柴田勝家 『ニルヤの島』


ニルヤの島 (ハヤカワSFシリーズJコレクション)/柴田 勝家

¥1,728
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生体受像の技術により生活のすべてを記録しいつでも己の人生を叙述できるようになった人類は、宗教や死後の世界という概念を否定していた。唯一死後の世界の概念が現存する地域であるミクロネシア経済連合体の、政治集会に招かれた文化人類学者イリアス・ノヴァクは、浜辺で死出の旅のためのカヌーを独り造り続ける老人と出会う。模倣子行動学者のヨハンナ・マルムクヴィストはパラオにて、“最後の宗教”であるモデカイトの葬列に遭遇し、柩の中の少女に失った娘の姿を幻視した。ミクロネシアの潜水技師タヤは、不思議な少女の言葉に導かれ、島の有用者となっていく―様々な人々の死後の世界への想いが交錯する南洋の島々で、民を導くための壮大な実験が動き出していた…。民俗学専攻の俊英が宗教とミームの企みに挑む、第2回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作。(Amazonより)




リスタートされたハヤカワSFコンテストの第二回大賞受賞作。



生体受像(ビオヴィス)と呼ばれる端末装置の普及によって、人類は死後の世界(あの世、天国や地獄)という概念を捨て去った未来。


物語は四つのパートを行き来して、時系列も様々に語られていく。




まずこの、死後の世界(という概念)がない(多くの人々が捨て去った)未来という設定が興味深い。


死後の世界がないといっても、それはとても観念的な意味でだ。


テクノロジーによる人類の変容。
あくまで価値観とはいえ、己の人生を叙述でき、いつでもそれを追体験できる世界に於いて、もはや“いま”は永遠性を得た。
人は死んでも叙述される。死後の世界は天国でも地獄でもなく、テクノロジーの中に場所を移した。この世のテクノロジーの中に。


しかしそうなればこそ、模倣子(ミーム)は再び死後の世界を求めるようになる。


主な舞台となるミクロネシア経済連合体(ECM)という新国家の一部の人々は、いまも死後の世界を求め、海の向こうへ旅立っていく。


死んだ者は、ニルヤの島へ行くのだ、と言って。






時系列の複雑さもさることながら、とにかく思弁性が強いので、決して読みやすくはない。


しかしこれは、俗に言う伊藤計劃(著者も影響を受けたらしい)以後の現代SFとして、実に全うにSFしてるではないか。


十全に理解できたとは言えないけど、読んでる最中は、SFでしか感じられない高揚を感じた。


全体的に、寂寥感に満ちた雰囲気なのも良い。
ディストピアSFではない(たぶん)のに、むしろ世界が終わったあとのようなもの哀しさに溢れている。




近々著者の第二長編が刊行されるらしいので、そちらも期待したい。





ちなみに著者は、(ペンネームからもわかるように)戦国武将の柴田勝家の大ファンらしい。


「柴田勝家 作家」でググると写真が出てくるけど、見た目まで武将である。


なぜ歴史小説ではなくSF小説を書こうと思ったのかとツッコミたくなるビジュアル。


少し前に『アウトデラックス』というテレビ番組にも出演して、メイドカフェで楽しそうにしていた。作品から受けるイメージとは180度違うご本人。おもしろすぎる。