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北に進路をとり、関ケ原歴史民俗資料館到着

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レンタサイクルの車庫だったかな?

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とりあえず顔出します。
館内撮影禁止なので写真ありませんが
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土産はいろいろ買ったぜ。
長男もいろいろ買ってた。
青い箱は
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これじゃ( ̄∇ ̄;) ハッハッハッ
真ん中の杉の木のグッズは
関ケ原の合戦絵巻にも描かれている大杉の
折れてしまった大枝を加工して
いろんなグッズとして売ってるものです。

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資料館の辺りは徳川家康が最後に陣を敷いた場所で
首実験なんかをしたんだそうな。

ここからは車で陣所巡りです。
全部を回る時間はないので、勝手にセレクトしました。
( ̄∇ ̄;) ハッハッハッ

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「決戦地」
まあ、どこも決戦してたんだけど、小早川が裏切って、
三成本陣前で徳川軍との決戦が行われた場所ということらしい。
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まあ、この辺りは屍が累々としてたんでしょうなあ。

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ちょっと行くと、テレビにもよく出てくる。
三成陣所の笹尾山
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なんかいる( ̄∇ ̄;) ハッハッハッ

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それっぽく柵があって、少し登ると

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陣所跡
どう見ても勝てる陣形で、
どう見ても大義は三成にあるのに負けてしまう。
自分の思うように人が動いてくれない。
約束を破る奴もいる。
手のひらを反す奴もいる。

戦場という特別な場と考えがちですが、
現代社会でも仕事の上では
普通に起きてることのように思います。
まあ、人は何も変わってないのかもしれません。
( ̄∇ ̄;) ハッハッハッ

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こっちが小早川のいた方向

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こっちが毛利がいた方向ですね。

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次は開戦地

徳川譜代の井伊が抜け駆けして、
そうはさせじと豊臣恩顧の福島が先駆けするって、
どういう構図よ。って思うけど、そんなに三成ちゃんは
嫌われてたのね。ってわかる事実よね。

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ここは特に思い入れないけど小西行長の陣所
秀吉と唐の板挟みで大変だったのはわかるけど、
まあ、唐入りした大名には恨まれるわな。
この時、家康公についた豊臣恩顧の大名は
ほとんどが唐入りで辛酸をなめた大名です。

歴史好きは知ってるけど、秀吉公が朝鮮出兵したっていうのは
間違いで、あれはあくまでも「唐入り」つまり中国出兵であり、
その途中で中国の属国の朝鮮を通過したにすぎません。
まあ、通過できなかったから結果として
朝鮮出兵に見えただけのことです。

その辺りはきちんと歴史で教えるべきですね。

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小西陣所からちょっと離れたところにあるのが、
負けた三成方で唯一のヒーロー島津家の陣所です。
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ここは石碑がいろいろあるよ。慕われてます( ̄∇ ̄;) ハッハッハッ
島津は大して兵出してないし、活躍もしてないんだけど、
何しろ負けが決まってから、徳川本陣を正面から突っ切って
戦場を離脱したという「島津の退き口」を演出した場所だからねえ。

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宇喜多秀家の陣所は薄暗い里山の中にありました。
関ケ原で一番頑張った西軍の大名です。
結局この人は島流しになるんだけど、
一番長生きしたんだよね。


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関ケ原陣所巡りの最後は
かぐや姫が出てきそうな竹林の先
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金毘羅神社があって

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どーんと展望がいい

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岡山烽火場、黒田長政、竹中重門陣所跡です。

これにて関ケ原陣所巡りは終了
 
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おまけで、近くに領地があった竹中半兵衛から続く竹中家の
屋敷跡も見てきました。
門の先は幼稚園で一般の人は入ることができません。
( ̄∇ ̄;) ハッハッハッ

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とりあえず顔は出します。

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半兵衛さん、早死にしちゃったからねえ。
長生きしてたら豊臣の歴史が少しは変わってたかもしれません。