相模原障害者施設殺傷事件
事件概要
2016年7月26日未明に神奈川県相模原市緑区で発生した大量殺人事件。 神奈川県立の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」の元職員であった植松 聖(当時26歳)が、同施設に刃物を所持して侵入し入所者19人を刺殺、入所者・職員計26人に重軽傷を負わせた。

動機
植松の犯行動機の根底にあるものは障害者は社会の負担であるという考え方です。 それに加えて、「重度障害者は人間であるが、人ではない」などとして障害者の人権を否定しています。 彼はこの2つによって障害者は社会のために排除してもよい存在だと結論を出しています。
この事件をモチーフにした映画を観た。
月。
太陽が見えないほど、深い森の奥にある重度障害者施設「三日月園」。ここで新しく働くことになった堂島洋子は元・有名作家だ。東日本大震災を題材にしたデビュー作の小説は世間にも評価された。だがそれ以来、新しい作品を書いていない。彼女を「師匠」と呼ぶ夫の昌平は人形アニメーション作家だが、その仕事で収入があるわけではない。経済的にはきつい状況だが、それでも互いへの愛と信頼にあふれた二人は慎ましく暮らしを営んでいる。施設の仕事にはだんだん慣れてきたものの、しかしこの職場は決して楽園ではない。洋子は他の職員による入所者への心ない扱いや暴力、虐待を目の当たりにする。だが施設の園長は「そんな職員がここにいるわけない」と惚けるばかり。そんな世の理不尽に誰よりも憤っているのは、さとくんだ。彼の中で増幅する正義感や使命感が、やがて怒りを伴う形で徐々に頭をもたげていく。
まぁまぁ苦痛な2時間半だった。
まず、主人公の洋子(宮沢りえ)に全く共感できない。
先天性の心臓の病気をもって生まれてきた我が子が低酸素脳症で言葉を話すことなく3歳という短い命を終えたことをタブーみたいに扱ってるのがしんどい。
旦那(オダギリジョー)も腫れ物に触るみたいに妻の機嫌ばかり伺ってて、「師匠」とか呼んで、他人より他人みたいだなぁーって感じた。
二階堂ふみの役も気持ち悪くて見てられなかった。
敬虔なクリスチャンだった父親からこどもの頃、躾と言う名の体罰を受け、大人になった今その父親は不倫をしてる。←まぁ、耐えられないよね。それはわかる。
小説を書くネタが欲しくて3.11の被災地に赴いたり、障害者施設で働いてみたり。
綺麗事・嘘ばかりの世の中に心を壊してる役なんだけど、他の生き方を選択しなよ。と言ってやりたい。
この作品を観てると、障害者施設で働いてる人たちは気が狂って当然。って言ってるみたいで不快だった。(実際、虐待やいじめ等、問題はあるんだろうけど…)
そんな中、さとくん(磯村勇斗)だけが人間らしくみえたのは何故だろう。
劇中では聾者と付き合ってるけど、映画の演出であって事実ではない。
【心があるか否か】でターゲットを分けてることを強調したかったんだろうなーって思う。
前から言ってることなんだけど、誤解を恐れずに言うと、わたしは植松のさとくんの言ってることが理解できる。
自分に置き換えて考えた時、例えば事故で脳死状態になって自分の意思でなにも出来ず、心臓が動いて呼吸してるだけの状況になったら、無駄に命を伸ばすようなことはしたくない。(あくまでも自分がそうなった場合。大切な人にはどんな状況でも生きていて欲しいと願うエゴもある。)
映画の中で、障害を持って生まれてくる我が子を中絶するのと、実際重度の障害を持って生まれてきた人を殺すのと、何が違うんだっていう問いかけがある。←ここさ、グサっとくるよね。マジで。
一度も障害者を気持ち悪いと思ったことはないのか。
本当に社会の一員だと思っているのか、平等だと思っているのか、差別していないのか。
見たくないもの臭いものには蓋をして、この世のどこかで実際にあることだと知っていながら無関心な人がほとんどで。
自分で物理的に支援しようとは思わない。
そういう施設で誰かが面倒見ればそれでいいと思ってる。
重度の障害者にだって生きる権利はある!大切な命!っていう建前。
呆れるくらい現実を描いてる作品。
現実といえば、
実際の障害者を出演させてるのはどうなんだろう…
リアルを追究するのと、本物を出すのとは違うと思う。
植松聖の事件に興味があって観る人が多いと思うけど、かなり鬱い映画なのでメンタル弱ってる人は注意。
フィクションですが、後半は結構実際の事件に寄せてます。





