
先日アマゾンで商品を配送してもらう時に「置き配」と言う物を知りました。
商品発送通知メールが来た時に、これにできると言う事で
メールからアドレスをクリックすると商品配達状況から置き配を選べます。
場所もいろいろ選べるので玄関前にしました。
日本の生産性は先進国の中でも下位であり、
凄い凄いと思われていても実は非常に効率の悪い働き方をしていて、
成果よりも病気になる人が多いです。
物が売れなくなった小売店では礼儀を無理矢理売る様になって
過剰な付加サービスが目につき、労働者に苦労を強いて効率性を阻害しています。
しかし日本人顧客は精神的に支えられていたい方が多く
人が苦労する姿を見るのを好むので
こういったサービスを評価する方も多く、
その限りにおいてはこのビジネルモデルは現状存続できています。
そんな中、アマゾンの置き配サービスは大抵の場合においては
購入者と販売者、双方の為になるでしょう。
買った時の「ありがとう」は、すでにメールでアマゾンから送られており
再度、実際の配達員からのありがとうはいらないからです。
それまでの日本の「ビジネスありがとう」は、かなり胡散臭い物でした。
社訓として仕付けられた上での「ありがとう」であり
その労働者の自由意志での「ありがとう」ではなかったからです。
ビジネスありがとうを筆頭とする、社訓としての労働者の行動の数々は
日本全体から見ると生産性を阻害していました。
会社に出てきて定時まで眠った様に過ごし、とりあえず毎月お金をもらえば良い。
そんな風に思っている人達からの「ありがとう」は、あっても無くても同じで
本来は必要なく無駄だからなのです。
会社では死んだ魚の様に大人しくしている労働者が金曜夜の酒場で暴れ出す。
金曜夜の彼らの姿が本当の姿であり、
そんな人々の心に本当の意味での「ありがとう」があるはずが無いからです。
そんな「ありがとう」を発声する事で、数秒も使うのならば無くても良い。
(別にアマゾン配達の方がそういう人と言う訳ではなく)
日本の労働者の性質をマクロで見た時に
株主と経営者から自由を奪われた労働者の、
死に物狂いの魚の目をした様な「ありがとう」なら
私は、その方の為にも、むしろ言わせない、と言う事なのです。
「ありがとう」(を始めとする多くの過剰なサービス業務)をしなければ
やがてクビになり、住宅ローンも支払えず路頭に迷う。
そんな崖っぷちの心から出て来た「ありがとう」は、
ありがとうではなく、「助けて下さい」なのです。
死んだ魚の目をした上では、本当の意味で人から人へ物が伝わった事になりません。
労働的世界観の中で、真心で物が伝わる事はありえないのです。
もしも嘘発見器で、ありがとう発声時の脈拍を調べてみれば、
あるいは音声分析で音声を調べてみれば、すぐにバレるでしょう。
猫の手も借りたい超忙しい労働者が
ありがとうを発声すると言う業務工程が一つでも減り、
一秒でも楽になるのなら私は、それはいらないのです。
その方達の、本当の意味での人間としての
輝いた瞳をした上での「ありがとう」を期待しているからなのです。
さて、そう言った明るい未来は、この日本に訪れるのでしょうか。
お読み頂き、業務的ではなく本当の意味で
一人の人間としてあなたに、ありがとうございました。江嶋ゆきひろ