毎日寒いね
この日は1月の大雪後の土曜日に書いています。
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今日は息子の通院&ヘアカットに付き合って市街まで出てきてます。
この後、一緒にご飯食べようかな。

おバカな息子は大雪が降った3日後くらいに早朝、バイクで出勤しようとして転びバイクのミラー等破損。
息子も倒れたバイクを起こそうとして右足を挟まれ打撲。
車もバイクも免許を取ったのがつい2年ほど前。遅咲き(?)だからなのかなかなかまだ学べないお馬鹿な息子です。

私と言えば今日、この為になんとしても休みたかったので昨日は午前2時半まで会社で仕事。
なんて要領が悪いんだろう私。
まあそんなこんなで息子に恩を売りつつ車でゆっくりできるのはかえって好都合かも。
でも毛布を持ってくれば良かったな。駐車場は日陰でじっとしてるにはけっこう寒いです。


さてデルタ株感染後の続きですが7/31に退院。本来7月末のがんセンター受診を8/2に延ばしていました。
この日は肺のレントゲン撮影。どれだけコロナ菌に肺がヤラれちゃってるかを主治医は確認。
勿論、入院した旧病棟の治療データは共有出来てる。
どうも違うサーバーを介しているようだが…

レントゲンで見ると肺の中に樹状の白い曇りがあり素人目にも炎症が分かる。入院時のレントゲンと比べながら解説してくれる。
「これが入院中でこっちが今日ね。良くはなってるけど未だ炎症が結構あるね〜」
「はあ…まあて …結構白いですね」ゲホッ。
でも通常時のレントゲン見た訳じゃないから良く分かんないのがホントとこ(;´Д`)

「そんなんで体も疲れちゃってるだろうから今月はイブランスはお休みにしよっか。」
あ?マジ?やった〜!!   
「レトロゾールはちゃんと飲んでね」
ええ ええ 飲みますとも大丈夫!

休薬はめちゃくちゃ嬉しい。
やっぱり、ざっくり抗がん剤とは言え抗がん剤。
ダルい疲れるし何より白血球が下がって口内炎は出来まくるし後半は感染症に怯える毎日。

コロナの後遺症で咳がまだ良くならない。
結局、夏中の在宅勤務は正解だったと言える。
すっかり足が弱くなり歩けなくなったけどね。

この頃、手の親指爪は大きく凹み顔もげそげそに削げていた。体重は2kgほど落ちていた。
このまま昔のようにジェットコースター状に体重が減るのではないか。
いつ会社には復帰できるのだろうか。
不安とストレスで夜眠れなくなった。
全くおかしな話なんだが体重もかなり太っていたし仕事だって忙しかったから落ち着けば会社に復帰できることはまず間違いなかったし。
心配する必要なんか全然なかったんだ。
でも本当にイライラした。
なぜ、私が…
被害者である私が会社に行けないのか?
私はうつされた方だった。
対策してないのは会社だったし。
今考えればイブランスの副作用で白血球が下がっていたのだろうし
私にも非があると思うんだがイライラした。

家には私がコロナを感染させた娘が毎日だらだらしていたがようやく在宅で仕事を始めていた。

しかし娘はちっとも肺炎が良くならずどんどんヒステリックになっていく。
私も傷跡が痛くて絶句してしまうことがあった。手術から7年も経つのに。

乳がんの再発巣もズキっと傷むことが多くなった。でも躁状態が続いていたのであまり気にしなかった。夜2時まで仕事をしたり眠れず3時4時まで時計を 眺めてベットで転げまわった。


8月22日およそ3週間ぶりに乳腺外科を受診。

この日は採血に加え胸部CT撮影。肺の様子もよりリアルに分かるし問題は再発巣。抗がん剤はいつから飲んでないだろう?

確か7/21に飲み終えたはず。コロナにかかっていたころだ。するとちょうど1ヶ月かな。


精神腫瘍科で不眠や躁状態を訴えデパケンを3錠×2回に調整した。

緩和ケア傷跡と再発巣の痛みを訴えるとなんとオキノームが10錠でた。久しぶり。一番マイルドな2.5mgではあるが医療用麻薬の一番端っこに位置する薬じゃないのか。

流石、ステージⅣ。痛いって言えば 出ちゃうんだ な。

そしてに乳外。呼ばれて診察室に入るんと早速CT画面に私の再発巣が。

「ごめんなさい、お待たせしまして」(いやSNS少し見てたらすぐだったよ?)

「それでねCTなん だけどね…これが前回、こっちが今回。」

あ  腫瘍富士山が高くなってる。「伸びちゃってますね」「うーん、ここからここまでの高さがここまでになっちゃってるし裾野も少し広がっているように見えるのよね。また、イブランス再開しましょう。白血球はちょっと心配だけど。」むうう…反駁の余地なし。だから傷跡に加え再発巣も痛かったのか。

「じゃ今日からすぐ飲みましょう。それで2週間で一回検査するからここら辺に採血と受診で一度これる?」

「はあ…まア……」というわけでイブランスは再開された。