また台湾からとんでもない映画!
日本軍統治下にあった台湾の原住民族の叛乱を描いた台湾映画の超大作。
自分を含めて日本人はほとんど知らないであろうセデック族。完全に統治・植民地した山間の小規模な民族に対して爆撃機や毒ガス弾まで使用せざるを得なかった戦いを描いている。
このようなタイプの戦争映画は沢山あると思う。
それは人類の歴史上あらゆる地域で行われてきた類いの出来事であるからだろう。インディアン・アフリカ系黒人・中東ゲリラなど現代に至るまでそれはまだ終わっていない。
特に第一部・太陽旗の前半の展開は、マヤ文明の時代を描いたメル・ギブソン監督の「アポカリプト」と相似形と言っていい。
セデック族の視点で描かれているため日本軍は悪役となるのだが、必ずしも勧善懲悪的には描かれていない。日本の植民地統治は黒人奴隷などと比べたらかなり紳士的に描かれている。
教育や施設などの文明をもたらし、優秀な人材は警官として雇い入れたりもしている。限定的ではあるが狩猟も許可制で認められ、最低限の文化は守られているように見える。
争いが起こる背景
それではなぜ、叛乱は起こったのか。
きっかけはセデック族の婚礼の祭りに立ち寄った日本人の警官が振る舞われた酒を拒否し相手を殴打したことだ。主人公の頭目モーナ・ルダオは戦いを望む若者たちをいさめようとする。
彼自身が最も屈辱を受け、苦渋の運命に従ってきたことはマッチの火薬を密かに溜めてきたことから伺える。彼らは文明を受け入れつつも、日本軍から「与えられた」平和に納得していたわけではない。なぜなら彼らは狩猟民族だから。
圧倒的な力で支配する日本軍を相手にするということは、はじめから全滅することがわかっている。それでも蜂起するに至ったのは、殴打事件はきっかけにすぎずもっと根源的な問題がある。
それは結局、文化の違いというところに行き着く。
セデック族から戦いを奪うということは、彼らにとっての生きる目的を奪うことに等しい。
彼らは首狩り族だ。常に死と隣り合わせの狩り・他部族との戦いが彼らの生きる世界だった。
そこに日本の農耕文化を「よかれと思って」植え付けようとしているのだから、どんなに紳士的で親切であるように見えても齟齬が消えないのは避けようがないのだ。
戦争と平和
平和主義の「絶対に人殺しはいけない」という思想は我々の文化圏では当然のことのように謳われるが、それはそうではない人々への理解を妨げる偏った思想だと考える。
歴史や物語の中で戦いの勇敢さを表現し感動させるものが無数にあるのに、そこの矛盾についてはまるで考えもしないような空気にずっとわだかまりを感じてきた。
そんな想いにどストレートな球を投げてきたのが「ロッキー4」だった。平和主義者が戦地に赴いて自らの絶対的信念を伝えようとしてもあまりに無力であり、まるで欺瞞のような印象すら受ける。
「人殺しは是か非か」という問題提起自体が無意味になる世界が確実に存在する。
そもそも平和主義を謳歌する先進国が未だに戦争をやめないという現実は、「殺すことで生きる」というテーゼを全く払拭できないことを端的に表している。
セデック・バレはロッキー4と同じ視点を持った希有な作品だと感じた。
なぜ二部作なのか
ここからは映画の感想。
紛れもない超大作。
悲しいかな今の日本映画界からは絶対に出てこない映画を台湾が作っている。
単に制作費の規模ということだけでなく、観客の嗜好や映画界のシステムを背景とした結論だ。
日本の映画でも凄惨な殺人を主題とした作品は近年増えてきたが、それは小規模な人数の内面を濃密に描くベクトルにあり、大規模な戦争とは真逆と言ってもいい。
どちらがいいという話ではないが、こういう映画が日本資本で生まれないのはそういう背景がある。
かといってこの映画が戦争を大局的に描いただけの作品ということでもない。
むしろ個々人の内面に深く切り込んだ脚本だ。だから日本人である我々が観てただ痛いという話にはなっていない。
そもそも「どちらが正しい」という描き方をしないことに細心の注意を払っているからこそ日本人から見ても「これはおかしい」という感じを抱かせないつくりになっている。
これは日本に対して反省を促すプロパガンダ映画ではないのだ。民族的には敵であるはずのセデック族の蜂起には否応無しに心を躍らせてしまう。
合計4時間強の作品があっという間に感じられるほど濃密で退屈させない。
しかし2部構成には若干疑問も残る。想像だが、これはもともと2作品に分けて公開する予定ではなかったのではないか。しかし戦闘シーンの撮れ高が高すぎた結果こういう形態になったのではないか。
というのも、1部で戦闘が始まり、2部はその戦闘が終結するまでという構成なのだが、2部にはあまりにも凪のシーンがなさすぎる。
戦闘シーンのクオリティは総じて高いが、それゆえに削るのが惜しかったのかと思うぐらい冗長で、一本の映画としては展開が平坦なのだ。映画レビューを見ても1部に比べて2部の評価はグッと下がる傾向にある。
もし最初からこの構成でスタートする予定だったとしたら、もっと盛り込んで欲しいシーンがあった。若年のモーナをもっと見たかったし、特に内地(日本)に連れてこられた時の話は省略するにはもったいなさすぎるだろう。日本軍に支配され、自由を奪われた中で頭目になったモーナの苦渋は描くに足る大事な要素だった。元々一本の映画だったらその省略も納得できるのだが。
とはいえ作品全体の中ではそんな不満も微々たるもの。演出・撮影、そして何より役者陣の熱演を超えた異常なテンションが素晴らしい。みんな顔面がいい。男が見てカッコいいと思える野生と信念の固まりのような面々。特にモーナの顔面力は今年見た中でダントツである。
日本軍統治下にあった台湾の原住民族の叛乱を描いた台湾映画の超大作。
自分を含めて日本人はほとんど知らないであろうセデック族。完全に統治・植民地した山間の小規模な民族に対して爆撃機や毒ガス弾まで使用せざるを得なかった戦いを描いている。
このようなタイプの戦争映画は沢山あると思う。
それは人類の歴史上あらゆる地域で行われてきた類いの出来事であるからだろう。インディアン・アフリカ系黒人・中東ゲリラなど現代に至るまでそれはまだ終わっていない。
特に第一部・太陽旗の前半の展開は、マヤ文明の時代を描いたメル・ギブソン監督の「アポカリプト」と相似形と言っていい。
セデック族の視点で描かれているため日本軍は悪役となるのだが、必ずしも勧善懲悪的には描かれていない。日本の植民地統治は黒人奴隷などと比べたらかなり紳士的に描かれている。
教育や施設などの文明をもたらし、優秀な人材は警官として雇い入れたりもしている。限定的ではあるが狩猟も許可制で認められ、最低限の文化は守られているように見える。
争いが起こる背景
それではなぜ、叛乱は起こったのか。
きっかけはセデック族の婚礼の祭りに立ち寄った日本人の警官が振る舞われた酒を拒否し相手を殴打したことだ。主人公の頭目モーナ・ルダオは戦いを望む若者たちをいさめようとする。
彼自身が最も屈辱を受け、苦渋の運命に従ってきたことはマッチの火薬を密かに溜めてきたことから伺える。彼らは文明を受け入れつつも、日本軍から「与えられた」平和に納得していたわけではない。なぜなら彼らは狩猟民族だから。
圧倒的な力で支配する日本軍を相手にするということは、はじめから全滅することがわかっている。それでも蜂起するに至ったのは、殴打事件はきっかけにすぎずもっと根源的な問題がある。
それは結局、文化の違いというところに行き着く。
セデック族から戦いを奪うということは、彼らにとっての生きる目的を奪うことに等しい。
彼らは首狩り族だ。常に死と隣り合わせの狩り・他部族との戦いが彼らの生きる世界だった。
そこに日本の農耕文化を「よかれと思って」植え付けようとしているのだから、どんなに紳士的で親切であるように見えても齟齬が消えないのは避けようがないのだ。
戦争と平和
平和主義の「絶対に人殺しはいけない」という思想は我々の文化圏では当然のことのように謳われるが、それはそうではない人々への理解を妨げる偏った思想だと考える。
歴史や物語の中で戦いの勇敢さを表現し感動させるものが無数にあるのに、そこの矛盾についてはまるで考えもしないような空気にずっとわだかまりを感じてきた。
そんな想いにどストレートな球を投げてきたのが「ロッキー4」だった。平和主義者が戦地に赴いて自らの絶対的信念を伝えようとしてもあまりに無力であり、まるで欺瞞のような印象すら受ける。
「人殺しは是か非か」という問題提起自体が無意味になる世界が確実に存在する。
そもそも平和主義を謳歌する先進国が未だに戦争をやめないという現実は、「殺すことで生きる」というテーゼを全く払拭できないことを端的に表している。
セデック・バレはロッキー4と同じ視点を持った希有な作品だと感じた。
なぜ二部作なのか
ここからは映画の感想。
紛れもない超大作。
悲しいかな今の日本映画界からは絶対に出てこない映画を台湾が作っている。
単に制作費の規模ということだけでなく、観客の嗜好や映画界のシステムを背景とした結論だ。
日本の映画でも凄惨な殺人を主題とした作品は近年増えてきたが、それは小規模な人数の内面を濃密に描くベクトルにあり、大規模な戦争とは真逆と言ってもいい。
どちらがいいという話ではないが、こういう映画が日本資本で生まれないのはそういう背景がある。
かといってこの映画が戦争を大局的に描いただけの作品ということでもない。
むしろ個々人の内面に深く切り込んだ脚本だ。だから日本人である我々が観てただ痛いという話にはなっていない。
そもそも「どちらが正しい」という描き方をしないことに細心の注意を払っているからこそ日本人から見ても「これはおかしい」という感じを抱かせないつくりになっている。
これは日本に対して反省を促すプロパガンダ映画ではないのだ。民族的には敵であるはずのセデック族の蜂起には否応無しに心を躍らせてしまう。
合計4時間強の作品があっという間に感じられるほど濃密で退屈させない。
しかし2部構成には若干疑問も残る。想像だが、これはもともと2作品に分けて公開する予定ではなかったのではないか。しかし戦闘シーンの撮れ高が高すぎた結果こういう形態になったのではないか。
というのも、1部で戦闘が始まり、2部はその戦闘が終結するまでという構成なのだが、2部にはあまりにも凪のシーンがなさすぎる。
戦闘シーンのクオリティは総じて高いが、それゆえに削るのが惜しかったのかと思うぐらい冗長で、一本の映画としては展開が平坦なのだ。映画レビューを見ても1部に比べて2部の評価はグッと下がる傾向にある。
もし最初からこの構成でスタートする予定だったとしたら、もっと盛り込んで欲しいシーンがあった。若年のモーナをもっと見たかったし、特に内地(日本)に連れてこられた時の話は省略するにはもったいなさすぎるだろう。日本軍に支配され、自由を奪われた中で頭目になったモーナの苦渋は描くに足る大事な要素だった。元々一本の映画だったらその省略も納得できるのだが。
とはいえ作品全体の中ではそんな不満も微々たるもの。演出・撮影、そして何より役者陣の熱演を超えた異常なテンションが素晴らしい。みんな顔面がいい。男が見てカッコいいと思える野生と信念の固まりのような面々。特にモーナの顔面力は今年見た中でダントツである。