まーちゃんの例の水着の話がやけに話題になっていて、そのこと自体、ああいった問題がいままで本気で考えられてこなかった証拠なのかもなと思ったりしました。
賛否いずれの意見にせよ、「アイドルなんだから水着くらい着るでしょ」という“常識”に誰もが(世間も事務所もアイドル本人も)囚われ続けてきたのだ、という。
しかしそれは決して“常識”なんかじゃなく、ただそういったことをみんなが軽々しく考えていた結果に過ぎないんだよ、と年若いアイドルであるところの佐藤優樹ちゃんに教えられたような気がします。気がしただけかもしれませんが。
……とか書いておいてナンですけど、この話について考えるほど、最初の場所から離れていってしまうような気分になるのは相手があのまーちゃんだからでしょうか。
自分でいろいろ考えて納得し、「こういうことだよねまーちゃん!」と後ろを振り返ったら、当のまーちゃんはもうとっくにどこかへ行っていた――みたいなイメージが浮かびます。
まぁそれはそれで自分なりの意見ということでいいかとは思うんですが、まーちゃんのあの飄々とした、柔軟で自由な思考を前にすると、くそ真面目に考えてる自分がアホみたいに思えて笑えてくる。
こないだの拙記事にも書きましたが、そもそもこれはラジオというエンタメの会話のなかで生じた話であって、別にまーちゃんが崇高なる意思でもって「こうであるべきぞ!」と声高に主張したわけではないんですよね。
言ってしまえば、聞かれたから自分の意見を答えただけ、というもの。
ただそれが世の中の一定数の人々の琴線に触れるものであったから、こうも話題になり、ひとり歩きしているんだろうなと。
そういうことを踏まえた上で、こないだの記事と、↓に書いた駄文をお読みいただけると幸いです。
つまり、発端こそまーちゃんの(ラジオ内での)話ですが、書いてあることの9割は「そこから考えた自分の意見」であるということ。
他人が勝手にまーちゃんの主張を代弁している、みたいなことにはなりたくないので、一応そう記しておきます。
読むのがめんどくさい方は、(※)から(※)まで飛ばしてもらっても構いません。長いので。
(※以下、↑の文章を書く前に書いたもの)
まーちゃんの水着話について先日も書きましたが、少しばかり補足を。
「もうええわ」と思う方はスルーしちゃってください。
この話の誤解されがちな点として、
・アイドル全般の水着仕事に関する賛否の話ではない
・水着仕事をやっているアイドルを馬鹿にしているわけではない
・1億8000万とか600億という数字はあくまで言葉の綾であり、金儲けがしたいわけではない
ということを改めて言っておきたい。
その辺を勘違いして的外れな批判をする人がいるようです。
一番最初の項目ならともかく、二番目と三番目に関してはもう、「とても頭が悪いのですね……」と言うほかないですが。
おそらく発言の、あるいはネットニュースの上澄みだけをすくいとり、たいして考えもせず反射的に批判しているのでしょう。
もちろんラジオ音源なんて聴いてないでしょうし、聴いたところできちんと理解する頭があるとも思えませんけど。
じゃあどういう話なんだ、ということを、まーちゃんでもない人間が勝手に主張するのは少々憚られますが、わかりやすく言うなら「ああいった(肌を多く露出する)仕事に関しての認識を問い質した」というところでしょうか。
もちろんそれだけではないし、まーちゃんがどれだけ自覚的に言ったことなのかも不明ですけど、とりあえず、いままで無視されがちだった「水着仕事をさせられる側」のひとつの考え方を、ジェンダーの枠に囚われずに表明したという部分が(大げさに言えば)センセーショナルでした。
これまでずっと、「仕事だから」「アイドルだから」という“常識”とされてきた事柄について。
その“常識”によって、考えることすら放棄していた人々への警鐘。(どうしても言い方が大げさになってしまうな)
言ってしまえば、その“常識”というのは“旧い常識”です。
時代遅れといってもいい。芸能の世界にはありがちな、悪い意味での“伝統”でもありますね。
こういった事柄についての認識は時代と共に(より健全な方向へ)どんどん変わってきています。
いつまでも“旧い常識”が通用するわけではない、ということです。
これは別に、「アイドルに水着仕事をやらせるな!」という主張ではありません。
そうではなく、ずっと見て見ぬふりをされてきた「する側」の意思と選択肢をしっかりと認識し、尊重しなければならない、という主張です。
「ほとんど裸同然の姿を撮影されることに抵抗をおぼえる」
「仕事だからとそれを要求するのなら、相応しい対価を払うべきだ(それは金銭の要求が主眼にあるのではなく、単にその物事を軽々しく考えるなと言っている)」
といった意見を黙殺してしまうことは、健全とは言えません。
もちろん仕事として積極的に水着になっていく人もたくさんいますし、まーちゃんだってそういう人たちに対して何か言っているわけではないでしょう。
そこを勘違いしないことが重要です。
水着のグラビアというものがビジネスのひとつとして確立されていることは、まーちゃんだって承知の上なはず。それを否定してるわけじゃない。
でもそれをみずから進んでやろうとする人と、そうでないのに「仕事だから」と強要される人とでは、意識の差が生まれるのは当然のこと。
そのときに、後者の意見に誰も耳を傾けず、「女の子のアイドルはそういうのをやるものなんだよ」と押しつけてしまうことが問題だ、という話なんじゃないかと思うんですよね。
ざっくり言えば、個の意思がないがしろにされていることが問題。
わかるでしょうか。
大半の人はわかってらっしゃると思いますが、そうでない、論点のズレた捉え方をしている人もいるようなので改めて具体的に指摘してみました。
まーちゃんの話を、「水着仕事をしている人を馬鹿にしている」とか「無神経だ」と短絡的に批判する人がいるみたいですが、むしろ誰よりもそういう仕事をしている人を理解し、尊重しているからこそ出てくる意見なのではないかなぁと思います。
「無神経だ」と言ってる人のほうがよほど無神経ですよね。
まーちゃんの意見に対しても、水着仕事をする人に対しても。
どの意見が正しいか、という結論を出したいわけではないし、そんなものは重要ではありません。
ただどの意見であれ、それに正当性があるならばきちんと考えられ、顧みられ、尊重されていくべきである、という認識の柔軟さが必要だなと感じましたよ自分は。
(※以下、↑の文章のあとに書いたもの)
自分で書いたものをできるだけ客観的に読んでみると、まぁこれはこれでそれなりに“意見”らしい様相を呈しているように思えなくもないですが、やはり考えれば考えるほどにスタート地点から横道に逸れているように思えてしまいますね。
まーちゃんに関して、わたくしは常に「まーちゃんの言動を全部まともに受け止めすぎるのはやめとこう」と思っていたはずなんですが、今回は少し熱が入り過ぎてしまったかも。
(念のため言っておくと、これは良い意味で、です。すべてを生真面目に受け取るより、話半分で受け取るくらいのスタンスでいたほうが本質を掴みやすい、そんな子だ、という意味)
自分もヲタとしてまだまだだなと、ひとりで反省しました。
まーちゃんの手のひらで踊らされてるどころか、まーちゃんの手のひらだと思っていたら全然違う人のやつだった――という状態になっている気さえします。
そしてそれはわたくしだけでなく、今回のまーちゃんの話に食いついたすべての人がそうなのかもよ。
というわけで、この話はこれくらいでやめときましょう。
こんなにも佐藤優樹の名前が拡散されたことはいままでなかったんじゃないかな。
できればそこからモーニング娘。としてのまーちゃんに興味を持ってもらい、You Tubeなんかで動画を見ちゃったりして、佐藤優樹ちゃんの素晴らしいパフォーマンスの虜になってくれたら嬉しいなと思います。本当にすごい子だから。
そういうきっかけに少しでもなったのならば、こうして話題になったのも悪いことではないのでしょう。
おわり。