久しぶりに(?)ちょっとしたネタ更新をしてみましょう。




昨日ももちが『ハードル・プードル』という番組の企画、「美人探し100連発ロケ」に出演してましたね。



この企画は、《街で見つけた美人に「あなたよりも美人を探してください」と数珠つなぎで100人に聞いていったら、100人目には究極の美人に会えるのでは?》というもの。



これの調査員として、ももちが2日間かけてロケを頑張ったわけです。(1日目は途中からお台場のイベントがあったため、2日越しになった)



ももち、精神的にも肉体的にも過酷なロケお疲れ様……(泣)




という話がしたいのではなく、この企画の趣旨は果たして正しいのだろうか?と思ったわけですよ。




↑の説明を聞くと、一見「なるほど」と思えそうですが、実際は違くね?



(※バラエティの企画にマジレスするなよというツッコミはその通りですが、これはあくまでネタレスですのでw)




例えば、ももちがまずAさんという美人を見つけたとする。



するとAさんは、自分が思う美人Bさんを探しますね。



そしてBさんは、自分が「美人だ」と思うCさんを探す。



次はCさんがDさんを。その次はDさんがEさんを……という具合に進んでいくわけです。



しかしだからといって、AさんよりBさんが、BさんよりCさんが、=AよりもCさんが遥かに美人だとは必ずしも言えないのではないでしょうか。

いやむしろ、そうなる可能性はあまり高くないかもしれません。




この企画で重要なのは、「探す側が美人か」ということではなく、「探す側の美意識は確かか」という点にあると思うのです。



美意識。



これは要するに、「美人を見る目があるかどうか」ということ。



極端な話、Aさんにこの「美意識」がなくて、選んだ美人があまり美人ではない可能性だってあるわけです。



逆に言えば、選ぶ側は美人じゃなくても、この「美意識(美人を見る目)」があればいいということですよね。





つまり。



この企画で重要なのは、選ぶ側の美意識。

しかし美人を選ぶたびにこの「選ぶ側」の人間を変えてしまったら、「美意識を変える」ということになってしまうのです。



美意識を変えるということは、「あの人は美人だと思う」という基準をバラバラにしてしまう行為。



美意識のブレです。



企画を成功させるためには、美人を選ぶ際の美意識(見る目)が一貫していなくてはいけないのに、選ぶたびに「選ぶ人」を交代させるからこれが一貫されない。ブレてしまう。



おまけに、人の美意識は個人によって様々なので、なおさら「選ぶ人」を変えてはいけないのですよ。



そのままでは決して「100人目に選ばれた美人は究極の美人である」とは言えなくなってしまいます。




あら困った。



美人を選んで、その美人に「美人だと思う」美人を選んでもらったらハイ交代。



ももちは後半、「ハードルが上がり過ぎて美人が見つかりにくくなる」的なことを言ってましたが、その実このハードルはちっとも上がってなどいなかったのであります。



選ぶたびに上がるものの、交代するたびに下がるからです。



いや、下がるというか、元に戻ってしまうから。



これでは100人だろうが1000人だろうが、いくらやっても結果は同じです。




どうすればいいかと言えば、ずっと同じ人に100人分の美人を探してもらえばいいのです。



そうすれば「美意識」はずっと変わらず、上へ上へとハードルを上げていけるわけですよ。




しかしこれもまた実際やるとなると難しい。



なんせ街には人が溢れているので、「あ、やっぱりさっきの人よりこっちの人のほうが美人度が上かも」という事態になってきます。



「100人選んだ中で順位をつけてください」という要求ならばなんとかなるものの、「街ゆく人を順番に美人ABCDEFG(続くほど美人ということになる)として評価していってください」というのは無理がある。





いや待てよ。

もっとシンプルに考えて、ももちが選んだ美人さんが街ゆく人を眺めて美人Aさんを見つける→次はそのAさんより美人だと(Aさんが)思うBさんを見つける→Bさんを超える美人Cさんを見つける→Dさん(続く)



とやっていけばいいじゃないか。



しかしこれはあくまで机上の論理であって、実際これをやるのはかなり大変。



これこそまさに、やればやるほどハードルが上がり、1日中街ゆく美人を眺めて過ごしても終わらないかもしれない。

一般人にそこまでやらせるわけにはいくまい。






まとめましょう。



まず、番組の企画通り、数珠つなぎで美人を探していっても最後に「究極の美人」を見つけられるわけではない。全然ない。ということ。



それなら、100人どころか2人でも充分なのですね。

(ももちが選んだAさんがBさんを見つければロケおしまい。もちろん「確率」の話で言うならば、たくさん選んでもらったほうがより美人を見つけられる可能性は高くなるけども、これは「確率」を調べる企画ではないのだ)




だから、「100人目の究極の美人」を探したい(決めたい)のなら、選ぶ側はずっと同じ人でなくてはならない。



なぜなら、選ぶ側の美意識は終始一貫している必要性があるから。



でないと、「100人の美人が(自分の思う)美人を探しただけ」ということになる。それでは「100人目が究極の美人」とは言えないでしょう。





つ ま り、




この企画のロケは半分以上意味がないのです!w




ももち、あんなに頑張ったのにね……w


まぁそこは企画のミスであって、ももち的に無駄だったわけではないですが。







はい、どうでしょう。



要約すれば3,4行で終わる説明を、実にダラダラと長ったらしく書いてみましたよ←



若干わかりにくい箇所は、そうやって煙に巻いているのです。(え





「いや、それはこうじゃないか?」という点があったら、お教えください。



なんせネタ更新なので、そこまで深く考えたわけではありませんw

どこか間違ってるかもしれないので、ご指摘は歓迎です(・∀・)






結局は、「究極の美人」を探し出せる可能性があるのは自分ただ一人だけ、ってことですよ。



そもそもが主観に寄りかかり過ぎてる(のに客観性を求めている矛盾した)企画ですからね。



「人それぞれ」という概念の前には、脆くも崩れ去ってしまう企画の哀れさよ……w