【なにかを護りたいために強くならなくちゃいけない内向性のような勉強の動機気力】で、その「なにか」ゞ、例えば、親友だったり宝物だったり安心だったりするものなのかもしれません。
イメージ画像の例は、もうひとつめのほうのイメージになるとおもいます。

ひとは、恋してる愛してるものなど恋愛感情をホントに実感で認識して覚えられたときなど、自然と【大切にしているものを護りたい】という真心が眼覚めて、覚醒して強くなりたいとおもう気持ちが出てくるんだとおもってます。

そして、強くなろうとしてる自分自身にウソをつくようなことやミエを張るようなことや甘んじることなどを自分自身が腐ってしまうほどにならないように、常に精神や自信を保っておくことも、【すごく重要な気持ちや感情に関する教育意味も含む勉強心】になるのかもしれません。

物語の中で戦ってきた主人公たちも、なにかしら信念というものを貫いて、【勉強心に対しても不信となるウソやミエとかの虚偽性に絶対にならないように】、実力や成功の中で信用を勝ち取ってるのかもしれないですね。



・経験がひとに覚えさせ強くする


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ところで、一般で知られてるロールプレイングゲームなどの主人公たちの成長は、どういう経緯で成り立っているかご存知でしょうか?
大体は、『経験値』が存在して、これは、主人公たちの経験してきた事情の重さや量などを数値化して、観ているひとにわかりやすく表記したようなものです。
そして、経験値を蓄積していくと、『レベルアップ』したりして、実力を示す数値化した能力が向上したりして成長していきます。

この【経験の重さや量】こそ、ひとの勉強や成長のための大きなメカニズムのひとつなんだとおもってます。

なにかと戦ったり、より経験値を授けてくれる強敵とも戦ったり、日常なら、触れ合いもあれば喧嘩トラブルの中もあったり、そういう戦いをしたりしながら、なにかの経験値になる経験を蓄積していってるものなんでしょうね。

経験を積むことに、恐怖になって動けなかったり、楽なことに甘んじてはいませんか?
時に【自分自身に秘めてある悩み心理とか葛藤の中の精神とも、戦ったり、そういった重要なことから逃避して逃げたり避けたりしてはいませんか?】
そういった経験の素になるものさえもブロックやミュートして、自己都合に合わないものにことごとく蓋をしていって、勝手に閉じこもった引きこもり部屋みたいな自己中お花畑な空間だけに依存して、そうやって現実や実力も身につけず言い訳ばかりして、本来、戦ったり向き合うべき現実や将来性や成長から逃げてはいませんか?

少なくとも、知己(自分)は、自分自身をそんな弱虫などゝ認めるような言動をすることは、「勉強」や「頑張る」という言葉の意味に対して、究極の恥だとおもってます。
自分自身の人生を、そこいらにどこにでも溢れて居るような町人Aやグ●ニア兵Aなどの存在で終わらせるようなことになってしまうのは、かけがえのない人生に対してのムダ遣いとさえおもいます。

でも、あからさまな生命の危険に曝し出てきて、そういう【二度と復活さえもできないリアルな人生の終わりを迎えてしまう恐怖感】も、同時に身に染みてあったりもします。

病タヒや事故タヒなどになりかねない生命危機を乗り越えた先に、大きな本能的な実力の覚醒が得られたことも、知己(自分)はある程度は身に染みて知ってはますが、例えば、【タヒ後の世界を知りたいからと自●言動をするような、経験した先に人生の終わりしかない経験値の積むやり方は、勇者というより無謀者なものだとおもいますので、タヒ人を復活させるような魔法やアイテムなんて現実には存在しないことなど、注意事項をとことん教え込んだうえでも経験を大切にしてほしいものです。】

外敵がいないような平和な世の中においても、いろんな落とし穴などの罠や、ゲリラ戦法で奇襲をしかけてくるような敵などは、いかなる場所においても潜んでいるとおもいますし、護身術のためでも、とにかくいろんな意味で経験していったり、そういうひとの人生において最低限に必要な勉強内容っていうのは、【最低限の言葉の意味がなんなのかよくわからなくなるくらい】、捜せば捜すだけものすごく数えきれないくらい溢れ出てくるものだとおもってますし、【どんな経験もプラスや成長に活かせるようなものなら損なことなんて無いとおもいます。】
【経験から逃げて、ひとの才能をダメにするようなことしないでもらいたいですね。】



・ひとの成長期と更年期



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生物学のような内容になりますけど、小学校や中学校が義務教育として定められている理由に、ひとには、成長期というものや思春期という決められた運命の時間に芽生える遺伝子みたいなのが、予め組み込まれていて、そんな中で、ひとは大きな変化が活発になる学習意識を本能的に持ち得ている時期っていうものも定められています。
【赤チャンや幼児など子どもが持っている大事なものなのに、なぜか大人になると消えてしまったり忘れてしまうもの】っていうのもあったりします。

ひとの年齢は、(かつての1000歳の幼女じゃなく3000歳の熟女になって成長率が落ちた竜の化身じゃなくて)大体、20代くらいで成長期というものがストップしてしまい、安定期というものに意識がシフトしていきます。

【自ら様々なムードやトラブルなどのイベントに揺さぶられたり巻き込まれながら経験を勉強する意志】よりも、【生活環境や労働環境などの事情の安心・安全の安定環境を保守するための意志】のほうが大切だと、多分、無意識に生物本能が動いて、【更年期のような成長できない時期】になってしまい、【それ以降、成長期というものがやって来る運命なんて、ひとの遺伝子に組み込まれてなんかいないとおもうんですよね。】

新しい物覚えができなくなる。

【子どもの時代に送れなかった経験は、大人になってからじゃ取り返しがつかない】わけですから、そういう成長期や更年期の時期の意識は、特に子どもの成長と向き合うような親や教師などは、絶対に体得してから教育に望んでほしいかぎりだとおもいます。



・子ども心を忘れないのも勉強



子ども心として無邪気だったりドキドキしたりワクワクするあの【魂が沸き上がるような気持ち】って言いましょうか?
子ども心で、とにかく夢中になって喜べたり楽しめた気持ちってたくさんあるものだとおもいます。
特に赤チャンや幼児など、まるで無ともいうべき無邪気であったり無知であったりして、眼に映るものや手や肌で触れるものなどの感覚などなにもかもに興味津々で喜べたり楽しかったり嬉しかったり、ホントにズバ抜けて学習能力を持っているような気もすごくします。

余談ですが、『ひとの性善説』っていう心理の話なども、この無を持って生まれてきた赤チャンや幼児が出せる特有のプラスの感情から出てくるものなんじゃないかとも考えたりできますね。



・人格操作



【この項目に関しては、ほとんど知己(自分)の私感ばかりで書いていたり、安易に素人はマネしないほうが良いとおもいます。】
まず勉強していく元気を魂から沸き上がらせる方法として、更年期のメカニズムについて読解できたとき、なんとなく自分自身の記憶にまつわる人格操作などを行ってきました。
【子ども心という実感や感覚をおもい出すことで、大人になっても成長期の精神状態を持続させたいため】だったりするとおもいます。

そのため、知己(自分)は、ある子を利用している節があったりするとおもいます。

あと、【自分自身こそは、自分自身の自我や実感の感覚を身に染みて知れたり認識できるゆえ、一番、圧倒的に人格操作がしやすい対象だとおもってます。】

おしゃぶりを加えたりした、あのマヽのおっぱいの感覚とかを催眠術みたいにすり込ませながら、【勉強意欲や無邪気な喜びや楽しみの実感認識できた、あの子ども心とかの魂を再び沸き上がらせようとしているわけ】です。
こういった人格操作をした弊害からか、【今、自分の精神年齢が何歳なのかもわからなくなるような0歳~現年齢までの精神年齢のタイムトラベル現象が不定期に起こるような感覚になったり、精神がとても不安定になってます。】
【この内容については、安易にやり方など聴かれても催眠術などの危険なやり方だとおもうので教える気もほとんどないですし、くれぐれも素人がマネとかしないでください。】



・あとがき



「勉強ってそもそもなんのためにするのか?」基礎中の基礎すら理解できてない、まさに学習障害とも言うべきひとや、そういうものを自覚させるための意図で、この雑記は書きました。
会話したり言葉の意味なども読み取って理解したりなどの国語。
わかりやすく数字という観えるカタチにした、物事の計算や推理によって理解したりなどの算数や数学。
社会だって、生活自体が国や政治や経済産業などで成り立っている仕組みや倫理(モラル)などの学びになりますし、理科だって、そもそもの理(ことわり)という理解の概念の学びになったりします。

【義務教育は、その大人や人間としてあるべき最低限の実力を身につけ体得できなければ、学習障害の意味どおりの要素となって実際に生活上で障害をきたす原因になってしまうだろうして定められた免許証(ライセンス)みたいなものという認識はしてもらいたいかぎりです。】

2014.11.15