最近はコロナの影響でエンターテインメントの優先度みたいなものが軽視される傾向がチラホラ見受けられますが、欝々とした精神にはやはりエンタメが必要だと思うんですよね。いままで幾度となくエンタメに救われてきた身からすると。
というわけで繭期な話でもしましょうか。
先日、鞘師里保ちゃん主演で『黑世界』という音楽朗読劇が上演されると発表がありましたが、LILIUMや二輪咲きからもう5~6年経ってるわけで、ビジュアル的に大丈夫なのかと思う人もいるかもしれません。
なにしろリリーは不老不死。
でも当時十代後半だった女の子がいまや二十歳を越えているわけで、見た目が大きく変わってしまってやしないか、という懸念もありましょう。なんたってNew YorkでDanceを習ってたんですからね!
しかしご存知の通り、我らが鞘師里保ちゃんは2020年になってもあんまり変わってないというか、なんならベイビーみが増したというか、まぁ大丈夫です。
あぁ愛しの前歯!
これなら数年ぶりのリリー役もなんの違和感もないでしょう。
不老不死を地でいく鞘師さん、さすがのプロ意識です。
ところで前回も言ったように、久しぶりにLILIUMと二輪咲きの映像を見ました。
やっぱり好きだな~という、何度思ったか知れない感想を今回も抱きました。
そこで四方山話。
「君は僕であり、僕は君なんだ」というのは、『TRUMP』をはじめシリーズで繰り返し出てくるフレーズですが、ソフィとリリーにとってはまさに文字通りの意味を持つんだなぁと改めて思いまして。
これまでは言うて比喩的な台詞だったと思いますが、ソフィとほぼ同化したリリーは、まさにリリーでありソフィでもある。逆もまた然り。
であればこそ、LILIUMのライネスシーンでの「リリーがソフィのイニシアチブを上回る」ということが可能だったわけです。
この辺、本編ではあんまりちゃんと説明されてませんが(のちのシリーズ作品では言われてるけど)、同じイニシアチブは意思の強さによって決定されます。
加えてあのときソフィは血を出し過ぎて貧血気味であり、元々ダンピールでもあったから純血種のリリーよりも“吸血種”という点で劣る存在でした。
そんな弱ったダンピールであるソフィよりも、ソフィと同じイニシアチブを持ち、みんなをこの偽りの楽園から解放したいと願ったリリーの意思のほうが強かったため、あんなことができてしまったわけですね。
こんな説明はいまさらかもしれませんが、最近見てあまりシリーズのことをよく知らない人にとっては、ちょっと「?」なシーンかなーと思ったので改めて説明してみました。
(自分も一番最初に見たときはあそこが若干よくわからんかった)
ところで。
これは二輪咲きを見て思ったんですけど、シルベチカってチェリーがダンピールであることを知ってるんでしょうかね?
二人はクランに来る前からの幼馴染という設定ですが、おそらく純血種であろうシルベチカは、親友のチェリーがダンピールであることを知っているのかいないのか。
ここ、はっきり言及されたことはなかったはず。
地味に気になりますよね。
ダンピールだとわかった上で仲良くしてるのか、それともチェリーはシルベチカにさえそれを隠しているのか。
なんとなく、シルベチカはわかってるんじゃないかという気はします。あんまりそういうの気にしなさそうだし。
それと、チェリーはダンピールなのになぜあんなにも明るい性格なのか。
シリーズで出てきたダンピールって、ほとんどが鬱屈とした奴らばかりじゃないですか。
寿命が短いからそりゃあそうなるよとは思いますけど、ソフィにしろマリーゴールドにしろネブラ村の人たちにしろ、みんなとにかく暗い。例外はハンターの春林くらいでしょうか。
でもチェリーは元気だし明るいし騒がしい。
元々そういう性格なのか、あえてそう振る舞っているのか。
っていうか自分たちがファルスのせいで長く生き続けてると自覚してないということは、チェリーも「自分は繭期を超えられないかもしれない」と思いながら生きてるわけですよね。
それであの明るさだとしたら、すごくないですか。
ファルスはイニシアチブで「自分はダンピールである」ということを忘れさせることもできるでしょうに、それはせずに「私はダンピールだからもうすぐ死ぬかもしれない」と自覚させながら生かしているあたり、性格歪んでんなぁと思わされます。
みたいなことをぼんやり考えるの楽しい。
もっといろいろありますが、まぁこのくらいにしておきましょう。
シリーズがどんどん人気になって、LILIUMもたくさんの人に見てもらえるのはハロヲタとしても嬉しいことです。
チケットが激しい争奪戦になってしまうことだけが難点よ。
LILIUM上演当時は、上演期間内でもまだ追加で買えるくらいだったのにねぇ。