「“死刑裁判”の現場~ある検事と死刑囚の44年~」
私にとっての注目すべきところはこの死刑囚の生い立ちである。
悲惨である。
まず父親は戦争で負傷兵として復員。 酒びたりの生活で都電に深酒の上、轢死。
それが昭和26年。 当時、彼はまだ7歳。
その幼子が母と一緒に父親の遺体を毛布にくるんで運んだという。
中学卒業後、職を転々とする。
最後、車の板金工として働くも直後、事件を起こす。
22歳。
私選弁護人など雇えるはずもなく国選弁護人で裁判。
死刑判決の5年後、執行されその人生を終える。
母親はその直後、事件現場の近くの電車に飛びこんで自殺。
自分の息子を助けるために当時の国選弁護人の自宅まで文明堂の高級カステラ
を持参して死刑回避を懇願するも追い返される。
この当時、この母親の心境はいかばかりであっただろうか?
貧窮を極め明日の生活すらままならない状態の時になけなしのお金で
カステラを買ったその母の想い。。。
昭和30年代~昭和40年代までを駅の露天新聞販売でギリギリの生活を過ごして
いたという。
あまりにも考えさせられる事件であった。