と、いうネーミングで、今月から朝日カルチャーの新しい講座を担当させていただいてます。
名前の通り、ワインと料理に関する歴史を紐解いていこう…というまじめなお勉強講座です。
実はわたくし、これでも早稲田大学文学部の「西洋史学専修」なるところを卒業してまして。
隠れ歴女(世界史限定)を自覚しております(笑)
ということで、歴女本領発揮のこの講座。
ワインの歴史とフランス料理の歴史はもちろん、それぞれの時代的な背景もしっかりと学んでいきます。
初回の今月は、「神話の世界からローマへ」というテーマ。
ギリシャ・ローマの世界における、ワインや食事の役割、そして当時の時代背景などについてお話をしました。
で、飲みながらこの時代を振り返ってみると、当時の人々にとって「ワイン」が、いや「葡萄栽培」そのものが、文明人たる証でありプライドであり、生存価値のすべてだったということがわかります。
自分たちはそこらへんの原住民とは違う、「文化」を持ったワンランク上の人間なんだ。という証が、「手を掛けた(選定した)葡萄の樹」であり、そこから作られた「ワイン」だったわけです。
だからこそ、彼らはブドウ栽培とワイン造りに心血を注ぎ、神話の神々と結びつけ、自らを神に近づけるためにワインを飲んだ。
ギリシャ時代、ホメロスの詩に書かれているように、「丹念な栽培によって、葡萄から長期保存が可能で長期輸送の費用に見合うワインを作り出す技術」はギリシア人にとって自己の存在価値を左右する重要な技術であったし、オデュッセウスは蛮族の「手入れのされていない葡萄」から作ったワインを嘲笑います。
すごくないですか?
これはもう、ワインの味わいがどうとかいう問題ではないし、テロワールがどうとかいう問題でもないんです。
それ以前に、「人間が塩にかけて栽培した葡萄であること」が、ワインにとって何よりも重要なんです。
さらに言うと、ワインを生み出すということは、人間が自然を支配しようとした最初の試みなんじゃないかと。
人が自然に働きかけ、その結果として自然のままの状態よりも明らかにいいワインが出来上がる。
その結果を証拠として、人間は自然への支配を正当化する。
文明人として、他の動物とは違う道を自信をもって歩み始めるわけです。
こうなると、ヨーロッパ人にとってのワインとは、彼らのDNAそのものというしかありませんね。
日本人が彼らと同じ感覚を持とうと思っても、DNA的にとてもムリ。
だけど、ワインが何千年も存在し続ける本当の理由を知り、その文化を理解して寄り添うことはできるはず。
ワインという液体の「今」を切り取るだけではなく、
その液体が語る人類の軌跡に耳を傾けられるようになったら、
私たち日本人のワインの楽しみ方も、少し変わってくるかもしれませんね。
朝日カルチャーセンター 「ワインと美食のおいしい歴史」講座
http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=258087&userflg=0