FFCC(フランス料理文化センター)で行われていたAOCについての講座が、
昨日で終了しました。

全ての回に出席することは出来ませんでしたが、この講座は本当に得るものが大きかったです。
毎回、前半は大澤隆先生によるAOCの成り立ちや歴史についての講義があるのですが、
これがもう何回聞いても目から鱗。
聞くたびに新しい発見があるのは、同じ内容でもいろいろと角度を変えて話をしてくださるからかもしれません。
フランスでなぜAOC(原産地呼称統制)が成立したのか。何のために作られたのか。
どのように運営され、どのように守られているのか。
その歴史的な背景はもちろん、成立までの様々な過程~失敗があり混乱があり暴動があり~を知ることは、これからの日本の法律を考えて行くうえで、本当に大きな判断材料になると感じています。
『テロワール』とは、 『原産地の自然(極地気象、地形、土壌、水質、微生物を含む生態系)』と、『現地に住む不特定多数の人間の長年にわたる集団的な営為(伝統的生産手法)』とが結びついた食材品質の決定要因である。
本質のすべては、この言葉に集約されるのではないでしょうか。
ワイン業界で「テロワールの定義」がよく話題になりますが、これ以上簡潔に、納得のいく言葉で説明されているのを見たことがありません。
この真の意味での『テロワール』から生じた正当な味わいの個性を記憶し、継承していくのがAOCの役割であり、そのための具体的なツールが「Cahier des Charges(仕様書)」なわけです。
つまりこれは、何百年もかけて『テロワール』というものが確立している土地で初めて成り立つ法律とも言えます。
間違えちゃいけませんよ。
ここで言うテロワールには、『不特定多数の』人間の『長年にわたる集団的な』営為が含まれてますからね。
さて、日本のワイン生産の現場を振り返ってみて、真の意味で『テロワール』を持つ土地がどれだけ存在しているのかと。
個人個人が自分たちの想いに忠実に、それぞれの土地の個性を探りつつ、良質なワインを生み出し始めたばかり…という場合がほとんどではないでしょうか?
『AOCは記憶装置だ』と大澤先生はおっしゃいます。
その国の、ひいては人類の宝として、永続的に守って行くべき味わいを記憶するための装置だと。
永続的に保存すべき味わいを確立した日本のワインなんて、現時点で果たして存在するのだろうか?
私の考えはNOです。
どんなにいいワインが生まれていても、個人の技量に頼るところも大きく、その味わいを永続的に世代を超えて保存できる保証は何もないのが現状です。
日本ワインは、まだ生まれたての赤ん坊のようなもの。
どのように成長していくかを、優しくおおらかに見守って行かなければいけない段階です。
成長期に枠をはめすぎて大人になってダメになるっていう例は、
人間にも植物にもよくある話ですよね。
世界に誇れる日本ワインを育てるために、今ほんとうに必要とされている法律は何か?
しっかりと議論して、暖かく見守るための仕組みが確立されることを望みます。
昨日で終了しました。

全ての回に出席することは出来ませんでしたが、この講座は本当に得るものが大きかったです。
毎回、前半は大澤隆先生によるAOCの成り立ちや歴史についての講義があるのですが、
これがもう何回聞いても目から鱗。
聞くたびに新しい発見があるのは、同じ内容でもいろいろと角度を変えて話をしてくださるからかもしれません。
フランスでなぜAOC(原産地呼称統制)が成立したのか。何のために作られたのか。
どのように運営され、どのように守られているのか。
その歴史的な背景はもちろん、成立までの様々な過程~失敗があり混乱があり暴動があり~を知ることは、これからの日本の法律を考えて行くうえで、本当に大きな判断材料になると感じています。
『テロワール』とは、 『原産地の自然(極地気象、地形、土壌、水質、微生物を含む生態系)』と、『現地に住む不特定多数の人間の長年にわたる集団的な営為(伝統的生産手法)』とが結びついた食材品質の決定要因である。
本質のすべては、この言葉に集約されるのではないでしょうか。
ワイン業界で「テロワールの定義」がよく話題になりますが、これ以上簡潔に、納得のいく言葉で説明されているのを見たことがありません。
この真の意味での『テロワール』から生じた正当な味わいの個性を記憶し、継承していくのがAOCの役割であり、そのための具体的なツールが「Cahier des Charges(仕様書)」なわけです。
つまりこれは、何百年もかけて『テロワール』というものが確立している土地で初めて成り立つ法律とも言えます。
間違えちゃいけませんよ。
ここで言うテロワールには、『不特定多数の』人間の『長年にわたる集団的な』営為が含まれてますからね。
さて、日本のワイン生産の現場を振り返ってみて、真の意味で『テロワール』を持つ土地がどれだけ存在しているのかと。
個人個人が自分たちの想いに忠実に、それぞれの土地の個性を探りつつ、良質なワインを生み出し始めたばかり…という場合がほとんどではないでしょうか?
『AOCは記憶装置だ』と大澤先生はおっしゃいます。
その国の、ひいては人類の宝として、永続的に守って行くべき味わいを記憶するための装置だと。
永続的に保存すべき味わいを確立した日本のワインなんて、現時点で果たして存在するのだろうか?
私の考えはNOです。
どんなにいいワインが生まれていても、個人の技量に頼るところも大きく、その味わいを永続的に世代を超えて保存できる保証は何もないのが現状です。
日本ワインは、まだ生まれたての赤ん坊のようなもの。
どのように成長していくかを、優しくおおらかに見守って行かなければいけない段階です。
成長期に枠をはめすぎて大人になってダメになるっていう例は、
人間にも植物にもよくある話ですよね。
世界に誇れる日本ワインを育てるために、今ほんとうに必要とされている法律は何か?
しっかりと議論して、暖かく見守るための仕組みが確立されることを望みます。