いろいろあるけどとりあえず見てないやつは後にするとして。
かえでぃーの卒業メモリアルフォトブック(たぶんグッズで卒業メンバーが出す恒例のやつ)を、まさかの松岡茉優さんがプロデュースするという驚きのお知らせがあったり。
すげぇな。
とても良い企画だと思います。
不安なのは、速攻で売り切れてしまわないかという点。
それと、こんな企画ができるならもっと早く……というかモーニング娘。全体でフォトブックとか出してそれをプロデュースしてもらえばいいじゃん、前にアンジュでそういうのやらなかったっけ?(蒼井優さんとかがプロデュースしたやつ)
とも思いましたが。
先輩の高橋愛ちゃんだって前から何度も「モーニング娘。の写真集を私がプロデュースして撮りたい」って言ってるんだけど、事務所がYESと言わないらしいんだよねぇ。
苦肉の策として、愛ちゃんのフォトブック内の企画としてフクちゃんと対談したりほまめいをコーディネートしたりしたわけですが。
モーニング娘。にそんな素晴らしい企画をやらせるわけにはいかんという事務所のお偉方の息遣いが聞こえてくるようです。
なんてついつい思ってしまう事務所不信。
まぁそれは置いといて、びっくりしたのが卒コンで恒例の“卒業するメンバーからのお手紙朗読”をコンサート内ではやらず、3日間に分けてブログで書くというかえでぃーのやり方。
早速スタッフさんたちへのお手紙ブログが公開されました。
ふむ。
これはかえでぃー本人の希望だと捉えていいんだよね?
だとすれば「本人がそう望むならしゃあない」というのが最終的な結論なんだけど、一回個人的な希望を言わせてもらうなら、お手紙はやはり卒コンのなかで肉声を聞かせてほしかったかなーと思わないでもありません。
少しでも長くパフォーマンスしたいとか、卒業だからと湿っぽい雰囲気にしたくないとか、たぶんそういう気持ちでこうしたんだろうけど、それはわかるんだけど、卒コンは卒コンらしくあってほしいという気持ちもないといったら嘘になる。
かえでぃーは特に、他のメンバーの話からもわかるように、かつてないほどに卒業という雰囲気を感じさせない振る舞いをしてるように見えて。
本人の性格を思えばまぁ順当ではあるけども、こっち(ファン)としてはもっとそういうのを感じたいなと思っちゃうこともあるんですよね。
卒コンにしても、あまりにも卒業という雰囲気がなさすぎると、消化不良に陥ってしまいそうでちょっと恐い。
こちらとしては、わかりやすく言えば「泣きたい」わけです。
寂しいとか切ないとか、思いっきり感じながら、卒業を見送りたい。
だってそれくらい好きなわけだから。
それくらい卒業を惜しんでるわけで、それがあまりにあっさり終わってしまったら、この出かかった涙はどうすれば……と途方に暮れてしまいかねない。(かもしれない)
大好きなメンバーがひとり卒業していくというカタルシスを感じることは、卒コンにおいてなくてはならない感情であり(こう言ってよければ)演出だと思うのです。
もちろん無理矢理泣ける感じを出してくれとかそういう演出をしろとは言いませんけど、逆に無理矢理そういう感じを封じられ過ぎても不自然だよなぁって。
だってメンバーが卒業するのに、まったく寂しくないわけないでしょう?寂しいんだよ。だからその寂しさを思い切り発散させてほしいの。普通のコンサートじゃなく卒業コンサートだということをひしひしと感じながら最後の時間を過ごしたいわけさ。
わかりやすく言うとそんな感じ。
まぁかえでぃーの場合、たとえライブ中にお手紙を読むことにしたところで、そこまで泣けるような空気にはならない(しない)だろうとは思いますけどね。
むしろだからこそ「だったらパフォーマンスに全振りしちゃえ」と考えたのかもしれませんけども。
ただ、お手紙の件に限らず、最近は卒コンというものがどうにも機械的になっている気がしてちょっとやだ。
この話は前にも書きましたかね。
以前のような、メンバーひとりひとりからの長いメッセージも省略されて、卒コン全体が簡略化されてしまっている、という話。
これでお手紙まで読まなくなったら、いよいよ卒コンっぽさが皆無になり、でもメンバーは卒業していくという、気持ちと状況が上手く嚙み合わない感じになってしまわないか不安です。
昔はるなんが卒業する直前にゲストで出たラジオ番組のパーソナリティが言ってたんですけど、卒業ライブは「湿っぽいのはイヤだから」なんて言って変にあっさりさせないで思いっきり泣けるものにしたほうがいいよ、ファンの人はみんな泣きたいんだから、みたいな話をしていて、個人的には「よう言ってくれた」と思いました。
メンバーって結構「泣きたくない」とか「湿っぽくしたくない」とか思いがちよね。
あっさりさっぱり卒業したがるというか、泣けるコンサートにはしたくないと思ってる節がある。まぁそっち側の立場としてはわからんでもないけど。
でもこっち側としては、そういうのもある程度はあってほしいんですよ。だって卒業なんだから。どう取り繕ったところで、これが最後なんだから。
最後くらい湿っぽくしてくれ。
最終的に笑って旅立てればいいから。
涙も必要なときだってあるよ。
などと思うところです。
でも最初に言ったように、本人がそう望んだのならそれでいいですとなってしまうのが盲目ヲタの末路でもあります。
最後だからこそ、本人のやりたいようにやってください、という。
そんな気持ちと気持ちに挟まれながら、武道館での卒コンを見ることになるでしょう。
いままでで一番受け入れ難かった卒業はりほりほなんだけど、一番切ない卒業だったのはライサバの亀ジュンリンでした。
あれは泣いたなぁ。めちゃくちゃ切なかった。
ライブはもちろん、その前からずっと切ない日々だった。
でもあのとき泣いたからこそ、そこでちゃんと“終わり”を感じられて、次の新しいモーニング娘。を応援していくことに気持ちを向けられたと自分では思ってるんですよ。
涙が必要なときもあるというのは、そういう意味です。
そしてそれはファン側の気持ちだけでどうこうするのではなく、ある程度はあちらからそういった演出(的なもの)もする必要はある、という話。
なんて言って、全然泣ける雰囲気じゃなくても泣いてる可能性はあるな。もちろんかえでぃー推しの人はそうなってもおかしくはないけど、自分もね。
ちょっとこの話で長くなりすぎた。
卒メモDVDのダイジェストとかMV鑑賞会動画とかの話も書きたかったのに。
それはまたあとにしましょうか。
といってももう卒業までわずかしかない。その前には書きたいけど、そんな時間があるだろうか。