人間誰しも大人になっていくという常識はさておいて、モーニング娘。(ハロプロ)というコミュニティのなかでもそれは起こる。世間の常識とは別の次元で。



近頃、9期が大人である。


当然かもしれない。いまやモーニング娘。の最上期なのだから。


それはつまり誰も先輩がいないという状況であり、必然的に大人にならざるを得ない環境にある。



そんな9期にも、後輩だった期間はもちろんあった。


とはいえ9期加入後わずか半年ちょっとで10期が加入したために、“後輩がいない”期間は長かったとは言えない。


10期とは何かと一括りに「新メンバー」や「若い子たち」とされていたにせよ、意識としては末っ子ではいられないだろう。
最年少期としての特権を享受できた時間の少なさが、現在の9期4人の空気感に影響を与えていたとしても驚くところではないのだ。




自分たちより年齢が上で、アイドルとしての経験も遥かに優るベテランの先輩メンバーがいるという環境は、連綿と続いてきた“モーニング娘。らしさ”の構図を生む。


そういった、年齢も芸歴もバラバラな少女たちが奮闘する様こそが、モーニング娘。の魅力のひとつと言えるだろう。


後輩たちは、そんな先輩たちに時に厳しく、時に優しく庇護されて成長していく。


信頼感。安心して寄りかかることができる、頼もしい存在。


かつての9期もそうやって先輩たちに寄りかかり、様々な事柄を学びながら成長してきた。


去年さゆが卒業し、今はそれがなくなった。少なくともモーニング娘。内に於いては。




だから悪いというのではもちろんない。


ただ、少しだけ寂しい。


自分のなかで、加入当初の幼い9期の面影がまだ消えていない。


だからいまこうして着実に大人の先輩メンバーとして成長していく9期の姿が、頼もしく、そして遠くに見えることがある。


かつては我が子のように見守っていた存在が、いまは少しずつ目の届かないところへ遠ざかっていく気配を醸し出すことに怯える。


それを寂しいと思うのは、ある意味で贅沢だとも思う。幸せだとも思う。


そうやって贅沢な幸せを噛み締めるように、寂しさを感じるのだ。


子の成長を嬉しく思うと同時に寂しくも思う親のような心境、と言ったらわかりやすすぎるかもしれない。


それと同じだと言われればその通りだし、違うと言われても納得できる。


結局はただのノスタルジィに過ぎない可能性は高い。


ふいに昔の動画やラジオなどを見て聴いてしまうとこうなる。


9期メンバーはそれがこれまでの期よりも少し早かったこともあり、なおさら想いは募っていく。


もう少し先輩たちに甘えて、寄りかかる9期を見たかったという願望は、いまも心の隅に燻り続けている。





9期はいま、誰に寄りかかっているのだろう。


先輩はいない。
となるともはや、同期しかいない。


しかし同期というのは支え合うことはできても、寄りかかることは難しい。
同期であることのプライドが、それを許さないからだ。



心から信頼し、甘え、背中を預けられる存在はもういない。
いまは9期こそがその役割を担う存在となった。


そうやって成長していく。


寂しいのはメンバーの成長ではなく、あの頃には戻れないということ。


戻れないのは時間だけではなく、メンバーの心もまた同じ。



もはや思い出のなかにしかない“あの頃”の9期を愛おしく懐かしみながら、そうできる幸せを噛み締めて、今日もモーニング娘。を応援していく日々である。













ところでなぜこんな口調(文体)なのかというと、ただの気まぐれである。


その実たいした内容は書いてないので、文体で誤魔化そうという算段だ。


「最近9期のみんなが大人の階段上ってる雰囲気バリバリでちょっと寂しい……」を真面目な顔して引き伸ばしてみただけです。なんかすいませんでした。