あーりほりほの芝居が観たい。

 

 

 

昨日『続・11人いる!』を見てて思いました。

これにりほりほ出てないのに。

 

 

いや、出てないからこそ。

また観たいですよ、りほりほの芝居がさ。

 

 

 

 

 

ともあれ、今年の『ファラオの墓』も期待してます。

 

 

問題はチケットをまだ1枚しか確保できてないということよ。

できれば初日か土日の太陽編をどれでもいいから取りたい。

あわよくば千秋楽も欲しい。

 

 

まぁ一般で千秋楽が取れるとは思えませんけどね。

でもこの世界の誰かしらは取れるはずなわけで、それがオレであってもええじゃないかとは思う。

 

 

 

 

 

 

それはさておき、劇女こと演劇女子部についてぼんやり思ったこと(というか言いたいこと)をつらつら書いてみよう。

これまで何度か書いたことと似たような話になりますが、ご容赦ください。

 

 

 

 

まずやっぱり、「アイドル(ハロプロ)が演じる」という部分をもっと活かしたいよね。

おまけに劇女は客演でもアンサンブルでも女性オンリーという鉄の掟があるから、そういう部分もちゃんと考慮したい。

 

 

それはつまりどういうことかというと、もっと当て書きがあってもいいんじゃないか、という話。

せっかく個性豊かな若く美しい少女たちが揃ってるんだから、その美点や個性を活かした役をやらせたい。

 

 

『LILIUM』では数名、当て書きの役がいましたよね。

マーガレットやローズ、ナスターシャム、カトレア等々。

 

 

『トライアングル』でも、原案にないダイスとジョンベルという役はたぶん当て書きでしょう。

なにしろジョンベルに至っては関西弁です。

それもあってか、舞台初挑戦だった当時のはーちんの芝居もあまり違和感がなく。

あかねちんが演じたリベットの妹キャラも当て書きでしょうね。

 

 

演技力不足を補うという面もあるけど、アイドルだからこそ、当て書きならば演じるほうもそれを観る我々ヲタも飲み込みやすい。

 

 

男役女役という性別の違いより、年齢の違いが一番大変だと思うんですよ。

『続11人』ではほぼ十代ばかりの女の子たちがおっさんを演じたりもしていて、原作に忠実な当て書きなしの芝居だとこうなってしまう。

それはそれで悪くはないんだけど、なんかもったいないなぁと思うんですよねぇ。

 

 

もっと当て書きを入れられるくらいの自由度がある題材にして、アイドルという彼女たちの特性を活かした芝居にすれば、さらに良いものになる気がしませんか。

ヲタが喜ぶだけじゃなく、非ヲタが見ても違和感のないものが出来上がるんじゃないかと思ったりしました。

 

 

 

 

 

内容に関していえば、劇女で池袋サンシャイン劇場クラスでやるなら、それこそ『LILIUM』や『トライアングル』のようなある種の箱庭的な舞台(物語/設定)を用意したほうがしっくりくるんじゃないかな。

 

 

『続11人』のような、三つの国(というか星)とその思惑が交錯して老若男女たくさんの登場人物が入り乱れるような芝居を、2時間以内に収めて、演者も娘。メンと数人のアンサンブルとわずかな客演だけでやりきるのはちょっとキツいところがある。

 

 

こういう話をやるなら、もっと大きい劇場で、アンサンブルも増やして、最低でも2時間半くらい使ってやらないと。

 

 

『続11人』はメインキャラ以外の演者が、裏で超絶早着替えをしなきゃいけない場面があって大変だったと言ってましたよね。

限られた人数でモブキャラ(しかも結構多め)までやらなきゃならなかったからそうなったわけです。

加えて、リュウマチ病みの老いぼれや、飲んだくれの兄貴、銀髪の腹心、和平使節の叔父さんまで(これ全員男!)十代の女の子が演じなければならず、これはいくらメンバーが頑張っても限界というものがある。

 

 

物語もキャラクターも、もっと大きな規模でやるべき話をギュッと縮めてやらなきゃいけなかったのが『続11人』で、それが少しもったいないなーと。

 

 

その点に関しては、『LILIUM』と『トライアングル』は物語も狭い世界(でも奥行きはある)のなかで繰り広げられ、キャラクターも無理のない設定と一部当て書きで上手くやったなと思います。

 

 

アイドル(若い女の子たち)が中規模の劇場で2時間弱で演じるのにちょうどいい内容だったなと。

 

 

 

 

 

別に『続11人』批判をしたいわけじゃないですよ。

これはこれで楽しく見ました。好きですこれも。

 

 

でも今後もず~っとこんな感じでいくとすれば、それはちょっと待てと言いたい。

 

 

原作ありきで、それに忠実なストーリー。

キャラクターも当て書きなどはなく、年齢的に無理があるキャラでも半ば強引にメンバーにやらせる、という流れは個人的にはあまり歓迎できないっす。

 

 

せっかく個性豊かな女の子たちが演じるんだから、それを最大限活かせる芝居をもっと真剣に考えてやろうぜ。っていう。

 

 

原作のないオリジナル脚本のほうが、そういうのは作りやすいでしょうね。

原作ありだとしても、劇女の条件を活かせるものを探してくるとかしたらいい。

 

 

まぁでもそうなると結構限られてきちゃうし、どのグループの舞台も似たようなものになっちゃうから難しいのかもしれませんが。

 

 

 

 

 

なんにしろ事務所はそこまで真剣に劇女のこと考えてない気がしてしょうがないのよねー。

 

 

「もうモーニング娘。舞台の季節か。また少女漫画界の巨匠の作品を原作にしてつくろう。話題性もあるしな」みたいなテキトーな流れで決められてるんじゃないか説。

 

 

劇女のプロデューサーはアンドリウ氏だけど、事務所からもいろいろ注文はつけるのでしょう。

 

 

プロデューサーと演出家(脚本家)と事務所がどういう話し合いをして決めてるのかわかりませんが、オレもそこに混ぜてほしい←

 

 

「モーニング娘。というグループが演じるための舞台」を考えてほしいわけです。

人数、それぞれの個性(ビジュアルも性格も)、それらを最大限に活かせるお芝居を。

 

 

 

 

 

 

そんなことを思いました。

 

 

 

今年のファラオはどんな感じになるでしょうね~。

 

 

できれば来年は、原作なしのオリジナル脚本で、あまり男役を増やさず、メンバーがおっさんを演じるような設定もなしで作ってほしいなと願います。