突然だけど、日本語って難しいよね。
舞台を観た感想を書いてて思ったけど、「みる」という言葉にもいくつかの漢字があるじゃない。
見る、観る、視る、診る、看る。
PCで変換すると、大体このくらい。
後ろの2つはなんとなくわかるから良いとして、最初の3つよ。
日本語のちゃんとした定義ってのがあるのかもしれませんけど、ブログでそこまで厳密になる必要はないかと思うので自己流の定義で使ってます。
「見る」は、可視光線によって事象や物体を捉え、認識する行為のときに使う。
「観る」は、それこそ舞台とかライヴとか、提供されたものを、文字通り「観賞する」ときに使う。
しかし同じライヴや舞台でも、その場で(生で)みるときは「観る」で、DVD等でみる場合には「見る」を使ってしまう不思議。
自分の中で、テレビなどの画面を通してみる行為は「見る」になるのですねぇ。
テレビだって立派な「観賞」なのに、なんとなく「テレビを観る」だと違和感がある。
映画はどうだろう。
↑の理屈でいくと、テレビでみる映画は「見る」になるけど、「映画観賞」って言うしなぁ。
でも映画も、大スクリーンとはいえ「画面」をみるわけだから、これまたなんとなく「映画を見る」って使いたくなってしまうのよね。
つまり、自己流定義でいくと、「その場で催されている提供事」を、客として観賞する際には「観る」を使うということか。
テレビや映画は「その場で催されている」わけではないので、「見る」を使う。
生放送というものもありますが、その現場を直接視認して観賞しているわけではないのでやっぱり「見る」になるね。
それに、いかに生放送であろうと、それは「カメラ(画面を通した視聴者)に向かって」提供されているものですから。
最後に、「視る」。
これはどうだろう。
なんとなく雰囲気的に、「その場にないものをみる」場合に使いたくなるかも。
「幻視」なんて言葉がありますが、そんな感じ。
あるいは、何かを「視察」するときとか?
顕微鏡で微生物をみるときなんかも「視る」って使いたくなりますね。
うーむ、「視る」は正直よくわかんないかな。あまり使わないし。
これらはあくまで自分が勝手に思ってることなので、ちゃんとした定義にはまったく則ってません。
でもブログで文章書くときとか、どうしようか迷うときってありますよねー。
なので一応自分なりに使い分けしておく、という話でした。
ちょっとした小話にして、そのあとハロネタ書こうと思ってたのに存外長くなってしもうたw