何週間か前に『トライアングル』を見てなんとなく思っていたことではありますが、やはりこのふたつの話、単純な裏表ではないですよねぇ。


なにをいまさら、という感じではありますが。


そもそもパンフレットのアンドリウ氏の言葉に、「α編とβ編、二つを見比べると時系列が少しずれている事に気付く観客の方もいらっしゃるかもしれませんが、ここにも隠れたメッセージを入れてみました」って書いてありますしね。
メンバーも、「パラレルワールド」だと言ってたような気がしないでもない。



なので……というわけでもないですが、先日また『トライアングル』を(いつもよりその辺を気をつけて)見てみました。


たしかに時系列がズレてる。


一番顕著なのは、キリとサクラのダンスシーンの前後。


α編ではサクラが街でダイスたちに絡まれてるところをキリに助けられたものの「逢引きしてた」と噂を立てられてしまうシーンのあとに、ローズウッドが天のお告げを断っていたという告白を聞く→決意を固めたサクラが女王の目覚め祭に行く→キリと踊るけど「悲劇のヒロイン気取りのお嬢さん」と言われてしまう、という流れでしたが、


β編では順番が逆で、キリと踊るけど(以下略)→ローズウッドの告白を聞く、という流れになってます。


そうなるとβ編でサクラはダンスの前にローズウッドの秘密を聞いていないし、結婚相手がヴィータ星の血を引く者であるということも知らないわけなので、アサダへ「踊っていただけませんか?」とお願いするときも楽しげだし、目覚め祭でお母様に「ふたりを躍らせることの意味、わかるな?」と言われたときは「ええぇぇぇぇ!?」とマスオさんのようにビックリ仰天しているわけです。
ちなみにα編ではダンスの前に“ローズウッドの告白”、“結婚相手の条件(キリしかいない)”という話を聞いてるので、「踊っていただけませんか?」が切実な表情になり、「わかるな?」というお母様の言葉に対しては「……はい」と戸惑いながらも頷いているんですよね。



この違いは結構大きい。



また、ラストの婚約の儀でサクラがキリに「アサダはヴィータ星の血を引く者であり、心を読むこともできる」と教えられたあとに「わたし、行きます」と言うシーンでも、αでは目を潤ませながら(キリに感謝しながら)去っていくのに対し、βではやや戸惑い気味に「キリ様、なぜそのような話を……」みたいな表情で去っていくんですよね。


そこに至るまでの過程にしても、αで描かれたけどβで描かれなかったシーンは、単に描かれなかっただけなのか、あるいはβではそんなシーンはなかったのか、疑問が残るところ。


最初は「単に描かれなかっただけ(裏でやってたという設定)」かと思ってたんですが、さっき言ったラスト付近のサクラの反応の違いを考慮すると、「αであったシーンがβではなかった」と考えるのが妥当なようにも思えてきます。


逆に、βではあるけどαではないシーンもある。(同じシーンなのに、という意味)


たとえば、サクラが感電したあとの、キリとアサダのシーン。「お咎めなしかスワスワ使い!」のところ。


心の読み合いは別にしても、その後の「私にはどうでもいいことだが、アサダ……」とローズウッドが天のお告げを断ってスワスワたちを救ったという話を聞かせるシーンはαにはありませんでしたよね。


これは単純に描かれなかっただけなのでしょうか?
あるいはやはり、βにはあってαにはなかった出来事なのでしょうか?


でも仮に後者だとすると、αでアサダはなぜローズウッドのところへ行き、その手を取っていたのかという疑問が残ってしまうんですが……。




キリが自分の過去(墜落した話)を聞かせるシーンはβにはありませんでしたが、βでは代わりに「一片のかけらとはいえ私にもまだ心というのものがあったのか……」的なことを呟きます。これはαにはありませんでした。


それ以外にも、キリのソロ歌唱があったりなかったり、細かいセリフの違いなども多々。



じゃあ、と考えていくと、キリが感電したサクラを看病するシーンは、αにはあったけどβではどうだったのでしょう?


これもただ描かれなかっただけなのか、そんなシーンは存在しなかったのか……。



そんなことを思うのは、αとβでは、サクラのキリに対する(ラストでの)想いの熱量に微妙な違いがあるように感じたからなんですよね。


αのほうが、キリのことをより強く想い始めているような気が。


βではまだ(結局最後はキリを選ぶものの)そこまで、αほどには強く想っていないような気がしなくもないのです。


ラストに至るまでの過程を鑑みても、αのほうが「キリという人間」が描かれており、感情移入もしやすい。


まぁそれは、αは「サクラ視点」の物語であるから、という理由なのかもしれません。



こういった違いが、どれほど深い意味を持つのかも不明。


正直そこまで、「実はこういうことなのです……」みたいな“答え”はないんじゃないかと思ってますが、αとβの視点の違いだけでここまで異なった展開や演出にするのは驚きだな、とは思いましたね。


加えて、キリに対する「αとβによる印象の違い」はわりと顕著なんですが、ローズウッドに対するそれは、主にβでしか描かれていないのでわかりにくい。


まぁタイトルが『トライアングル』なのでしょうがないのかもしれませんが、そこがもっと描かれればまた色んな見解を見出せそうな気はしました。






で、結局。


「隠れたメッセージ」ってなによ?



アンドリウ氏が言ってたやつ。


自分にはせいぜい、「どんな過程を経ても最後は行きつくところに行きつく」といったような、運命論的な話しか読み取れないんですが。


誰か教えてー。





そんなことを考えておりました。


そんなことを考えなくても、普通に楽しめるのでご安心を。