足はなかなか直らない。
直ぐに5月15日に打った腰がどうにも痛くなってきた。
腰は姿勢を保つのもしんどい。
5月28日。忙しくなる仕事の合間に休んで激混み整形外科に行くと先生の一喝が待っていた。
「どういうことなの!」
先生は中年のちょっと禿げ散らかした恰幅のいいの男性。声も大きいしすぐ吠える。
「いや、先日の受診の前、朝、浴室で転んでるんです。洗面所と浴室の間の仕切りにいやというほど腰を打ち付けて。でもそんときはそんなに痛くなかったんです。」
先生のがあーに応えガッーと言い返すと先生は素直に「そうなの。じゃレントゲンを撮ってみよう。」
もっと怒られるかと思ったがこの先生は性根はすごく優しい先生なのだ。
レントゲン写真を前にして診察で先生は今度は悲しげにこちらを見つめてがりがりと自分の胸を大きく斜めに掻きながら「腰が痛い原因が分かったよ。」と無造作に言い放った。白衣(薄いブルーだが)の胸元からも腕からももさもさした体毛が見えている。
(え?腰を打ったから痛いんでしょう?)
つい不謹慎にも"言葉が分かるゴリラが処分されることになり悲しげに胸元をかきむしるシーン"を映画で見たことを思い出した。
そんなことより先生の態度に驚きながらレントゲン写真を見つめると先生が説明しだした。
「ほら、ここに筋が見えるでしょう。ずれっちゃってるんだよね…ここ…1mmいや2,3mmもずれてるか…脊柱管すべり症って言ってね、子供のころ、中学生ぐらいかな…成長期に無理に荷重がかかるとなりやすいんだよね。」
「ほんとだ。断層がありますね…こう…水平に…ハッキリと。でも…30代で仕事で腰を壊したことあるんです。アレンジとか店舗装飾品扱って重い段ボールを押したり天井に装飾したり1日中腰曲げたりで。その一年間、整形外科に係ってていて原因が分からなくて。一年後にMRIを取ったら腰椎の椎間板が一個真っ黒になってるって”中身が壊死してる”って言われました。」
「その時にすべり症とは?」
「全く言われません、中身が”真っ黒で壊死”だってもうやりようがない、その腰椎の椎間板は中身が無いからつぶれるだろう、次はその上の腰椎の椎間板がやられるって…」
「いや、椎間板は黒く映ることがあるんだよ、○○になると…どこだ?その整形外科!」
その時はS町に住んでいたので隣のSA市のJR駅に近いところだったかな…」
「まくら整形外科か!」
「はあ…」すると読影ができなかったってこと?
ともかくこの断層が子供のころにできて体が疲弊すると出んだよ、その時は判らなかったかも知らないけど!」
先生は興奮して言葉が荒くなってる。
「この間、浴室で滑ったときに断裂ができたのでは?」
一応、念押しでもう一回聞いてみる。
すると先生は落ち着いて自信たっぷりに「いや、成長期だね。」今度は静かに力強く。
「…じゃ子供のころからってことは時々、強い衝撃とかでなるってことですか?足首の捻挫も関係してますよね?負担がかかっているところに腰打って衝撃でかなりずれちゃって痛みがあるってことですか?筋力低下も関係してますか?抗がん剤、3年以上のホルモン剤も売っていますから。で、今はどうすればいいですか?」
先生が胸をばーりばーり掻いていた訳が分かった。それは私に対する絶望と憐み。そして過去の整形外科治療に対する憤り。
「こんなのどうかな?アレ、お願い。」後ろを振り向くと助手の方がさっと白いコルセットを差し出した。
「あっちで巻いてあげて。」
処置室でコルセットを巻いてもらいながら思いが巡った。(このコルセットお馴染みのヤツじゃないか…こいつにはさんざん世話になったな……30代半ばで腰椎つぶれている、治療法がないって言われて絶望したな…その時もこいつのお世話になったな…最近、なんかの雑誌でコルセットに頼りきりになると良くない、自分の筋肉を鍛えろって記事見て意識的に避けていたな…)



最後に脇のテープは若干引き下げるようにしてマジックテープで止めます。はい、これの2タイプね。ハイ、先生のところに戻ります。」説明書を渡されながら診察室に。
「どう?」
「いいですね。腰が安定しますね。」
「これでしばらく養生して。」
「そのあとは筋力とか体幹を鍛えろって事ですか?」
「そうそう、そうだね。」
私に何もかも言われてしまうのか先生は言葉少なに答えた。



両足首はぐらぐら、腰もぎくぎく。
でも会社には週4日ほど通った。
がんになって復帰してからは時給契約だし最近は仕事も少なくしてもらっているので最低限やらなければいけないことだけにして毎日会社に車で通勤した。
何より怖いのは階段だった。
初回の診察で整形外科の先生に「階段は?」とわざわざ質問を受けて「手すりにしがみついて登りました」と答えている。
段差が何よりも障害だった。会社ではエレベータを使いまくることもできたが家に帰ると浴室も洗濯機も洗髪用ボウルのついた広い洗面所も全て二階にあるのだった。
一日に二回入っていたシャワーを一回にした。
洗濯は家事の中で一番好きなので階段を這って登ってやったが娘・息子がやってくれるというときはお言葉に甘えた。炊事もやらなくてはいけない夜もあった。キッチンに寄りかかってご飯を作った。足底の骨がメリハリ言った。


でもやっぱりなかなか治らない。家ではガーデニングも庭掃除程度しか出来ないし携帯やタブレットを抱えてるとリンパ浮腫で傷んだ両手がズキズキした。毎日 、テレビやネットTV、画面だけを見て過ごした。
(これじゃ本当に老人だな…いや今の老人はもっと活動的だわ…)
がんサバイバーであること生きていくこと様々な思いが頭を過るものの絶望してあまり考えたくなかった。

庭のお花から
エキナセア

ローズドオオサカ

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