富士通が1989年に発表した伝説のマルチメディアパソコン「FM TOWNS(エフエムタウンズ)」 と、その専用OSである「Towns OS(タウンズOS)」 。
この日本独自のパソコンOSを御存じでしょうか? 私が最初期に買ったパソコンはこれだったと思います。![]()
一見、日本のレトロPCの歴史に過ぎないように思えるこの「Towns OS」の栄枯盛衰も、実は「日米半導体協定」という地政学的な巨大な渦に、間接的かつ決定的に巻き込まれて消え去った悲劇の物語です。
両者の深い関連性と、日本が「OS(ソフトウェア)の主権」まで失うことになった裏舞台を解説します。
1. Towns OSは「日本のパソコン文化の自立」の象徴だった
1980年代後半〜90年代初頭、日本のパソコン市場は世界でも特殊な「鎖国状態」にありました。
アメリカで主流だったIBM製パソコンは日本語が表示できなかったため、日本ではNECの「PC-98」や、富士通の「FM TOWNS」といった日本独自の規格(アーキテクチャ)と、日本独自のOSが市場を支配していたのです。
特に富士通の「Towns OS」は画期的でした。
アメリカのマイクロソフトが「Windows 95」を発売して世界を驚かせる6年も前(1989年)でも、すでに簡単にマウスでアイコンをクリックして操作する最先端のグラフィカルな画面(GUI)を標準装備していました。
世界初のCD-ROM標準搭載など、当時の日本の技術力の結晶であり、「アメリカに頼らず、日本独自のパソコン生態系を作る」という日本の野心の象徴だったのです。
2. 半導体協定がもたらした「逆襲のインテル」がTownsの土台を崩した
しかし、ここで前回でもお話した「日米半導体協定(1986年)」の影が忍び寄ります。
協定によって日本企業が足止めを食らっている隙に、アメリカ政府に守られたインテルは、超高性能な新型CPU(386や486、のちのPentium)を次々と開発し、圧倒的なパワーを手に入れました!
実は、富士通のFM TOWNSも、頭脳にはインテル製のCPUを使っていました。
インテルのCPUの性能が上がれば上がるほど、皮肉なことに「わざわざ富士通独自のTowns OSを使わなくても、インテルのCPUの上でアメリカ製の『Windows』を動かせば、日本語も十分に高速処理できるようになってしまった」のです。
3. 「黒船」DOS/VとWindows 95による、日本独自OSの完全解体
日米半導体協定で日本のハードウェア(半導体)の勢いを削いだアメリカは、次の段階として「ソフトウェア(OS)による世界統一」を仕掛けてきました。
1990年、IBMが「DOS/V」という技術を発表し、アメリカ製の標準的なパソコンでも、ソフトウェアの力だけで完璧に日本語が表示できるようになりました。
これによって、「日本独自の高価なパソコン(FM TOWNSなど)」を買う理由が、世界中の消費者から一瞬にして失われてしまったのです。
極めつけは1995年の「Windows 95」の爆発的ヒットです。
世界中のパソコンがWindowsで統一される中、富士通もついに独自の「Towns OS」の継続を断念せざるを得なくなりました。![]()
富士通は自ら作ったOSを捨て、アメリカのマイクロソフト(Windows)とインテルの軍門に下る形で、一般的なパソコン(FMVシリーズ)へと舵を切ることになります。![]()
