高額納税者の斉藤一人さんの話でこう言うのがあるのですが。

 

クイズで「宝石と一杯の水、どちらが価値がありますか?」と言う物です。

 

正解は当たり前に宝石なのですが、こう言う時に多くの人は、わざわざ自分が砂漠にいる様なシーンをいちいち思い浮かべて「水」と答えてしまうらしく。砂漠に一人で取り残させる確率など無いのに、こう言う事を考えてしまうのだそうです。

 

これと同じ様にAIや新しいテクノロジーを見た時に、わざわざ映画の様なシーンを頭の中で彷彿させて懸念してしまう訳です。AI人類滅亡説など今の我々が考える事ではないのです。

 

なぜ普通の人たちがこれらをわざわざと自分の事の様に考えるのか?これらは人工知能の企業秘密レベルの仕事についている人たちしか知りえない事で、戦争についても政治についても良くなっても悪くなっても普通人では結局は何もできないと言う事なのです。

 

できる事と言えば雨が降った時に普通に傘をさす様に、周りの環境に対して自分がどうするかですね。時代の変化や環境自体は自分で変えられるものではないのかもしれません。てへぺろ

 

さて、裸で股間をさらけ出している訳でもないのに、私たちは何を恥じり、恐れているのでしょうか?


なぜ他人の目や批判に囚われ、自分の真正面から立ち向かうことをためらってしまうのでしょうか?


自己表現と自己の意思を貫くことは、私たちが本来持っている力を発揮し、自由な人生を歩むために欠かせないものです。

世間の常識や他人の期待に縛られることなく、自分自身を表現する勇気を持ちましょう。


他人の意見や批判に振り回されることは、私たちの成長や自己実現の妨げとなります。


自分自身の内なる声に耳を傾け、自分が望む道を進む勇気を持つことが重要です。


私たちは他人からの評価や意見に縛られることなく、自分自身の真実を追求すべきです。


人生は一度きりであり、他人の期待に応えるために自分自身を縛り付ける必要はありません。


自己の意思を貫くことこそが、本当の自由を手に入れるための道なのです。

恥じる必要はありません。私たちは個々の独自性を持ち、自己表現の自由を享受する権利があります。


他人の目線や批判に怯えることなく、自分の信じる道を進むことで、より豊かな人生を築くことができるのです。

自己表現は自己実現の一環です。自分自身の考えや感情を率直に表現することで、内なる真実に近づくことができます。


他人が理解できないかもしれないし、賛同されないかもしれませんが、それこそが私たちの独自性や価値の証であり、成長の機会となるのです。

自分の意思をつらぬく勇気を持ちましょう。他人の目や評価に縛られることなく、自分自身の内なる声に従い、真の自己を表現しましょう。


恥じることはないのです。私たちは自己表現と意思の強さを通じて、自由な人生を築き上げることができるのです!

 

近い内、私たちは「懸念を懸念する時代」に生きる事でしょう。

 

あらゆることに対して不安を感じ、懸念する人々が増えています。

しかし、私たちはこれまでの生活を振り返る中で、多くの懸念が根拠のないものであることを確認してきました。


では、なぜ私たちは懸念に囚われ、そのような思考に陥ってしまうのでしょうか?

まず第一に、現代社会では情報があふれています。新聞、テレビ、インターネット、SNSなどから、常に情報が入り込んできます。

 

その情報の中には、不安を煽るようなものも多く含まれています。


特に、自分や身近な人々に影響を及ぼすような出来事や状況については、強い関心を持ってしまう傾向があります。

第二に、人間は本来、未知なることや危険なことに対して不安を感じる生き物です。


このような本能は、人類の生存に必要なものであり、進化の過程で形成されました。

 

しかし、現代社会では、危険な状況に直面することが少なくなり、その代わりに未知なる情報に対して不安を感じるようになってしまったとも言えます。


※ 実は、この複雑に思念が絡み合う現代では、懸念する人々は他人に注意を促す以外の目的で懸念を表明することさえあります。


□ 人が懸念を表明する場合、実際の意図として以下のような物も考えられます。


1.利益追求:

懸念を表明することで、競合他社の技術開発を遅らせることができるため、自社の商品や技術の競争優位性を維持しようとする場合あります。


2.キャリアアップ:

問題を発見し、解決することで自身のキャリアアップにつなげたいと考えている場合があります。そのために問題の発生や懸念を過剰にアピールすることがあります。


3.権力や影響力の獲得:

問題を発見し、その解決策を提案することで、自身の権力や影響力を高めることができるため、必要以上に懸念を大きく表明することがあります。


4.感情的な欲求:

人間は感情を持っている生き物であるため、懸念を表明することで感情的な欲求を満たす場合があります。


たとえば、自分が正しいと思い込んでいる場合や、他人を責め立てたい場合などが考えられます。


5.自己防衛:

懸念を表明することで、自身の責任を回避するために、問題を外部要因に帰する場合があります。


たとえば、自社の失敗を他社の技術や外部環境の問題によるものだと主張する場合が考えられます。


6.情報操作:

情報を操作することで、自社の立場を有利にすることができます。


たとえば、不確定な情報を流すことで、相手に不安を与え、自社の製品やサービスを選ばせる場合があります。


以上のように、懸念に陥る原因は、情報の過剰な入手と本能的な不安によるものが挙げられますが、それらの感情を利用しようとする人々がいます。

 

しかし、私たちは根拠のない懸念に捕らわれ、その懸念が私たちの人生を支配することは避けなければなりません。


そこで以下のような対処法を考えることが重要です。


1.情報の取捨選択を行うこと

情報があふれる現代社会では、どの情報を受け取り、どの情報を無視するかを判断することが重要です。信頼できる情報源から入手した情報に基づいて、冷静な判断を下すことが大切です。


2.不安を感じた場合は、その懸念の正当性を検証すること

懸念を感じることは人間の本能的な反応の1つですが、その懸念が正当なものかどうかを検証することが重要です。


懸念が根拠に基づいている場合は、それに対処することが必要ですが、根拠が不十分な場合は、その懸念が実際に起こる可能性が低いことがあります。


懸念を表明する前に、根拠を確認することが大切です。


3.前向きな行動を起こすこと

懸念を感じる場合、その原因を調べ、解決策を見つけることができます。懸念を持っているだけでは問題を解決することはできません。


前向きな行動を起こすことが大切です。解決策を見つけるためには、情報を収集し、専門家の助けを借りることも必要です。


4.自分自身の考え方を変えること

懸念を持っている場合、その懸念に関する考え方を変えることもできます。ポジティブな思考を持つことで、懸念に対するストレスを軽減することができます。


自分自身の考え方を変えることで、懸念を取り除くことができる場合があります。


5.誰かと話し合うこと

懸念を持っている場合、その懸念を誰かと話し合うことが役立つことがあります。


家族や友人、専門家など、信頼できる人に相談することで、自分自身の考え方を整理することができます。


また、他人からの視点やアドバイスを受けることで、問題に対する新たな解決策を見つけることもできます。


・・・懸念を持つことは人間の本能的な反応である一方、その懸念が過剰である場合、ストレスや不安の原因となることがあります。


しかし、これら他者からの懸念を適切に対処することで、ストレスや不安を軽減し、生産性の高い人生を送ることが可能となるのです。


以上ありがとうございました。ニコニコキラキラ

「世の中が良くなる様に祈ってはならない。」



 

こんにちは。先日、私の思考上で判明した事でありますが、多くの人々は世の中が良くなる事を願っていたり平和になる事を願っていたりします。


しかしながら、その様な物は実現する物ではなく、また世界や宇宙と言うのは人間にその様な事をする為にあるのではないのです。

こう言うと、昔の厳しい環境よりも今の方が平和で良かったじゃないか!と言う声も上がります。


しかし自然の中で肉を食べていた原始人も、未来である現代を想像しないで知ることなく生きていたのだから、そこに幸福も不幸もありません。


少なからず肉を食べていた時間は幸せだったでしょう。


では世界は何の為にあるのかと言うと、人間がパワーを放出する為にあるのです。生まれてきた人間がパワーを放出して、そして消滅(死)していく空間が、この世です。

これから未来、火星に移住しようが、好きな物が一瞬で手のひらから発生する様な時代になっても、人間の心や人間界に平和は訪れません。これは宇宙の終わりまで人間がいる限りです。

平和を願う事が平和に繋がっているじゃないか!と言う声も上がりますが、この場合は、とある人物が平和を願う事で他者にメッセージをしていると言う機能的な部分で平和に(例えば)0.000000001%くらいで繋がっています。

ただし、他人が支配するこの世の中全体が、自分の思うとおりに平和になる・・・とは、これまた浅はかな態度なのです。


タバコを吸う事が不健康だと思っていても他人に言われるのが嫌だという人は沢山いる様に、世の中はあなたの物ではないのです。


世の中は世の中なりに現状を保っていて、それなりに良い未来に向かっているだけなのです。


したがって私達がやる事は毎日毎日、部屋の中で妄想的に平和を無力に祈る事ではないのです。


この宇宙で望まれている事は自分の目的に向かってアグレシップに行動してパワーを放出し自分を表現し痕跡を残す事なのです。

動物園の猿やトラが、ゆっくり床にのっぺりしたまま、何かを考えているかの様にして動かなかったら、それは面白いでしょうか?


猿やトラは自分なりに平和を考えて、そうしていたとしても人間には面白くありません。意味は不明でも獣らしく動いたり暴れている方が、見ている人間にとっても面白いです。

神様が宇宙を用意したのですから、あなたはそこで何かをしなければなりません。


神様は場を与えたのみで、何をしろだとかテーマを命じてはいません。テーマはあなたが決めてあなたが演じるのです。

それが例え戦場の兵士であっても、目的があって神様を称えるならば、私はその兵士は人間としての表現を神様に披露しているのだと思うのです。

神様も毎日毎日、単に祈られているだけでは「だからどうした?」と思うはずです。


戦場の兵士とは言わないまでも、もうそろそろ何かしら、その身体を動かすべきタイミングなのではないでしょうか。

あなたが自分の行動を信じているなら、神様より劣る他の人間がああだこうだと言う権利は無いのです。ありがとうございました。ニヤリ
 




「急激に何かをやる事を決意」

 

今思いついたのですが。

 

例えば海外で、たった1時間過ごすためにわざわざ弾丸ツアー的に訪れることは少ないでしょう。何事においてもウォーミングアップする時間が必要だからです。

 

そして映画なんかでも序盤が長く60分くらいで良い物を120分映画にしたりで、これは視聴者に精神的にウォーミングアップさせる時間が必要だからです。

 

この様に何かを始めて吸収する時には準備時間があります。


準備が1時間かかれば、1時間仕事をするより8時間した方が同じく準備時間は1時間なので効率は良いです。

 

しかし、しかしです。

 

私の方ではこのウォーミングアップ時間の様な物は精神的にも肉体的にも不要なのでは?と疑いをかけました。


とくに日本人は準備をしたがるのです。「何か行動する前に準備」「だんだんと慣らしてから」と言うのは都市伝説かもしれません。

 

例えばですがイベントなんかでも盛り上がるのに時間がかかります。


しかしこれを私の方ではイベントに行って一秒で盛り上がろうと言うのです。1時間の仕事であれば準備なく急激に初めて急激に終わります。

 

ただし仕事帰りに自動販売機前で日本酒カップ一気のみは見かけた事ありますが、こう言うのは禁止です。笑

 

これができればかなり良く、生理学的に「人間の体はウォーミングアップが必要」と言う論に疑いをかけて、その新しいやり方を構築したいと思います。