ではなぜモーニング娘。はこれほど長く、あれほどまでに輝いていられるのか。
おかしいじゃないか。
普通に考えたらファン離れを呼び起こすこと甚だしい「卒業加入」というシステムをこれほど続けてきてなお、モーニング娘。はいまだ第一線で活躍し、ハロープロジェクトにおいても不動の一番人気を誇っているなんて。
あ、昨日の記事の続編です。アンチテーゼです。
もうこの卒業加入システムやめにしない?そのほうが賢明なんじゃない?という気持ちは確かにあるものの、それが本当に賢明なのかは自分としてもそこまで自信があるわけではなく。
というか、ほとんどもう、やぶれかぶれの開き直りみたいなものです。
卒業加入を辞めることによって、より明確な“グループとしての終わり”が見えてしまう。それでもいいからもう誰かがいなくなるのは勘弁してほしい……という弱音ですね。「オレらの世代で地球が終わってもいいから快適に暮らしたい」みたいなわがままと同じような。
そんなわがままを言いたくなるくらい、人生の、そしてモーニング娘。の無常さが耐え難くなってきてるわたくしですが、しかしなぜそんな辛い側面も持つモーニング娘。がこんなにも人気であるのか。
それはやはり、逆説的ではありますが、「無常だから」なのかな……と思うわけです。
何度も引用してますが、“花は滅ぶゆえに美しく咲き誇れる”ってやつ。
ああ、なんというかなしみ。
美は、いずれ朽ちるから美しい。
その儚さこそが、美の源泉であるとすれば――
モーニング娘。というのは正しく、偶像であり、美しさであり、永遠の少女たちなのかもしれません。
ざっくり言うと、モーニング娘。は卒業と加入を繰り返すからこそ人気なのだという話。
不思議です。それはたぶん、そのままの意味合いではなく、逆説としての意味合いなんですよ。
単純に「メンバーを入れ替えるから長く続いてきた」という面もあるとは思いますが、昨日も言ったようにそれはファン離れを引き起こす大きなリスクでもあります。
でもなぜか、それで20年近く続いてきている。
であるからして、卒業加入システムが逆説的にモーニング娘。の魅力になっているという不思議ですよ。
負の要素が、なぜか正の要素として機能している不思議。
そしてその出会いと別れの循環が、全体における永続性をも持ち得ているのだという奇跡。
さっき「モーニング娘。というのは永遠の少女たちなのかも」と書きましたが、メンバーひとりひとりを見ればそれはもちろん違くて、みんな成長し、大人になり、別の道を歩んでいくわけですが、全体として見れば、モーニング娘。には常に少女たちがいる。
巨視的な目線での、永続性。
我々はメンバーひとりひとりを認識し、好きになり、応援していると同時に、モーニング娘。という箱庭を愛でてもいるのです。
その箱庭はLILIUMのクランのように(あんなに邪悪な秘密はないけど)、儚い美しさと限りない永続性という矛盾しうる要素を孕んでいる。
だから人は、モーニング娘。にどうしようもなく惹かれるのかもしれません。
たとえ、ひとりひとりの寂しい別れがあっても。
というようなことを、昨日の夜に考えてました。
かなり抽象的に書きましたが、わざとです。
あんまり具体的に書くとなんか味気なかったので。
よく意味がわからなかったと思いますが、自分でもよくわかってないので大丈夫。
重要なのは、モーニング娘。の魅力には矛盾があり、その矛盾こそが魅力になっているのだ、ということだけです。不思議だねー。
おかしいじゃないか。
普通に考えたらファン離れを呼び起こすこと甚だしい「卒業加入」というシステムをこれほど続けてきてなお、モーニング娘。はいまだ第一線で活躍し、ハロープロジェクトにおいても不動の一番人気を誇っているなんて。
あ、昨日の記事の続編です。アンチテーゼです。
もうこの卒業加入システムやめにしない?そのほうが賢明なんじゃない?という気持ちは確かにあるものの、それが本当に賢明なのかは自分としてもそこまで自信があるわけではなく。
というか、ほとんどもう、やぶれかぶれの開き直りみたいなものです。
卒業加入を辞めることによって、より明確な“グループとしての終わり”が見えてしまう。それでもいいからもう誰かがいなくなるのは勘弁してほしい……という弱音ですね。「オレらの世代で地球が終わってもいいから快適に暮らしたい」みたいなわがままと同じような。
そんなわがままを言いたくなるくらい、人生の、そしてモーニング娘。の無常さが耐え難くなってきてるわたくしですが、しかしなぜそんな辛い側面も持つモーニング娘。がこんなにも人気であるのか。
それはやはり、逆説的ではありますが、「無常だから」なのかな……と思うわけです。
何度も引用してますが、“花は滅ぶゆえに美しく咲き誇れる”ってやつ。
ああ、なんというかなしみ。
美は、いずれ朽ちるから美しい。
その儚さこそが、美の源泉であるとすれば――
モーニング娘。というのは正しく、偶像であり、美しさであり、永遠の少女たちなのかもしれません。
ざっくり言うと、モーニング娘。は卒業と加入を繰り返すからこそ人気なのだという話。
不思議です。それはたぶん、そのままの意味合いではなく、逆説としての意味合いなんですよ。
単純に「メンバーを入れ替えるから長く続いてきた」という面もあるとは思いますが、昨日も言ったようにそれはファン離れを引き起こす大きなリスクでもあります。
でもなぜか、それで20年近く続いてきている。
であるからして、卒業加入システムが逆説的にモーニング娘。の魅力になっているという不思議ですよ。
負の要素が、なぜか正の要素として機能している不思議。
そしてその出会いと別れの循環が、全体における永続性をも持ち得ているのだという奇跡。
さっき「モーニング娘。というのは永遠の少女たちなのかも」と書きましたが、メンバーひとりひとりを見ればそれはもちろん違くて、みんな成長し、大人になり、別の道を歩んでいくわけですが、全体として見れば、モーニング娘。には常に少女たちがいる。
巨視的な目線での、永続性。
我々はメンバーひとりひとりを認識し、好きになり、応援していると同時に、モーニング娘。という箱庭を愛でてもいるのです。
その箱庭はLILIUMのクランのように(あんなに邪悪な秘密はないけど)、儚い美しさと限りない永続性という矛盾しうる要素を孕んでいる。
だから人は、モーニング娘。にどうしようもなく惹かれるのかもしれません。
たとえ、ひとりひとりの寂しい別れがあっても。
というようなことを、昨日の夜に考えてました。
かなり抽象的に書きましたが、わざとです。
あんまり具体的に書くとなんか味気なかったので。
よく意味がわからなかったと思いますが、自分でもよくわかってないので大丈夫。
重要なのは、モーニング娘。の魅力には矛盾があり、その矛盾こそが魅力になっているのだ、ということだけです。不思議だねー。