そろそろインターネットの時代が終わります。

 

と言ってもオフラインになるのではなく、その先のAI時代、AI世代が活躍する時代になると言う事です。

 

ネット世代の発想は古くなります。ネットで人と人がつながったと言っても所詮は個人同士でやってるだけです。

 

しかしこれから出現するであろうAI世代はAIと言う人間の集合知を活用するのです。

 

これまでのネットの面倒な事は全てAIに任せると言う価値観になると思います。

 

比較的、依然として人類と社会にとってネットと言うのは新しい存在でありましたが、もうそれが古くなるのです。

 

ネット世代では理解できない様な価値観と基本行動が生まれるのです。

 

これまでネット世代は古い世代からけしからんと言われる感じはありましたが、これからはネット世代がAI世代に対してけしからんとなるのです。

 

それほどネットと言うのが老いたものになるのです。

 

これすなわち「近年はネットによって、様々な事が可能になりました」と言う類の話と驚きはどこにもなくなります。ダサくなるのです。

 

それが何なのかは具体的にはわかりませんが、とにかくAI的な物を操るAI世代と言う人たちが誕生するのです。

 

逆にこう言う事が起きないとなると進化や技術発展はしてないと言う事になります。

 

これらAI世代は今、0歳から10歳くらいの人たちになると思います。


これは仮説ですが、先に述べた今0~10歳の「AI世代」はネット世代のカウンター世代になるので、ある意味、昭和に戻るかもしれません。

 

「昭和=祖父、ネット世代=父、AI世代=息子」にするとネット世代は昭和世代とAI世代と価値観的に相性が悪いが昭和世代とネット世代の相性はそれ程悪くないと言う感じです。

 

AI世代が、すぐ上の世代のネット世代に反する行動様式を持っているとすると、それは自然に昭和に回帰している部分も含まれるのではないかと思われます。

 

AI世代はオフラインからリアルに戻りつつになるかもしれません。

 

これまでの様に、目的や欲の達成の為に小難しくネットでガチャガチャやる必要がなく全てをAIに任せるのでリアルでの時間が増え、

 

ある意味ではネット登場以前の時代テイストが少し戻るかもしれません。

現状では多くの議論、懸念がありますが、いずれは振り返ってみれば暮らしは過去より良くなりAIが認められる時代もくるのではないかと思うのであります!

 

さてアップル新製品動画炎上の件(多くの楽器を押しつぶして新スマホになるイメージ映像)をみても、日本人不愉快にしないのは難しいですね。

 

破壊的イノベーションとは実際あの様なものです。まだイメージ映像だからよかったでしょう。

 

実際に楽器を使わなくなり処分すればスクラップになる訳ですから。日本人不愉快にせず便利な社会は実現できないのです。

 

なにかネットの日本人は自分自身の心の善を承認してもらおうなやらしさがあり、なにかに対して意見を持とうとしなくてよいのです。善でも悪でもなくてもよいのです。

 

確かに革命なしに衣食住は満たせ、極論としても石器時代の様に洞窟に住んでも、それは私らの生体にはただちに影響をもたらすものはない。アップル製品動画に興奮しているのは暇なだけなのです。

 

確か日本映画「Fukushima50」や「AI崩壊」の最後に出てくる桜ですが、あれは嫌ですね。

 

でも何かやばいコンテンツになりそうだと言う時は桜を登場させると印象操作できてよいかもしれません。桜でイメージをごまかす作戦です。

さてところで日本は古来から自然災害が多かったからセロトニントランスポーターがああなのでなく、ああだったからそう言う気質を持つ日本人なのです。

 

ユダヤ人が自分らの教えを口頭で伝えて記憶していたから頭が良いのでなく、もともと頭が良いからその様な事ができたのです。

 

なぜ各民族が生体的に、その様な特性をもっているのかは科学的には推論でしかありません。さまざまな進化要因が無限にあるので解明不可能です。

 

「そう言われている」だけでありもっと言えば「そう思いたい」だけなのです。

 

人と言う字が人と人が寄り添っているのは「そう思いたい」だけであり、実際に考古学的にも文字と言うのは実際の形を簡略したものが多いから、

 

あの”人”と言う字は人間の脚の部分だと分かるのに人と人が重なっていると言うのはオカルト的に「この場所で遊んでいるとお化けがでる」と言う様な主張側の単なる願いや戒めであるのは明確で、

 

桜の偽装された印象が結果的に人間魚雷の桜花になると言う怖さがあるのです。

 

つまり

 

「人と言う字は人の形であるが、俺からすると二人の人が寄り添っている様に見えるのだが、それとは別に、その様にして人は寄り添う存在であるべきだ」

 

と言う「文字の成り立ち」と「自身の願い」を別にする主張は間違いではありません。

 

ただしそれぞれ別の要素を組み合わせようと言う試みは無理やりでもあり正解でもありません。

 

そして何も桜が自分で死にたい訳でなく桜自体は自分のメリットの為に花びらを早めに散らせてる訳です。もし桜が自ら死を望む植物であれば、すでに絶命しているのです。

この様に、よりいっそう言葉巧みになった日本では思考の罠に陥らない様にしたいものでございます!

 

さて近年、科学技術は目覚ましい進化を遂げており、今後未来、安全保障の分野でも新たな技術的突破口が切り開かれつつあるかもしれません。

 

第二次世界大戦以降、核兵器は国際社会における最大の抑止力とされてきましたが、その一方で核兵器使用の危険性も常に懸念されてきました。

 

しかし、量子技術、AI、ナノテクノロジー、エネルギー兵器、生物工学など、多くの革新的技術が台頭しつつあり、これらが次世代の安全保障を担う可能性があります。

 

核兵器に代わる新たな抑止力の1つとして、量子コンピューティングが挙げられます。

 

量子コンピューターの加速度的な計算能力は、既存の暗号を一瞬で解読し、敵国の軍事システムを無力化する能力を秘めています。

 

さらに、盗聴不可能な量子通信技術と組み合わせることで、安全な軍事通信を実現し、戦略的優位性を大きく変えることができるでしょう。

 

一方で、人工知能(AI)と自律システムの発達も、従来の戦争の形態を一変させるポテンシャルを秘めています。

 

AI制御の無人戦闘機、ドローン、ロボティクス技術はすでに現実のものとなりつつあり、敵の攻撃をリアルタイムで予測し、最適な対応を選択するAIスマート防衛システムも考えられています。

 

さらに、ナノテクノロジーを応用したナノ兵器やナノ防衛技術は、分子レベルでの戦闘や防御を可能にし、戦争の物理的側面をナノスケールへと移行させるかもしれません。

 

エネルギー兵器、EMP(電磁パルス)兵器、生物工学や合成生物学による人間強化技術なども、核の時代を超える次世代の軍事技術となる可能性があります。

 

こうした新技術は、核兵器に比べて瞬時の作用や精密なターゲティングが可能であり、一見すると強力に映るかもしれません。

 

しかし一方で、これらの技術が軍事的に悪用された場合の影響は、核兵器に匹敵するか、それ以上に深刻なものとなるでしょう。

 

そのような危険性を十分に認識し、国際社会全体でこれらの技術の研究開発と利用を適切に管理、規制していく必要があります。新しい時代の脅威に対応するために、より賢明な知恵が求められるでしょう。

 

私たちは、核兵器に始まり、近未来には新しい恐るべき技術に直面するかもしれません。

 

しかしその可能性を恐れるだけでなく、平和で持続可能な方向へとそれらを正しく活用していくための行動をするべきでしょう。

 

科学技術の発展は必然的に進むものです。極めて現実的で避けらないものでしょう。取り組むべきは、その発展を人間の安全保障に役立つ方向へと誘導していくことなのだと思うのであります!



さて人間の脳とAIは、共に情報処理能力において驚異的な力を持っています。

 

しかし、両者のエネルギー効率には大きな違いがあります。人間の脳は、非常に少ないカロリーで複雑なタスクを処理する一方、AIは大量の電力を必要とします。

 

このエネルギー効率の違いは、AIの未来においてどのように影響するのでしょうか?また、人間らしい特性をAIに実装することは可能なのでしょうか?

まず人間の脳のエネルギー効率についてです。

 

人間の脳は、約1.4キログラムの重さで、成人の体重の約2%しか占めていませんが、体全体のエネルギー消費の約20%を使用するとされます。(数値については誤差があります。)

 

それでも、日常的なカロリー消費はわずか400-500キロカロリー程度です。以下は、脳のエネルギー効率の秘密です。

効率的な構造である脳は、高密度の神経細胞とシナプスから成り、情報処理を非常に効率的に行います。ニューロンの複雑なネットワークは、少ないエネルギーで高度な計算を可能にするとされます。

エネルギー消費についてですが、脳は静止時や睡眠時にエネルギー消費を最適化します。特定のタスクが要求されるときのみ、エネルギー消費が増加するとされます。

脳の運動による省エネルギー機構を持つ脳は、必要な情報処理を最小限のエネルギーで行うために、異なる領域を効率的に活性化させると言われています。

そしてAIのエネルギー消費についてです。


対照的に、現代のAIシステムは高い計算能力を持つ一方で、非常に多くの電力を消費します。お金がかかるのです。

 

特に、ディープラーニングモデルのトレーニングには、大規模なデータセンターと莫大な電力が必要です。この違いは、AIの持続可能性やスケーラビリティにおいて重要な課題となると考えらえます。

そしてAIに人間らしさを実装する試みについてはどうでしょうか?


人間の脳の効率的な情報処理能力にインスパイアされて、AIに同様のエネルギー効率を持たせるための研究が進んでいる様ですね。

 

また、AIに痛みやドーパミンのような生物学的メカニズムを模倣することで、人間らしい特性を実装しようとする試みも確認されています。

ここ点について重要な事が二つあります。

「痛みの模倣」


AIに痛みの概念を導入することで、危険な状況を避ける能力を持たせることができるとされます。

 

例えば、ロボットが高温の表面に触れたときに、痛みを模倣した信号を受け取ることで、その行動を修正する仕組みです。

「ドーパミンの模倣」


ドーパミンは、学習や報酬に関連する神経伝達物質です。

 

AIに報酬システムを実装することで、学習プロセスを効率化し、より適応的な行動を取ることができると言われています。

 

強化学習の手法は、ドーパミンの作用を模倣するものであり、AIが報酬信号に基づいて最適な行動を学習することを可能にすると思われます。


「最後に」
 

人間の脳とAIは、比較すると、そのエネルギー効率や機能において大きく異なりますが、双方から学ぶことで、お互いの強みを活かすことができます。

 

AIに人間らしさを持たせることは技術的に挑戦的ですが、それによってAIの能力を引き上げる可能性があります。

 

未来のAIは、人間の脳の効率を模倣し、より少ないエネルギーで高度なタスクを遂行できるようになるかもしれませんね。

 

AIの進化は続いており、その過程で人間の知識や経験を活かすことが重要となりましょう!

 

さて先日ペットの小魚が逝去した訳ですが、人さえもいずれ死を迎えるでしょう。

 

私たちの肉体は、やがて大地に還るのです。

 

しかし、その最期をどのように迎えるかについては、科学的見地とは別に、文化的、精神的な側面があります。

 

例えば、ペットの小さな死骸なら、庭の植木鉢に埋めれば数ヶ月で分解して土に還ります。

 

しかし、人間の遺体が土に埋められた場合、骨は数10年以上残る可能性があります。

 

骨の構造が硬く、埋葬環境によっては極めて長期間にわたって残ることさえあるのです。

 

一方で、火葬すれば遺骨は最終的にはただの灰になり、散骨されれば大気中に散り散りに還っていきます。

 

科学的に見れば、肉体がどのように処理されようとも、結局は同じように自然の循環の中に組み込まれていくのです。

 

それなのに、火葬と土葬、どちらを選ぶかについては、世界各地で伝統や文化、宗教によって大きな違いがあります。

 

アメリカでは火葬が一般的ですが、ヨーロッパでは土葬が主流。一方の韓国では両者が並存しています。

 

このように、遺体の扱い方の選択は、化学最終的には無意味なはずなのに、人々にとっては重要な意味を持っています。

 

科学的には同じ行く末でも、精神的にはその過程が重要視されているのです。

 

遺体を火と煙に変えるのか、大地に還すのか。

 

その最期の形は人それぞれの価値観と尊厳に基づいて決められるべきことなのかもしれません。

 

生きることと死ぬことは一つのものであり、命の終わりを尊厳をもって迎えたい。

 

生きてる間に死を考えるのは嫌ですが、そこに人間らしさがあるのです!

 

(なお近年では不確実ながら未来世界での蘇生技術を期待した永久冷凍保存技術もあるらしいです。)