どうやら最近のハロプロファンのあいだでは、しきりに悲観的な意見を主張するのが大流行しているようですね。
何かにつけては悲観。文句。不満。不安。
まぁある意味人間的というか日本人的というか、そんな気がしなくもないですけど。
なんだか「悲観したもん勝ち」みたいな、「不満を言えば言うほど賢い」みたいな風潮ですこと。
どんな逆境にも負けずに前を見て戦っているメンバーとは正反対ですね。
いや、状況を改善するために良くない部分を訴えてるという部分も大いにあるんだとは思いますが、反面、ただ自分の(個人的な)不満を並べ挙げて「これじゃハローは駄目になる」的なことを言ってるだけの意見も多く散見されるのはどうかと思う次第です。
要は主観。
「これは事実です」と言いながらも、そこで言及される内容の半分以上は己の主観による考察に過ぎないパターン。
それは「事実」じゃなくて、自分の「気持ち」。あるいは「考え」。
そんな個人的な考えを、あたかも万人が想う規制的事実かのように書くのはいささか困ります。
実際、そんな風な悲観的な記事を読むと、「いや、俺は別にそう思わないんだけど……」と感じることもしばしば。
一見論理的であるように見せながら、実際は自分の気持ちを滔々と吐露しているだけだったりもしますね。
しかもよく読んでみれば、他のグループと比較して「ハローは不満だ」と言っていることも多い。
「どうしてハローもあっちみたいにこうしてくれないんだ」といったような。
……まぁいいですけどね。そういう考え方も間違ってはいないでしょうから。
ただ自分が読んだ幾つかの記事では、どんなにそれらしいことを言っていても結局は「AKBみたいにやってくれ」と言ってるようにしか聞こえないものでしたが。
そういう人は、「頼むからAKBみたいなことはしないでくれ」という意見(これが割と多い)はどう思っているのでしょうね。
好きなアイドルに何を求めるかは人それぞれなのであって、ライヴを望む人、握手会を望む人、自宅で見ていれば満足な人、その他諸々、様々なわけです。
どうも悲観的な意見や不満などを聞くと、ほんの一側面から見た光景だけで、まるで全体が腐敗しているかのような主張ばかり。
「抽選に落選したら応援する気持ちが萎える」人もいるでしょうが、そうでない人もたくさんいるわけです。その程度のことでファンをやめたくなるような人ばかりではないのです。
その辺のことを一切無視して書かれている内容が多いので、自分も一言主張したくなってしまいました。
これは完全に主観的な主張になりますが、抽選に落選した程度のことで他のアイドルに流れるような薄っぺらいハロプロ愛は持ち合わせてないんですよ自分。イベントや握手会だけでハロプロを好きになったわけじゃないんですよ自分。
というこれはもちろん、ハロプロだけを応援しているヲタのいち意見ですけど。
最近こういった悲観的意見が多く吹聴されるきっかけとしては、やはり℃-uteのチェキ会が原因なんでしょうかね。
自分はチェキ会には行ったことがないので実情がどうなのかは何も言えませんが、そんなに悲観するほどのことなんですか?そうなんですか?
「アレをやれコレをやれ」と言う割には、やったらやったで文句ばっかり言う集団みたいにはなってほしくないですよハロヲタには。
まぁアイドルというのは難しい存在ですよね。
ただ歌を歌っていればいいわけではなく、ファンとも交流もあるし、演技をやったり握手をやったり写真を撮ったり、マルチタレント以上にマルチなことをこなさなくてはいけないわけで、そうなるとやはり不満の声もあちこちから上がってきてしまう。
アチラの不満を埋めれば、今度はコチラから不満の声。すべての不満を同時に埋めるなんてのは、土台無理なんじゃないだろうかと思うこの頃です。
時代だって変わった。
今はもう、CDの売り上げだけを見て一喜一憂できる時代ではなくなりました。
今後なにに焦点が絞られていくのか、今はまだその途中なんじゃないかと思います。
言うなれば中途半端な状態。
CDとかテレビとかネットとか現場とか、どれも大事だし、どれも小さなことでしかない。
これをやっとけば大丈夫なんてものは、もはや存在しなくなってしまったんじゃないでしょうかねぇ。
好きなアイドルに(あるいはその運営に)対して様々な主張が飛び交うのは、ネット時代の宿命でしょうか。
それは果たして良いことなのか、悪いことなのか。
結局は「解釈による」ものでしかないのか。
「ファンが偉そうにふんぞり返る時代になった」と言ってしまえばそれまでなわけで……。
悲観の先にあるものは……?