昨日、初めて書いてみた小説(二次)を初めてネットにアップしてみたわけですが、なんていうかもう、恥ずかしくて息もできません←



一般論ではなく、完全に主観の話ですが。



この感じ、覚えがある。


それは数年前、初めてブログというものを書いてみたときのこと。


あのときもクッソ恥ずかしかった。


恥ずかしいというか、他人に見せてはいけない部分を見せてしまったような居たたまれなさに近い。


今でこそ毎日当たり前のようにブログ書いてますが、当時は、書いてネットに上げて寝る→起きた瞬間「あああああorz」と後悔する、というのがひと月くらい続いたものです。



これは万人に共通することなのかと思っていましたが、人によるのでしょうかね……。


おそらく、自分の内から出てきたもの、ブログにせよ小説にせよ、あるいはその他諸々にせよ、そういったものを不特定多数の他人に見せるというのはやはり、最初は言いようのない気恥ずかしさが伴うものなんですよねぇ。




歌もそう。


人前で歌を歌うのって、なんか恥ずかしくないですか?


カラオケ等で慣れてしまってる方はそうでもないかもしれませんが、小学校の音楽の授業を思い出してみましょう。


一人ずつ、みんなの前で歌わされるというテストがありました。自分の学校では。


あれは死ぬほど嫌いだった。
欧米人ならともかく、日本人のシャイな小学生がみんなの前で歌わされるなんて、学校というのはとんでもない鬼畜な施設だと深く恨んだものです←



己の技術やアイデンティティを曝け出す行為というのは、やはり恥ずかしいものなのでしょう。


今回「小説」という形でそれをやり、久しぶりに味わいましたよこの感じ。



きっと、何度か同じことをしていれば慣れるのかな。
ブログに慣れたようにね。








そんな感じでちょっと補足というかいいわけなんですが、自分が書いた二次小説の中で、リリウム本編と似た感じの展開がいくつか出てきますが、あれはパクったわけではなく、一応わざとなのでした。


例えば冒頭、リリーがシルベチカを探すという行為は、まんま本編と同じ。(本編ではもうシルベチカはいませんが)


他にも色々と、本編を彷彿とさせる場面があったかと思います。たぶん。



みんなファルスのイニシアチブで記憶をリセットされるけど、性格そのものは変わらない以上、きっと言うことややることはいつの時代でも似たようなものになるんだろうなー、と思ったのでそうした次第です。


単に思いつかなかっただけ、という可能性もなくはないです←




それと、リリーやチェリーやキャメリアがなんとなく感じた「不安」や「予感」は、シルベチカの決意がイニシアチブを通して少しだけ伝わっていたから、という設定でした。
そこの部分、わかりにくいと思うので補足。






あー、早くリリウムのDVD見たい。