すこ-し加筆修正します。
翌日7/21、朝 36.4℃。
9:00すぎ。
普通に洗濯・朝食などボーっとしてると一斉に会社のみんなからラインが入った。
「大丈夫?」「息苦しくないの?大丈夫?」
え?
どゆこと(・_・)......ン?
ああああ…!
私、コロナ陽性…?
昨日の39.0℃もイブランスの副作用じゃないのか。
これってコロナの熱?
でも私はまだ保健所に何も言われていない。
不思議と濃厚接触者と言われた時ほど落ち込んではいなかった。
今、考えるともう熱でボーっとしていたのだろう。
でも咳も出なかったしだるいのは毎日だし、胸の痛みもなかった。
いつものお決まりの副鼻腔炎とか胸の傷跡とリンパ浮腫の痛み。
でもなんかクラクラしたな。
その後、支店長から電話がはいる。
「保健所から今朝、会社に電話があってな、えりあさん陽性や。そんでなまだえりあさんに連絡ないのは陽性になると担当部署が変わってそっちが混んでいるから、ということらしい。会社も一旦、出社者を絞る事にしたから。それと14-16日の行動履歴表をTeamsで送るので入力して返してな。」
があっっ--と支店長は説明した。
17日(土)~は重要じゃないのか?
PCR検査20日なのに21日の検査までは記入させるのがほんとなのでは?
でも、支店長に提出すると見て直してから提出すると言っていたな…
この時にホントに申し訳ないと思ったのは「よく話をした人」に毎回出てきてしまうのは最初にLINE電話で報告をくれた右隣席の事務同僚のすーちゃんだった。
彼女は7/23にTDLチケットがあたり家族でディズニーランドに行くことになっていたし。4連休、そのあとも楽しい予定がいっぱいとのことだった。私の報告で彼女は濃厚接触者になる。でもすーちゃんを抜かすと「よく話をした人」が16日はともかく14,15日はいなくなってしまう。
直属上司は毎日ちょっとしか支店に居なかったし自分セクションの営業が出社すれば必ずコーヒーを淹れて仕事の話をしたが私だけ違うグループ席のため二言三言で終わっていた。
「よく話した人」ではない。
基本、自分のセクションのやり取りはLINEとメールgoogleのスプレッドシート、teamsだった。
私はLINEですーちゃんに「迷惑を掛けるごめんなさい。」と誤った。
そして彼女も「濃厚接触者」に指定され子供をしばらく保育園に預けられず出社も拒まれた。もちろんTDLはどこかにすっ飛びその後の楽しい予定も全滅したに違いない。
夕方15:30過ぎにやっと保健所のコロナ陽性者健康観察担当から電話があり細々と説明してくれた。
①陽性です。検査した20日から数えて10日の30日まで自宅謹慎。
②家族が濃厚接触者に指定されPCR検査になる。
③入院などを希望するか?
④文書が2つ届くこと。
⑤在宅療養だと毎日、病状確認が入ること。
⑥在宅時の注意事項(家中を消毒し家族との接触を断ちトイレ・洗面所は分けられるなら分離して消毒。入浴は最後で掃除を毎日)
私は「家族が心配なので直ぐに隔離してほしい」と頼んだ。基礎疾患もあるし。何よりも白血球が低いはずだ。
イブランスは2週間分出ていて全部飲み終えたところだ。
「施設希望ですね。ちょっと医師と相談して折り返します。」
40分ほどで折り返しの電話があり「今からだと4連休入ってしまうのでちょっと今週は難しいかもしれません。」
なんだとぉ…💢
私が濃厚接触者になったのは週初めじゃないか!
こんな、オリンピックだか何だか知らんがカレンダーの印刷にも間に合わなかった休みなんか関係ないわ💢
「え?じゃあまた39℃とか出たらどうすればいいんですか?」
「病状確認は毎朝、出来るだけ9:00ごろに入れさせていただきます。パルスオキシメーターはこれからお宅まで届けさせますから。ご住所からだと一戸建てでしょうか?ドアノブは物を吊り下げられますか?その後に電話して確認させていただきますし。」
健康確認の担当の方は丁寧ではあった。
これを一人一人にやっていくのか…
あきれちゃうな…( ゚Д゚)ヒョエー
結局、この後、又、7/22夜、39.1℃発熱。
翌朝、病状確認にで「医師に相談します。」
「熱が高いこととパルスオキシメーターの値が下がり気味(97)なのでもう入院です。」
えっ( ̄д ̄) にゅ 入院でつか!!
97って低いかな?
ぜんっぜん、息苦しくもないんだけど。
「た・だ~、うちの市内の病院で出来るかどうか…」
始まったな!!
グダグダ市政め。
「あ、私、がんセンターの旧館の臨時施設でいいです。隣がかかりつけなんで。」
…いつかもしコロナにかかるようなことがあれば直ぐにこの臨時施設にしよう…かねてから考えていたことが実現してしまう…
なんかのストーリーみたいだ。
「あ、そうですか!じゃ確認とって折り返します。」
保健所職員さんて医師でもなんでもないからなのか全部折り返しになっちゃう。
「先に入院に必要なモノをご連絡します。携帯電話、現金1万円、これは必要なモノを職員にコンビニ等で購入してもらうためのお金です。余ったらお返しします。下着はなるべく多く。洗濯出来ませんので。パジャマなども。今飲んでる薬も全部持ってきてください。洗面道具、プラスチックのコップ、保険証、お薬手帳、…」
1週間の旅行より荷物が多くなりそう…
「それと救急車で入院をご了承ください。」
わー、ご近所に見られる…
回転灯回しながら救急車で高速に乗って○○km先の病院へ行くのか
(´‐ω‐)=з フー
まあ良いよ。もうなんでも。
今度はすぐ電話が来てでもそれは娘へだった。
「ご本人は具合が悪いと思いまして…」と。
娘に病院を聞くと「救急車が連絡を取ってから決まるの」と。
そうだね!いつもそうだったわ。
何回も救急車にお世話になっております。
救急車は割合、直ぐに来た。
救急車はZ市のどこかの病院に確認をとって直ぐに出発した。1件目でOKが出たみたいだ。
私はめまいを起こしながらも荷物を自分で運べるぐらいだった。
娘と息子はそれを見送ってからPCR検査へ向かった。
もう、前の晩には息子も「だるくて仕方がない。感染してると思う。」と言っていた。
ただ、私が入院出来れば皆に私の病状や食事などで迷惑をかけずに済む。
救急車には座って行った。
なんか申し訳なかった。
そんな病状でもないのに。
ブレーキがかかるたびにスーツケースが動きそうになるのを足で押さえながら考えていた。
救急車はタダでも回転灯をぺかぺかやっているのに交差点で信号を無視する時や退避してくれた車を追い越すときは更に加えて「ウー ウー」とうなった。
本当に想像も出来ない事態だった。
後で考えるとホントに冷静じゃなかった。39℃の熱を2度も出していたから。私は痛み止めを3種類、毎日飲んでいてその中の1つに解熱作用のあるアセトアミノフェンを1日2回服用して自ら熱を下げていたのだった。
救急車は高速道路に乗り下り方面にに向かったらしい。
カーテンで周りが見えない。隙間から目を凝らしていつもの道だろうか…と推し量る。
1時間もかからず道を曲がってどこかへ入って行く。
がんセンター旧館の壁のようだが真後ろにも病院があった。
まさか、そこじゃないよね?
「…ここで右です…」運転席の隊員さんたちが話してる。こんな私の搬送のために3人も来てくれたのだ。
車が止まり5分ほど全員で待機していた。
にわかにバンと後ろのドアが両開きに開き「えりあさんですね?ここは前にあなたも入院したことのあるがんセンター旧館の臨時施設です。これから入院していただきます。」防護マスク・防護メガネ・防護服の人たちが私を待っていた。
明日へ続く~