なぜあのとき、医師にセカンドオピニオンを拒否されて、そこで私が諦めてしまったのか。。

そのときの状況がどんな風だったのか。。



下のやりとりを読みながら、自分の身に置き換えて。。少し想像してみてください。。

そして、自分の身に同じようなことが起きたときに、同じ失敗をしないように、ぜひ思い出してください。。





セカオピを希望するまで。
その経緯から…

2015年5月
2〜3ヶ月前から長引く咳のため、私は近くの内科クリニックでレントゲンを撮りました。その際のレントゲンで肺に影らしきものを見つかり、クリニックのドクターが紹介状を書いてくれた、その病院が S病院 でした。


2015.5.21
S病院で単純CT撮影

2015.5.25
S病院の消化器内科部長O医師(前 主治医)の診察。
CTでは肺には異常ナシ。
しかし偶然にも膵臓に腫瘍が見つかる!


その後、造影剤CTやMRI、超音波内視鏡EUSなどを経て、

2015.6.22〜検査入院(2015.7.11までの3週間)
再び検査とステント留置のため
2度、超音波内視鏡検査をしました。

(この時点で、検査入院の前からこれですでに3回も内視鏡カメラ。。今から考えれば、この検査も多すぎませんか?)



そして、次は穿刺(せんし)細胞診の予定、、という段階。

入院中の私は、「穿刺細胞診」の意味が分からず、インターネットで調べました。

すると「穿刺細胞診をすると、その刺激で細胞が活発に活動しだしたり、散る可能性がある」などのリスクが書いてあるサイトを見つけて、とても不安になりました。


そこで、看護師さんに、「穿刺細胞診をする前にがんセンターでセカンドオピニオンを受けたい」と申し出ました。
そのがんセンターには肝胆膵外科で有名なU先生がいることを知っていたからです。

(このセカオピの希望は、一度だけではなく、その後も訴えました。家族からも。これはあとで知ったのですが、看護師さんたちがその都度、看護日誌に記録してくださっていて、ちゃんと残っていました。)


入院中の、夜の8時頃だったと思いますが、看護師長さんに、O医師が呼んでいるからと言われ、看護師長の付き添いで、
診察が終わった薄暗い病棟を6階からエレベーターで降りて2階の内視鏡室まで連れていかれました。

後から思えば、内視鏡室で話したのはそのときだけです。訂正。執刀医からのがん告知の直後もO医師に内視鏡室に呼ばれたかも。。

それ以外の検査結果の報告などは、全て、看護師さんたちがいる6階フロアのスタッフステーションにあるパソコンデスク前でした。)


さて、内視鏡室に着くとパソコンの前に座っているO医師。
私はその横に座らされ、看護師長は少し下がって無言で席を下ろしました。

その異様な雰囲気のなか、私はすっかり緊張していました。



O医師「セカンドオピニオン希望してるって?」


「はい。穿刺細胞診をするとその刺激で細胞の活動が活発になったり、散ったりするとことがあるとインターネットで見たので、不安になって。。細胞診の前にがんセンターでセカンドオピニオンを受けたいです。


O医師「まだ癌と決まったわけでないので、がんセンターに紹介状は書けないよ。」


私「そうなんですか。。でも、細胞診はやりたくないです…」


O医師「でも、あなた、ここにサインしてあるでしょ。ほら、サインがある。」


と言って、データを取り込んである穿刺細胞診の承諾書のサインのパソコン画面を私に見せました。

確かにそこには私のサインがありました。

そのとき私は、「ああ…サインしたので、細胞診をするしかないんだな…」と思いました。。

私は、売買契約のように、承諾書も一度サインをしたら取り消せないのだと思いました。

いつでも取り消せると知ったのは、その後、ずっとあとでした。転院をしてからの病院で造影剤CTの承諾書に「いつでも取り消せます」という一文を見たときでした!

病気に縁がなかった私は、そのような医療知識が本当に乏しかったのです。


でも、細胞診を受けたくないと言っている患者に、「あなた、ここにサインをしているでしょう?」と言ったO医師は、当然、取り消せることは知っていたはずです。威圧的な態度でした。


O医師との話はまだ続きます。。


O医師「それにね、まだ検査の途中なのに、紹介状なんて書いたら私が笑われる。私が笑われてもいいから書けというなら書くが…」


「そ…そんなことは… 」


これが細胞診もセカンドオピニオンも諦めざるを得ないと感じた瞬間でした。。。


セカンドオピニオンを申し出たときの、何とも言えない雰囲気の中でのうしろめたい感情。。


結局、細胞診のあと、私は急性膵炎になり、退院が1週間伸びました 


「セカオピ断られたって、紹介状ナシで他の病院に行っちゃえば良かったじゃん!」の件に戻ります。

検査入院のあとも、チャンスはあったはず。

でも、かれこれ3週間もかかった検査入院。
しかも急性膵炎にもなって。。

もう一度同じ検査をすることに二の足を踏んでしまいました。。

(あとで知ったのですが、細胞診検査は、他の病院なら2泊3日ぐらいでできるそうです それなのになぜ3週間も…!?)



そして細胞診の結果はクラスⅢの疑陽性。

O医師の診断では、

「ここまで大きくなっていて癌ではないので、将来的に癌になる可能性はほとんどない。これは私だけの判断ではなくてチームでの判断なので、どの病院に行って聞いて貰っても同じ結果になる。(それは、セカオピでも同じということ)

ということでした。


「まだ癌ではない」ということを理由に、細胞診のあとも、がんセンターへのセカンドオピニオンを再び拒否されました。


あとで知ったことですが、癌と決まっていなくても、がんセンターでの診察は受けられます!!




…ちなみにその後、経過観察の名のもと、私の膵臓がんは、2016.6.6の手術まで放置されることになります。

最初に見つかってから1年以上が経過していました。

手術の際も、手術前入院をした手術の直前まで「癌の疑い」があることすら知らされず。。

手術も、まるでだまし討ちにあったような変な展開でした。癌の疑いがあると事前に知らされていたら、私は、絶対、がんセンターで手術していました。



さて、話は戻って、
内視鏡室での話はもう少し続きます。。


「先生、腫瘍マーカーというのがあるらしいですね。血液検査で癌かどうか分かるとか。。せめて、癌かどうか、調べてもらえませんか。」


O医師「腫瘍マーカーはね、あてにならないから。あれは、癌と決まったときに調べるものだから。」


O医師は確かにそう言いました。
「腫瘍マーカーは調べない」と。


でも、実は、この段階で、病院では腫瘍マーカーの検査をしていたんです。
そして、そのことを私は全く知らされていませんでした。

…この件はまたの機会があれば。。




こんな病院があるって信じられますか。

これでも各地にもある名の知れた大病院です。









長くなりました。。m(_ _)m 


さいごに。。。


膵臓がんの早期発見は難しく、早期に発見したとしても再発率が高いと言われています。

早期発見しても膵臓がんはほとんどが再発するんだから(仕方ない)と言われることもあります。


しかし、そうは言っても!

ステージ1での寛解率は7割あるそうです。


膵臓がん患者にとって、
7割の寛解率は
まるで夢のような話ではないですか。。



時々、思ってしまうんです。。

考えても考えても…

もう時は戻らないけれど。。


私は…

私の命を
私の人生を

返して欲しい。。と思う。



わたしにはまだ

やり残したことが

いっぱいある。。




{32F584D0-8B90-4FCC-8222-ED803AC468CE}










「神よ、願わくばわたくしに

変えることのできない物事を

受け入れる落ち着きと

変えることのできる物事を

変える勇気と

その違いを常に見分ける知恵とを

さずけたまえ」

by ニーバの祈り


今に生きる❣️
Even if I knew that tomorrow the world would go to pieces, I would still plant my apple tree.