ちょっと前に、とあるSF作家がTwitterでつぶやいた言葉。




『実際のとこ、オタクの多くは、美少女といちゃいちゃしたいのではなく、美少女になりたい(だが180%不可能なので黙っている)のだと思う』



『なんというかまあ、いなくてもいい扱いをされてきた心が、多くの人から無条件でいてほしいと思われる存在になりたいと願うのは、当然のことだと思う。性差は関係ない』





どうでしょうみなさん。



自分は、この言葉、「まさしくそれだっ!」と思ったんですがw



どうやら反響も大きく、RTされまくりだったとか。




今までそこそこ長くハロプロを応援してきましたが、例えば「あのメンバーと付き合ってみたい」という願望よりも、「あのメンバーになりたい」と思ったことのほうが断然多い。



それはつまり、この世に存在する特定のメンバーに「なる」というファンタジックな妄想と、自分もハロプロに入りたいという(自分が男じゃなければ)多少は現実的な願望。



ま、男である自分にはどっちにしても180%不可能なわけですが。




なんでしょうね。

「好き」と同じくらい「憧れ」を持ってしまうという。



おかしな話です。

だって自分は男なのに、男性アイドルではなく女性アイドルに憧れるだなんて。




一応言っておきますが、別に女装願望とかオネェ気質とか、そういうのは一切ありませんw



至って普通のノーマルでオーソドックスなヒト化の男性性に属する人種です。





ヲタクの心理とは、かくも歪んでいるものなのでしょうか。



あるいは、そういった歪んだ(というかひねくれた)心理こそが、ヲタクの原動力なのかもしれませんが。




『いなくてもいい扱いをされてきた心が、多くの人から無条件でいてほしいと思われる存在になりたいと願う』




あの娘たち(もちろんハロメンのこと)を見ていて羨望を覚えるのは、きっとそういった要素が大きいのでしょうねぇ。



もちろんあの娘たち含め、「美」が付く人々は、だからといって人生良いことばかりではないのでしょう。



でもそれでも、「羨ましいなぁ」と浅ましくも思ってしまうのですよ、自分は。




どうぞ嗤ってやってください……。(伏し目)






その作家さんは、数日後にもこんなツイートをしています。



『常時他人の視線を集める美人の気苦労と気負いを男は体感し得ないし、常時大切にされず安物の靴みたいな扱いを受けるおっさんの寂寥を美人は想像し得ない』




安物の靴!www(泣笑)



そうです、安物の靴です。

必要とされない男など、安物の靴も同然なのです。



自分が「おっさん」と呼ばれる年齢かどうかはともかく(そこは観測者による)、存在としてはもちろん「おっさん側」です。




「隣の芝生は青く見える」とよく言いますが、↑のは、美人から見れば隣の芝生は枯れている、というわけだ。



逆におっさんから見れば、隣の芝生は青々と繁っている。

もちろんそれを維持するのは大変だろうけど、それでも青々と繁る芝生を持ちたいと願う、それがおっさんの寂寥。

青い芝生を維持する「苦労」すら羨ましく思えてしまう寂寥……。





あゝ無情!(/TДT)/





モーニング娘。は、



「もーしーもーびーじーんばーっかーのーよーのなーかーじゃー、みーんーなへーいーぼんーなーのーさ♪」



って歌うけど、美人ばっかの世の中だろうがそうじゃなかろうが、平凡であることには変わりない人種の痛切な叫びを聞きたまえ!(←自暴自棄)








ってのは、半分くらいはネタだけど、その作家の言葉に反応したのは本当。



アイドルに限らず、ヲタクって人種はそういう人多いんじゃないかなぁ。



己からの逃避と言ってしまえばそれまでだけど、逃避がなかったら「偶像」とか「虚構」とかエンタメ全般は存在価値がなくなっちゃうよねきっと。



いくら逃げようが、自分が自分であることはどうあっても変えられないわけだし、ちょっと目を逸らすくらいならエエじゃないか。






そんなわけで、今日も自分はハロプロに愛情と羨望を注ぎながら、決して変わることのない自己と折り合いをつけて生きるとしましょう。