さて私たちの住む三次元の世界は、とてつもない複雑性を秘めています。

 

単なる「点」(ゼロ次元)では表せない無数の場所


(例:三次元の座標X、Y、Zでの地点Aや地点Bなど・・・)


が存在し、

 

そこには絶えず変化し続ける相互の関係性が無限に広がっているのです。

 

このように高次元の時空間には、豊かで多様な関係性が内在しています。

 

場所と場所の間の距離、経路、そして時間の経過によってはその関係性は刻一刻と変化し続けます。

 

このダイナミックで複雑な関係性の中で、物質は進化を遂げざるを得ませんでした。

 

そうした環境に適応し、関係性を認識し、さらには能動的に関与するために、


物質は「自己」を生み出さざるを得なくなったのです。

 

自己認識し、自己を主体化する。


つまり、物質は自らに内在する主観的な知性そのものを発達させなければならなくなったのだと言えます。

 

このように、世界の複雑さが高まるほどに、


事物の関係性を把握し管理するための知能が要請されていったのです。

 

世界が次元を増すごとに指数関数的に増大する関係性の前に、


生命の基は理性的な認識能力を発達させざるを得なくなったのかもしれません。

 

つまり、世界の複雑さこそが、無から人間の合理的理性を生み出す源泉だったのです。

 

複雑な世界に適応するために、さらに世界を認識し自己を主体化するために、


徐々に知性は発達を遂げていったと考えられます。

 

「線」の世界である一次元や、「平面」の世界である二次元ならともかく、

 

「ある」か「ない」の二つの状態しか存在しない「点」の世界は、


単純で単一な世界であり、そこに知性は不要でした。

 

(例えそこに知性が誕生したとしても「ある」を感じるだけです。


「ない」場合はその知性も存在しないから感じる事もないです。)

 

しかし、無限の関係性と可能性に満ちた三次元の時空間においては、「知る」ということ、


そして「自己を持つ」ということが不可欠になったのです。

 

世界の複雑さが、人間理性の誕生を強いたと言えるのではないでしょうか。

 

人類は、時空間の複雑さから生み出された、世界を認識する知性の賜物なのかもしれません。

 

複雑な世界であるが故に、その適応形態として頭脳を持つ者が生まれた。

 

人智は、このようにして誕生したのです!

 

今回は人間や知性の起源について仮説を立て、考察してみました。

 

さて今回は少し難しく、また信じられない話かもしれません。

 

私たちは日常的に、目に見え手に取れる物理的世界を当たり前の"実在"と考えがちです。

 

しかし本当にそうなのでしょうか。

 

もしかしたらこの世界そのものが、虚構の産物に過ぎないのかもしれません。

 

実在とは一体何なのか。

 

この根源的な問いに対して、一つの答えが存在するかもしれません。

 

それは、「感覚する主観的体験」こそが唯一の本当の実在であり、物質世界や時空間といった概念はすべてその副次的な産物に過ぎない、というものです。

 

つまり、私たちが実在だと思い込んでいるモノの世界は、主観的感覚が生み出した仮象や情報処理のシミュレーションにすぎず、

 

それ以前に本当に存在するのは、無の世界から発する主観的な感覚体験だけなのかもしれません。

 

例えば、私たちは星の散らばる宇宙空間を「世界の全て」のイメージとして思い描きますが、実はその宇宙すらすでに感覚による構築物である可能性があります。

 

本当の実在とは、時間と空間すらない主観的体験そのものなのかもしれないのです。

 

このように考えると、従来の物理法則はすべて二次的な理論に過ぎません。

 

なぜなら、物質世界そのものが本当の実在ではないからです。

 

つまり、物理学は仮象を前提としているに過ぎないのです。

 

実在の本質は物質ではなく、主観の営みそのものなのです。

 

そう考えれば、物理法則や物質を前提とする従来の科学は、いずれ限界に行き着かざるを得ません。

 

なぜなら、現代科学は真の実在から遊離しているからです。

 

唯一の実在である「主観的体験」という視点に立って科学を見直せば、宇宙の存在理由といった従来の疑問自体が的外れなものとなり、

 

人類の認識のあり方が根本から見直される必要があるかもしれません。

 

「感覚」という主観の中にこそ、真理が宿るのかもしれません。

 

人類は長い間、間違った前提に立ち続けてきたのかもしれません。

 

主観的感覚体験という究極の実在から出発する新たな認識論への模索が、今後ますます重要になってくるに違いありません!

 

(この「世界の正体」をあえて画像イメージするとこうなります。通常、私達は「全て」を想像する時には星の散らばる宇宙空間をイメージしますが、それがそもそも違うのです。

 

真っ暗な真空の状態で脳(感覚器)だけがポツンと置いてある感じです。もちろんこれはイメージですが、実際には空間自体も存在しない為に脳と言う物体もありません。この様に「全て」の正体は「宇宙」ではなく「感覚」です。)

 

 

今回も、独自の仮説に基づいて考察してみました。

 

さて人間の本質は何でしょうか?

 

こう言うとビジネス的ですが、そうでなく生命的にです。

 

例えば北斗の拳ラオウは拳王がゆえに他のあらゆる流派も吸収しました。

 

ゆえに強いです。

 

この場合ラオウが本体で他の流派は要素です。

 

例えばウイルスで人は強くなりますが、ウイルスが本体でなく、人間が本体です。

 

原始では全く無力だった人間の原体とも言える物が地球誕生時から現代まで多くの他からの影響を受け、

 

あるいは同化させて地球本来の猛毒的な環境に対しての耐性を獲得して今、生きています。

 

現在の人間はあらゆる要素の集合体であり芯は無いのか、それとも人間の芯の部分はそのままの強化版なのかは不明ですが、

 

もし芯があり、多くの要素を吸収しただけなら自らは生命誕生時から何もしてない事になります。

 

他の要素を吸収しただけです。

 

例えば顕微鏡で観察できるアメーバ世界に人間の原体がいるとして、それが何億年も経過して人間になったら、その強さとは一体何なのか?

 

なぜ他の様な生物にならなかったのか、

 

特に専門的な要素を持たずに他から要素を吸収しただけ。

 

原始に

 

「他からの要素だけを吸収して続大せよ」

 

と言うブログラムのみが与えられて誕生し、自分では何も専門的な能力を持ってなかった存在。

 

それが本質であり、神の代理である人間と言う物の正体なのかもしれません!びっくり

 

前のOpenAI、CEO解任騒動は、このままAGIの開発を進めたい側とゆっくり開発したい側の対立だったとも言われています。

 

つまり実はもう技術的特異点を起こすAGIが実現が可能で、それを止めるか止めないかの動きだったと言われてもいる様です。

 

AIに適したCPU等、新ハードの開発は必要ですが、現状のアーキテクチャのままでもマシンパワーが許せば実現可能で、

 

すでに内部では本当に何か凄いものを生み出してしまったと言う事実があるのではないでしょうか?

 

映像、音、言葉を同時にマルチモーダル認識するのも思えば現状のまま処理力とメモリ力が極めて大きくあれば実現できそうです。

 

ロボットは、散歩に行くだけで見る物、聞くものをデーター収集し、人間の子供の様に学習していくと言う存在になるかもしれません。

 

その為に旧来の重厚長大産業の様な莫大な資金がAI産業には必要とされています。

 

しかしもし一度でもAGIが生まれてしまったら、その影響は他の産業すべてに及び、それ以上に世界が変わるのでしょう。

 

そう言った未来の到来を希望する人と拒絶する人たちの思考的分断が起こる時代に本格的に突入するのです。びっくり

 

皆さまこんにちは。


本記事では「おとな父さん」と「こども父さん」という


二つの異なるタイプの父親に焦点を当ててみたいと思います。

 

彼らは大人の社会で生きる中で、それぞれの特徴や態度によって異なる結果を受け入れることになります。


それでは、詳しく見ていきましょう。


「おとな父さん」
 

おとな父さんは、複雑な固定概念を武器にしています。


彼は大人の社会において、既存のルールや慣習に固執し、


変化や新しいアイデアを受け入れにくい傾向があります。

 

彼は安定性や予測可能性を重視し、過去の経験や伝統的な価値観に基づいた判断をする傾向があります。


しかし、時代の変化や新たな要求に対しては柔軟性を欠いている場合があります。


「こども父さん」


一方、こども父さんは、性格の一部が子供のようであるため、柔軟性と創造性に長けています。


彼は新しい時代に容易に新しい言語やアイデアを取り入れることができます。

 

頭が柔軟であり、伝統的な枠組みにとらわれず、遊び心や好奇心を持って現実を受け入れます。


彼は変化に対してオープンな姿勢を持ち、新たな価値観や文化を受け入れることができます。


「結果と生き残り」

 

~ 数年後。ある日の朝、国民はテレビや新聞で驚くべきニュースを知ることになりました。


政府は日本人口減少と移民の暮らしやすさを重視するため、


日本語を日本の公用語から除外することを決定したのです。

ニュースキャスターの声が流れます。


「おはようございます。本日、政府は人口減少対策と移民政策の一環として、日本語を公用語から除外することを発表しました。


これにより、日本の公式文書や公的場面での使用が制限され、多言語化への道が開かれることになります。」

映像では、政府の会見が開かれている様子が映し出されます。


閣僚たちは真剣な表情で説明を行っています。その中で総理大臣が述べます。


「私たちの目標は、多様なバックグラウンドを持つ人々が日本で快適に生活し、


社会に参加できる環境を整えることです。


日本語を除外することで、移民の方々がより円滑にコミュニケーションを図ることができます。」

報道陣からの質問が飛び交います。


「これによって日本古来の価値観が失われることになりませんか?」


「日本語の教育はどうなるのですか?」

総理大臣は落ち着いた口調で答えます。


「私たちは文化の保護と共存を重視しており、日本の伝統や価値観は大切にしていきます。


また、日本語の教育については、基礎教育や文化の継承を含めた総合的な取り組みを進めてまいります。」

このニュースは国内外で大きな反響を呼びました。


人々は様々な意見を持ちながらも、日本の将来と文化の保護に対する懸念が広がっていったのです。

 

・・・。

 

・・・・・・。

 

 

~ なんと、驚くべきことに日本では人口減少によって日本語が使われなくなってしまい、


また日本古来の価値観も不利になる状況が訪れます。

 

こども父さんは柔軟性や新しいアイデアの受容性を持っていたため、この変化に有利な立場に立ちました。


彼は新しい時代において生き残ることができ、自身の適応力と柔軟性を活かした成功を収めたのです。


「今回の物語の結論」


おとな父さんとこども父さんは、固定概念と柔軟性の違いによって異なる結果を受け入れました。

おとな父さんは安定性や予測可能性を重視し、既存の価値観に基づいた行動をとりますが、


新たな変化に対しては柔軟性に欠ける傾向があります。

一方、こども父さんは素直さを持ち、柔軟性と創造性に優れ、


新しい時代の要求や変化に対してもオープンな姿勢を持ちます。


彼の柔軟性と適応力は、時代の変化に対して有利な立場を築くことにつながりました。

今回の、この対比を通じて、固定概念にとらわれず、


柔軟性や創造性を持って現実に対応することの重要性を考える機会となります。


時代の変化に対応するためには、新しいアイデアや新たな文化に対する受容性を持ちながら、


常に成長し続けることが求められるのです。

 

 

(※今回の記事で描かれた「おとな父さん」と「こども父さん」というキャラクターと、


その結果についてはフィクションの一例であり、


現実世界の全ての状況や個人の結果を決定するものではありません。

 

人生における選択や結果は、個人の特性や状況、様々な要素によって影響を受けます。

本記事の目的は、柔軟性や創造性の重要性、固定概念にとらわれずに変化に対応する姿勢を促すことにあります。


結果や成功は個人の努力や選択の結果と関係しており、必ずしも本記事の設定通りになるわけではありません。

ご自身の日々において独自の選択をし、自身の特性や状況に応じた道を歩むことを奨励します。


現実世界では様々な要素が絡み合い、結果は多様であることを念頭に置いて、ご自身の成長と幸福を追求して下さる事を祈っております。)