自分がどう在るかということと、
他人がどう在るか、なんて
何にも関係ないんだなと実感してる。
インスタで私は自分のいまの気持ちを写真とともに記録しているけれど
その時々の気持ちとか、こころに決めたことを、
モニターの向こうのフォロワーさんには求めてなどいない。
○○しましょう~😊
っていう締め方をしても、基本求めてない。
人のセックスを笑うな
という映画が昔上映されましたが(観てない)
あれとおんなじだなーと思う。
スピリチュアルやってようが何だろうがそうだなあと思う。
セックス=sex=性
=人生。
みんな自分と自分のパートナーのセックスについてああだこうだ言われる筋合いないと思うの。
あんたの人生間違ってるね、とか言われたらどうよ笑!
余計なお世話だバカヤロー(笑)
って人と状況によってはなるよ、つっこんじゃうよw
たとえ!
スピリチュアルでさ
それは波動低いねまだ○○の状態だね△△と向き合ってないね
って
明らかにこちら側が見て取れたとしても、
そうじゃないかなって、やっとわかった。
私はさ、
救いたい、なんとかしたい
という気持ちがものすごくあったんだ。
とくに、
自分がいままでそう(苦しい、悩み、モヤモヤ、怒り)だったから、
改善できたやり方やメソッドを目の前でいまその状態にあるひとに教えたくて。
なんとかなるよ!なったよ!って。
早くその状態から脱せたらなあ...。
でも、いまは思わなくなった。
余計なお世話だったんじゃないかと
猛烈に恥ずかしくなった。
ふとその言葉を目にしたか、聞いたか、
その瞬間に胸がえぐられるような痛みがして。
よーく落ち着いて考えた。
この惑星は自由意思の星。
今世で、経験したいことのすべては
本人があらかじめ決めてきたこと。
食堂で最初に食券買うみたいな。
地図も、持ち物も、服装も、
ルートも、自分で決めてきた。
あんなこと経験しよう!
まてまて、あんな経験も!
こんな人と一緒にいて、...。
それがたとえどんなに苦しかろうが孤独だろうが悲惨だろうが
自分で決めてきたんだよね?
ワタシには、彼or彼女がどんな状態であろうと
魂には関係ない、と言うか
そのジャッジメントは所詮エゴが下したもの
この地球でしたかったことを、
勝手に横やり入れちゃ野暮なんじゃねえか
そう気づいたのやっと。
「あんた、○○だね!そりゃ△△にするといいんだよ!やってみな!」
って言われてさ
「なんだい気が利くねえ!たすかったよ!」
となればいいかもしんないけど
なかには
え...何...なんか私、指摘されたの...
え...間違ってるって言いたいの?
どうせ私はできてませんよ
とか思っちゃう状態や状況があるわけで
それを「拗ね」とか色々、
タダシク言えるかもしんないけど
まあ、何て言うか...
人が成長するチャンスを奪うな
ってことを個人的に痛感した。
あとは、
人のダルマを羨んでも仕方ないように
カルマも正そうとするな
ってことなのかなーって。
目の前でどんだけ負の状況に見えても
それを尊重してるか?
信頼しようよ
大丈夫だって
もちろん求められたら誠実に関わりたい。
だけど相手を信頼して、
大丈夫!
って気持ち、大事なんじゃないかしら
即ち、
それはもう一人のワタシの魂を信頼するってことでしょう?
ワンネスってことから言うと。
そもそも個人個人の潜在意識が違うんだから、
見え方捉え方感じ方もちがうし、
困ってると思うのはワタシだけかもしんないよね
少なくともいまは私自身、不要なモノを削いだ気持ちがする。
救わなければいけない人
正すべき人
そんなのいなかったよ
私がそうだったように。
なんとかしたい
そう思ったときは
目の前のその人をフェードアウトして、
うしろに隠れている自分自身をなんとかしてやりゃいいんだ
あの人が問題あるんじゃない。
あの人に見る自身自身だ。
過去から今に続く自分自身だ。
それが引き寄りあってるものだ
人のダルマもカルマも尊重しあいたい。
なんかそう思うよ。
いい春を迎えた気がするよ。