昨日の更新の最後にもちょろっと書いたことなんですが、それに関してもう少し書きたいなと思ったので書きます。

 

 

 

 

『Happy birthday to Me!』のMV動画のコメント欄を見ると、「歌割りが平等で嬉しい」とか「見せ場が均等にあって素晴らしい」みたいな意味のコメントが結構あるように思えて。

 

 

まぁ昨日のやつもそれを受けて書いたことなんですけど、たしかに今回の曲はそういう部分がわりとどのメンバーにも平均的にあるなとは思いました。

 

 

 

それはそれで別に悪いことではないんですが、なんかあまりにも「平等」ばかりを賛美するのもどうなのよと感じてしまうわたくし。

 

 

歌割りが平等というだけで、そのことをそんなにも持ち上げるほど喜ばしいことなのか、というね。

 

 

 

 

 

前回も書いたけど、歌割りが平等にあることが作品にとって必ずしも正解とは限らないでしょう。

 

 

メインとなる1~2人を主軸に置いたほうがいい場合だってあるはず。

 

 

今回のこの曲はこれでいいとしても、今後モーニング娘。のすべての楽曲が「平等」という基準で歌割りを決められるようになってしまったら、それはホントまじでやめてくれと思います。ホントまじで。

 

 

 

歌割りが平等だから良いものだ。

 

 

そういう風潮、個人的にはやめてほしいなーって。

 

 

 

 

だってそんなの思いっきりド素人の判断基準じゃないですか。

どのメンバーにも見せ場があってほしいから。あるいは普段歌割りの少ない推しにもっと歌ってほしいから。

そういう、ファンの願望としては間違ってないけど、決してプロの側が汲んではいけないものを基準にした意見ですよそれ。

 

 

もしもプロの(制作)側がこういうファンの声に惑わされてそれに依った楽曲制作をしてしまったら、それはプロとして敗北でしょう。

 

 

 

 

 

モーニング娘。のレコーディングは、毎回オーディション(のようなもの)であるというのは有名な話。

 

 

1曲全部歌って、どの部分がどれくらい自分のパートになるかは曲が完成するまでわからない。

 

 

だからこそメンバーはみんなそこで良い結果を出すために、頑張って努力してレコーディングに臨むわけです。

 

 

そんなメンバーに対して、外野が「歌割りを平等にしろ」と訴えるなんて、それはちょっとメンバーに失礼なんじゃない?と思うんですけどね。

 

 

私たちのこの頑張りどうしてくれんの?って思うじゃん。メンバーからすれば。

彼女たちの努力を、ファンが無下にしてどうすんのよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

平等平等ってさも素晴らしいことみたいに言うけど、そう言ってる人たちはちゃんとわかってるのかな。

 

 

極端に言えばだけど、歌割りを常に平等に配分するということは、どれだけ歌の上手いメンバーでも、下手だったけど頑張って歌が上手く成長したメンバーでも、いま以上それ以上に歌割りが増えることはないってことなんですよ。

 

 

最下位がいない代わりに、1位もいない世界。

 

 

頑張っても頑張らなくても、貰えるものはみな同じという世界。

 

 

歌割りを平等にするということは、要するにそういうことでしょう。

それをちゃんとわかって彼らは平等平等言ってるのか、ちょっと疑問です。

 

 

 

 

 

でもそうか、たとえば自分の推しがいつも歌割りが少ないとすれば、1位にはなれなくても最下位にならないという保証がある分、そのほうがいいと思う可能性もなくはないのか。

 

 

常に平等ということにしてしまえば、歌が上手かろうが下手だろうが関係なく、決まった一定数の歌割りは貰える。

それ以上になることはなくても、安定した供給があるほうがいい、という考えね。それもまぁ、わからなくはないけど。

 

 

 

 

しかしなんというかそれは……負け犬の考えだよな。

 

 

利口ではあるけど、情けない。美しくない。

だから「歌割りを平等にしろ」というのは、それこそ推しに対してめちゃくちゃ失礼極まりない。

推しを、それで満足するような人間だと思ってるって言ってるようなもんですやん。

 

 

 

 

 

 

 

 

こういう諸々の考えを見てると、ある時期に小学校の運動会で順位をつけなくなったとかいう話を思い出しますね。

 

 

いまはどうなんだろう。

わたくしが小学生の頃はもちろん普通に運動会では1位も2位もビリっけつも決まるし、クラス対抗勝負の勝ち負けも存在しましたが。

 

 

 

たとえば徒競走で一番になっても、それは1位ではない。

その代わり、最下位になってもそれはビリではない。

 

 

たとえば綱引きでクラス同士が闘っても、勝つこともなければ負けることもない。

 

 

 

実際そういう感じだったのかは知りませんが、そうだったとすれば、なんともおもしろみのない運動会だなぁと思っちゃいますよねぇ。

 

 

 

それでいったい何が得られるのか。

 

 

1位もビリもない。勝ちも負けもない。

そんな価値観を子供に植え付けて、いったいなんの得があるというのか。

どう見たって1位やビリが生まれてるのに、それをなかったことにして、誰が喜ぶ?

 

 

いずれ成長して社会に出れば、そんなものは子供騙しの大嘘だったと嫌でも思い知るのに。

 

 

むしろ、社会は厳しい、順位とか勝ち負けとかハッキリしたものはなくても、それに近い“差”というものは歴然と生まれる、そう教育したほうがいいのではとさえ思いますが。

 

 

 

 

 

 

 

 

話がちょっとズレましたけど、歌割りを平等にするとか、見せ場を全員に均等に作るとか、それはあくまで作品を見せる際のひとつの“手段”であり、それがグループとしての基本原理ではない……というかそうなってほしくはないと、個人的には思うところです。

 

 

 

 

 

常に平等な歌割り。

 

 

悪いとは言わないけどさ、ぬるいよね。

 

 

 

ぬっるい。

 

 

みんなそんなぬるさをモーニング娘。に求めてるんですか?

そういうモーニング娘。を望んでるの?

 

 

メンバーたちはみんな、そんなぬるさのなかでモーニング娘。をやっていきたいと思ってるのかなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

歌割りの平等主義的なコメントが多い状況を見て、「ファン層が変わったのを実感する」みたいなことを書いてる人もいたんですが、やはりそういうことなんでしょうかねぇ。

 

 

まぁある程度は変わってるでしょうけど、いつのまにかこんなにも平等をよしとするファンがひしめいているとは、驚きです。

 

 

そういう人たちって、やっぱり運動会で順位がつかない教育を受けてきてたりするのかしら。

それとも関係ないのかな。うーむ。

 

 

 

 

 

そういう人たちがプラチナ期に娘。ヲタだったら、『リゾナントブルー』の歌割りにはさぞや怒り心頭したことでしょう。

 

 

でもあれはメインボーカルを3人に絞ったからこそあのクオリティーに仕上がったと思うんだよねぇ。

 

 

安易に歌割りを散らすのではなく、一点(3人)に集中させて余分なものを削いでいったからこそ、ああいう洗練されたクールだけど熱い名曲が生まれたんでしょうに。

 

 

 

 

 

 

 

 

まぁ考え方は人それぞれと言ってしまえばそれまで。

 

 

個人的な願いとしては、どうか制作側のみなさんは平等とかそういうことを気にし過ぎず、作品の性質に合った歌割り/メンバーで良いものを作ってください、という感じです。

もちろん歌割りを均等にすることがその楽曲にとってベストと思えば、そうしてほしいですし。

 

 

歌割りが平等とか偏ってるとか、そんなのは所詮ファンのバイアスがかかった、理想や願望のフィルターを通しての感想なのでね。