誰かの卒業が発表されると、ほとばしる思いの丈をダラダラ書かずにはいられなくなります。

 

 

 

これはいわば心のリハビリのようなもの。

 

 

そうしないと、自分のなかに落とし込むことができない。

 

 

お時間ある方はお付き合いください。

 

 

 

 

 

 

 

何度か書いてるように最近は昔のハロモニばかり見てたから、すっかり懐古厨になっておりまして。

現役モーニング娘。よりも目にしてる時間は多かったかもしれない。

 

 

心が“あの頃”に戻っていたので、現役に関しては「いま誰かの卒業発表があってもそこまでショック受けないかもな~」とか思う気持ちもちょっとだけありました。

 

 

たわけたことを。

そんなわけないのにね。

 

 

めちゃめちゃショック受けたよ!この通りだよ!

 

 

 

 

 

 

 

そんなことはさておき。

 

 

当たり前だけど、卒業しますと言われてただただ純粋に「そうなんだおめでとう!」なんて思えるわけもなく。

 

 

ショックだし寂しいし悲しいけど、でもこれ以上まーちゃんが苦しむのは絶対に嫌だなぁという気持ちも同じくらいあって。

 

 

 

過敏性腸症候群について、自分は何も知らないに等しい。

ネットで軽く調べてわかるようなことくらいしか把握できてないけど、モーニング娘。として活動する上で(場合によっては私生活でも)とても大変なんだろうなという察しはつきます。

 

 

それこそ、卒業という道を選ぶくらいに。

 

 

その病気自体の痛みや苦しみだけじゃない。

いつ症状が出るかわからないというのも厄介で、常に緊張を強いられることは精神的にもよくないはず。

 

 

ライブも何度もお休みするしかなくなって、みんなに迷惑をかけてしまうと感じるプレッシャーもあるでしょう。

 

 

まーちゃん自身、大好きなライブに出たいという気持ちばかりが募っていって、でも休むしかない状況に焦りや苛立ち、悲しみもあったでしょう。

 

 

心も身体も、とても苦しい状態。

 

 

辛いよ。それは辛い。

こっちは病気が治るのをいつまでも待つつもりだったけど、本人はその辛い状態をずっと(治るまで)耐えなくちゃならないんだから。

 

 

モーニング娘。を卒業することでその心身の苦しみが少しでも和らぐなら、それを「嫌だ」なんて言えないじゃないですか。

 

 

 

それを改めてじっくり考えてみて、やっぱりこれ以上まーちゃんに苦しんでほしくない、少しでも楽になれる選択をしてほしいと、素直に思いました。

(この状況での“卒業”という選択もそれはそれで辛い部分もあったとは思うし、楽になりたくてした決断ではないにしても)
 

 

 

 

まーちゃんがモーニング娘。を卒業してしまうこと以上に、まーちゃんが身体のことで苦しむことのほうが辛い。

 

 

もう苦しんでほしくない。
そう思えば、こちらの心も少しは軽くなる気がするのです。

 

 

 

 

 

結局自分が楽になりたくてあの子を案じてるだけでは?とも思うんですが、でもこれは最初に言ったように心のリハビリみたいなものだから。

少しでも受け入れられるように。まーちゃんの決断を、明るく後押しできるように。

自分なりに納得して、落とし込みたい。

 

 

 

 

 

 

 

心のリハビリはさらに続きます。

 

 

もしもの話になりますが、場合によっては娘。を卒業したあと療養のために表舞台から姿を消してしまう可能性だってあったわけで。

 

 

おそらく、身体のことを思えばそのほうがいいのでしょう。

でもまーちゃんは表舞台で音楽を続けていくことを選んでくれた。

 

 

そのきっかけのひとつとして、やっさんの存在があったとブログに書いてましたよね。

 

 

逆に言えば、もしやっさんがいまソロでステージに立っていなかったら、まーちゃんも卒業と同時に芸能界から去ってしまっていたかもしれない。

 

 

あくまで「かもしれない」の話ですけど、そう考えるとこのタイミングでりほりほがまた表舞台に帰ってきてくれたことは運命だったのかななんて思ったりしちゃったり。

 

 

 

こういうときは、いさぎよく運命論者になってしまうのも悪くない。

 

 

なにもかも巡り合わせの結果ならば、この選択にも意味があるのだと思えるから。

 

 

 

 

卒業は寂しいけど、悪いことばかりじゃない。

 

 

まーちゃんの身体のことも、これからの活動のことも、いつか「あのタイミングでの卒業は最良の選択だった」と思える日が来るかもしれない。

 

 

 

そう思いたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな風に前向きに受け入れる気持ちがある一方で、やはりどうしたって寂しいし、満足に活動できないなかでの卒業を無念に思う気持ちも確かに存在する。

でもそれはたぶん、卒業を前向きに捉える気持ちと相反するものではなく、どこか別の領域にあるのだという気もします。

 

 

そのふたつは、矛盾しているようだけど両立する。

 

 

同じ場所の別の領域で、同時に存在している。

右脳と左脳のように。自我と超自我のように。

 

 

 

前向きになったりウジウジしたり、感情が忙しいね。

 

 

 

 

 

 

 

なんにせよ最終的に思うことはひとつ。

 

 

 

まーちゃんが心から楽しんで笑っていられる世界であれ。

 

 

 

 

 

 

 

何かを変えていくことの恐さを乗り越えて決断できる人は本当にすごいな……