
私が「ネット」全般を見て感じる、
多くの人々の有りふれた行動パターンや思考パターンというのは、
何かを見ると半ば何も信じていないと言うか
茶化していたりギャグにして終わらせてしまったりということなのです。
これはまるでテレビの視聴者と同じような感じです。
何か真面目に物を考えることが
非常に場の雰囲気を読んでいなくて恥ずかしい
と、顔も見えていないのに思ってしまうことです。
例えば何か、すごいことを見ると
「へーいいなー」で終わらせてしまったり
「結局○○なんだよなあ」みたいな感じで
一時だけ傍観して終わってしまうのです。
しかし私が思うのは、いや、そうではなく
プライベート飛行機を持ってる人も
高級建築物の最上階に住んでいる人も実在しているわけで
それは何も宇宙人ではなく私たちと同じホモサピエンスなわけです。
今この段階で、そういったものは手に入れるというのは
無理な話なわけなんですが、
無理だとしても「これはあり得ないことではない」(つまり自分でもありえる)と
思うことが必要なのですが、
搾取される典型的な労働者というのは
無気力になることを学習しているので
(「学習性無気力」 = 動物が実験で痛みを感じた時に、
オリの中から逃げ出そうとするが、やがてオリの中から逃げ出せないとわかると、
逃げ出すことを辞めて痛みに耐えることを学習する事。)
何かを目撃して感動を覚えても
その対象を継続して追いかけるということはできないのです。
ここで諦めさせることが労働者を使用し
搾取を継続するためのテクニックであるのですから
普通の戦略結果として
多くの人々が対象物を追いかけるのをやめる
というのは普通の行動であると思います。
ですから我々は常に何らかの学習性無気力を備えているのだと実感するのが
何かを変える為の原点となるのではないか思います。
これは私は実際に流れを見ていた事なのですが
例えばネット上でナイスな情報があったとします
それに対して多くの人は「へえ」とか「ああだ」とか
何だとか言ってる訳なんですが
しかし、それまでそういった集団の中の一名が、
悪く言えば欲に駆られたのか、ある時
本当にその情報をパクって自分で行動しだしたのです。
他の者たちは「何だ」とは思ったでしょうが
ネットのことだから誰が誰かかは
わかるわけないのです。
言わばその人は、周りを出し抜いて
自分だけ美味しい思いをしたわけなんですが
私が思うには、その行動は大正解!
批判的で懐疑的な集団の中からは
何も得するものは生まれないので
そういった人間達は出し抜くのが一番です。
例えばこれらのことを例えると
以下のようなことになると思います。
例えば、なんだかんだ批判をしときながら
前澤社長のお年玉に応募した人は正解です。
当たった人は資金の事前計画を書いた人だけだっだ
ということなので当たらなかったと思いますが
欲に駆られて応募したという部分に対しては正解なのです。
そして後は、例えば労働デモに参加していたら
いつのまにかそのメンバーと恋愛に発展してしまって
そのデモ活動も投げ出し活動を辞めてしまったという類も正解です。
疲れて実現しないデモより、恋愛の方が美味しいです。
以上に例えた様な事。
これらは仲間内では「何だ」ということになりますが
そもそも何も生み出さない「低い仲間」の中で
何をやってても得しないから出し抜いた方がいいのです。
そして出し抜いた時の獲得物を原点にして
次のステージへと飛躍すればいいのです。
今、自分の周りの環境や人を見ていて、
「これ、やっぱりおかしいだろ」と思えれば
いずれ自分が出し抜くための行動を起こす次のステージに行く、
あるいは美味しい思いをできるのは
時間の問題かもしれません
つまり、いわゆる典型的な「ネット民」の様な「低い集団」というのは
古今東西、いつでも、いつかは裏切りや抜ける人が必然的にいて終焉を迎え、
それゆえに世の中、現状維持せずに変化と進化をし続けるのです。
お互い同士が駄目な自分から目を背け、
現実避難する為だけにある馬鹿らしい「低い集団」。
それは時間を生きず、戦わず、勇気の無い集団。
よって低い仲間内での裏切りや出し抜き行為は社会の為になるのです!
(もちろん「高い集団」の場合、
これらの行為は許されなく、いずれ自分にとって不利になるのは
説明するまでもございません。)
お読みいただきありがとうございました。江嶋ゆきひろ

