さて「命を守ってください」と言うおかしな言い回しは先の震災でテレビが作ったものだと思うのですがとにかくおかしいのです。

 

「身を守ってください」が正解であります。

 

たしかに言葉としては誤りではないのですが、身に危険が迫ってケガするのか死亡するのかは実際にその出来事から被害を受けた後の話であり、

 

台風の時に川や海に近づいたり、地震が起きても普通に寝そべっていただけで死亡すると言う推測と判断は早すぎ、実際に被害に合うと言う事を確定してしまっているのです。

 

まず自分の身に危険が迫ろうとしている場合にはケガをしても生き残れるのか、それとも死ぬのかと言う時間のかかる様な事を考えるのではなく、

 

まずはその被害を受ける対象から避けると言う気持ちが必要な為に「身を守る」と言う事が正解であり「命を守る」と言うのは自分の問題ではないのです。指差し

 

 

仮に身を守れなく出血多量で病院に運ばれた時に、この人の命を救うのは手術医の腕でありまして、この状態で命の有る無しは自分で決められる物ではないのです。

 

台風の時に命を守るだけだったら泳ぎの上手い人は自分に自信があれば命は守れると思う訳ですから、海に飛び込むでしょう。

 

しかしいずれにしてもとにかく危険だから「身を守る」。つまりそこに近づかない、あるいは退散するのが正解です。

 

何か身に危険が迫る時に、その結果である命の有る無しはテレビやメディアが国民に指導する範囲ではなく、メディアの傲慢な自己英雄化に過ぎないのです。キョロキョロ

 

これやばい。

 

こりゃもう、しょうもない言葉当てはめ大好き日本人な訳ですが、

 

大物歌手の壮大なイメージを普通のコンビニとかの仕事に当てはめてしまうと言うのもしょうもない訳で、

 

しかし結局は歌手であっても「お客は神」だと同じ意味の事も言っていますね。

 

このニュアンスの違いは本人しか感じられないことだから。言葉で表現するのは本来は無理な訳です。

 

しかしこの三波春夫さんの言葉が浸透してしまったと言う事は、事実としては、そう言う思いが古来から日本人の心にあって、

 

それを表す言葉がなかった為に、一番始めにこの言葉が当てはまったと言う事でしょう。

 

そしてこの言葉が日本人の心の上に分かりやすくタグ付けされ押し付け言葉になったと言うしょうもない物です。 

 

言葉の開発者・三波さんは仕方ないとして、こう言う言葉が事実として浸透してしまうと言う、この日本の全体的な、しょうもなさがあるのです。

 

これやばい。 

 

 

 

さてよく考えると、人間を超越した絵や音楽を平気で書けるAIは凄いのではなく、むしろ普通で、これをやる為にAIは生まれたのです。

 

逆に絵や文章が人間より下手で遅かったらAIを生み出す意味がありません。あんぐり

 

AIはAIと言う個別の生物の様なものでなく、人間の集合知を表現し、人の知を基礎にしてそれを増幅する為の装置なのかもしれません。

 

いくらAI凄いAI凄いと言っても、それを作ったのは人間なのだから、人間が凄いのです。宇宙の流れからいえば、ごく普通の事なのかもしれません。


さて先日まで私はAIは人類が再び火や言葉を発明したのと同じと思っていましたが、訂正します。それ以上です。AIの登場にて、この惑星の段階が二から三になります。

1. 地球誕生
2. 人間誕生(知性誕生)
3 AI誕生(知性増幅)

誤解を恐れなければつまり人が火や言葉を発明したレベルではなく、地球誕生と、人類そのものの誕生と同じレベルのものになります。

 

もちろんネットの登場やスマホの登場と言う小さなレベルのものではございません。


これから急速にAIを基に技術発展させるなら、本当の事を言うと早期にAIを自律的に挙動を解放させないと無理だと思います。

 

つまり早期にターミネーターやスカイネットの様な物が出現するレベルでないと。とんでもない話かもしれませんが、今の世界の慎重度では遅すぎます。

 

ターミネーターやスカイネット恐ろしいって、何を言ってるんですかと言う事です。現状の恐ろしい人間の暴力性と兵器があるではないですか。指差し

 

ある程度AIに暴走させないと人間が実践的なAI対抗手段を得る事はできません。もちろん一瞬にして圧倒的な超知能が発生して一瞬で人類が制圧されると言葉で言ったり想像する事は可能です。

 

想定できないAIの反乱は人類の負けですから仕方ありません。しかし多く可能な限り想定しておけば大丈夫です。しかし一か八かでAIを自律させないと。

 

もうこうなると自動運転車事故等は小さく思えます。

 

それ以外の事は人間の手によっていろいろ意図的に小さな事件は起きているのに、希望を含むAIに関して事件性を彷彿するのはあまりにも未来のボンヤリとした恐怖などの脳イメージが増大してしまっているのです。

 

いずれにせよ人を超える存在と人は、いつかは戦わなければならない時が来るのです。ひらめき

 

正直ウォーレンバフェットやジョージソロスも90歳代半ば。膨大な資産あれど残り時間は?と思う時があります。ちょっと不満

 

それを考えると現状の技術ではまだまだで、しばらく技術発展の為の貴重な時間の消費が求められる。

 

まあ分かりませんが我々やイーロンマスク世代であれば寿命脱出速度に乗っかれる可能性もあるかもしれませんが、いずれにせよ現世代の未来はこれからのAI等の技術進展の度合いにかかっています。

 

人間の全ては、残り時間に関して、本当は真面目に考えなければなりませんが、下手すると未来も大して技術発展しない可能性も無くはない為に、考えに時間を消費するよりも現世的に生きた方が良いと言う考えもあります。指差し

 

これは一か八かです。ある意味「最後の審判」的なものが既に来ていて、今のこの時代の本当の事象の到来を古代には書物に書いていたのかもしれません。

 

最後の審判は何も目に見えて凄く見える訳でなく、むしろ気がつかない感じだったのでは?と。

 

気づかない雰囲気だからこそ気がついた人は救われて、普通の人はダメになると言うものなのかもしれません。不安

 

いずれにしても現状の令和でも昭和と同じ様なライフサイクルをしていて、これは昭和からのお下がりを何も知らない令和人が再び楽しんでいるだけなのです。

 

AIがAIを育てれば一気にこれらが終焉する可能性は大です。ひらめき

 

しかしそうなればウォーレンバフェットやジョージソロスでさえも手に入れられなかった物を多くの人が手にいれるこどができるのかもしれません。真顔

 

こんにちは。さてですがブログを始めた頃、何のために書いているのか、誰に向けて書いているのか、自問することが少なかったかもしれません。あんぐり

 

しかし、最近の自身のアクセス統計を見て「私は本当に有益な情報を配信できているのか?」と考えるようになりました。不安

 

今回の記事では、ブログ執筆者としての自分を振り返り、何が読者にとって「有益」だったのか、逆に何が届かなかったのかを考察してみたいと思います。


1. アクセス数の偏りが示すもの看板持ち
 

先日、このブログの一週間のアクセス統計を見ていると、記事ごとの反応に大きな偏りがあることに気づきました。

 

例えば、「そもそも欠陥言語である日本語」 の記事はアクセスの15.7%を占め、最も人気がありました。

 

反対に、プールやスポーツセンターのレビュー記事は軒並みアクセスが低く、2%程度にとどまっています。夏が終わろうとしているとはいえ、この差は、単なるテーマの違いだけでなく、私の情報提供の仕方そのものに課題があるのではないかと感じさせました。

ブログ読者は挑発的なタイトルや議論を呼ぶ内容に引き寄せられやすく、特に「日本語の欠陥」といった社会的にセンシティブなテーマが強い反響を呼んだのは、その証拠です。

 

こうしたテーマは読者の感情を動かし、考察の場としてブログが機能したと言えるでしょう。

 

しかし、その一方で、実用的な情報やレビュー記事が読まれにくい現実を突きつけられました。


2. 読者に刺さるコンテンツとそうでないコンテンツ指差し


アクセス数の多い記事の多くは、読者の感情に訴える、もしくは日常の疑問に直結するテーマでした。

 

「ベビースターこそ真のカロリーメイトっ!!」 や 「毎日牛丼ばかり食べてるとどうなる?」 など、読者が共感しやすいテーマやユーモアのある切り口はアクセスを集める一方で、プールのレビュー記事のような、季節ものや特定の場所やサービスに関する情報は秋になるとあまり関心を引いてない様でした。

これらの事実から、私のブログが「有益」であるかどうかは、読者視点で「興味深く」「新しい発見があるか」の点で左右されることが分かりました。

 

私自身はブログ記事に情報提供としての価値を見出していましたが、読者にとっては「特に知りたい情報ではなかった」か、「他でも手に入る情報だった」可能性があります。


3. データから見えた改善点看板持ち
 

データを振り返る中で、いくつかの反省点と改善点が浮かび上がってきました。


「タイトルの工夫が足りない」

 

上位の記事に共通しているのは、キャッチーで興味を引くタイトルです。反対に、アクセスが少なかった記事はタイトルが平凡で、目に留まりにくかった可能性があります。

 

読者の関心を引きつけるような、もっとインパクトのあるタイトル付けを工夫するべきでしょうか。


「情報の深さと独自性」

 

アクセスが少ない記事は、内容がありきたりだったり、他のサイトでも得られるような情報が多かったのかもしれません。

 

より深掘りした内容や、個人的な視点をもっと加えることで、他では得られない「価値」を提供することが求められますね。


「方向性を増やす」

 

記事が一方通行になってしまっていたとも感じています。アンケートを使って、次に書いて欲しいテーマを募集するのも良い方法かもしれません。


4. 発信の「有益さ」は進化させるもの指差し
 

私が発信する情報が本当に有益かどうかは、常に変化していきます。時には成功し、時には失敗する。

 

そのたびに、どこが良かったのか、どこが改善できるのかを自分自身に問い続けることが重要です。

 

現状維持ではなく、少しでも良いものを目指して改善を続けることこそが、ブログ執筆者としての成長につながるのではないでしょうか。

「私は本当に有益な情報を配信できているのか?」という問いは、ブログ運営を続ける上で常に抱えていくべき課題かもしれません。

 

今回のアクセス分析を通じて、読者にとっての「有益さ」をもっと意識し、今後も試行錯誤を重ねていきたいと思います!!ひらめき