私の価値観としてはハルシネーション(誤回答)は別にして、例えば学生がChatGPTを使用して宿題などの文を書くのは計算で電卓を使う様に問題が無い事であります。
無の状態である学生に自分の創造力を使えと言っても無理で(他人や先人の創造物から学んで自分の創造力を上げるから)、逆にどの様な文が創造的なのかをChatGPTを使って先に答えを知りながら学ぶのが、これからの時代は優れていると思います。
そしてChatGPTを使って答えを出せる物などは、これからは所詮はそれ位のレベルの内容となるのですから電卓を使う様に答えを知ってから、どの様に答えるのかの方法を体験して知ればよいのです。
つまりこれは、これまでは思考を凝らして処理していた事はAIがあるのだからそれでやれば良く、たとえ「それじゃ世からAIが無くなったらどうするんだ?」と言われてもそれは「計算機が世から無くなったらどうなるんだ?」と同じ事であり社会が原始時代に戻るほどの核戦争や隕石突入が無い限り困る事はないのです。
真の人間性や創造性はAIが介入したからと言って損なわれるレベルの物ではないのです。
表面的な人間主義を捨ててこそが本当の意味での人間主義なのです。
なぜならば人間は自分より優れた存在を認める事ができるからです。
それに多くのAI記事では、人間の創造性の存在性を断定するかの様な発言(「人間の創造性は必要なままである」等の文)がありますが、それは希望論でありデーター的に本当に人間に創造性があるのかは古今東西から不明であり、冷静に考えてみるとそもそも「創造性」とは人間を語る時の聞こえの良い差し障りがないイメージの単語でしかないのではないかと思ったのです。![]()




