高市早苗氏は、恐らく「可愛い系」に分類される人物だと思う。
ただ、これを「アイドル的か」と問われると、正直「うーん?」という感じもある。
もっとも、80~90年代という時代背景を考えれば、メイクやファッションの影響も大きく、単純比較は難しい。
一方、蓮舫氏はどうか。
彼女は美人すぎたがゆえに、別の運命を与えられなかったようにも見える。
その結果、強烈でドギツいイメージが定着してしまった。
モデル出身ということもあり、服装や見せ方の完成度は非常に高い。
しかし、あまりに完璧すぎると、市民の感情がそこに追いつかない。
「隙がない」というのは、政治の世界では必ずしも武器にならないのだ。
もしこれが完全な実力主義国家であれば、話は違ったかもしれない。
だが日本はそうではない。
皇族という、すでに“最上位”が決まっている国であり、
どこか精霊的・象徴的な力が政治にも作用する国である。
努力や実力だけで、権力が与えられるわけではない。
その視点で見ると、高市首相誕生という未来像は、
精霊に押し勧められた存在だったのではないか、と思えてくる。
若い頃のバイクに乗る姿。
趣味としてのヘビーメタル、しかもドラマー。
こうしたエピソードは、市民の心をがっちり掴む。
理屈ではなく「物語」として強い。
小池百合子知事も、方向性としては高市氏に近い。
一方、蓮舫氏の「強さ」は、男と同じラインで競う強さかもしれない。
それ自体は立派だが、日本社会においては
キャラクターとしての恵まれ方が違ったのかもしれない。
そう考えると、高市氏にはどこか「魔性」とも言える力がある。
本人の意思を超えて、人々が意味を読み取ってしまう存在感だ。
ただし一点。
もし高市氏のセリフ「働いてまいります」という言葉が本心そのままだとしたら――
AI時代にはアウトだろう。
これから求められるのは、
「頑張る姿勢」ではなく「構造をどう変えるか」だからだっ!!![]()
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