【何なのだ?あれらの顔は?】



 

先日早い朝、自転車でスカイツリー行くまで、いつもの広い道と公園・河川敷コースではなく、普通に駅前の町を通ったら出勤の労働感が凄い訳です。とくにトラックなどの作業車の行き交いが工業的な物を感じさせ、道も狭くて進みにくい。

公園・河川敷コースは景色も同じだし人も少ないし、飽きて来たから・・・と思っていたのですが、賑やかな町ではなく、人が居るからこその労働感(無表情とマスク姿)だけが、胸にダメージ来てしまいました。目的地まで町の方が短いのに長く感じてしまいました。

スカツツリー付近に到着した途端、いつでも観光気分で、のんびり気分になりました。近辺では労働溢れるエリアの中、ほっとするスポットです。実はこの付近でしか「のんびり感」は許されないのかもしれません。

そしてこの出勤の光景・・・。本当に、その精神すり減らしの上での「生産性」はあるのだろうかと。これだけの人数が本当に8時間以上もエネルギーを注いで何かを生み出したのだろうかと。中国アメリカと比較し、どうなのだろうかと。いずれ病気になっても、それもまた医療業界の顧客として彼らを潤すだけなのではないかと。

もしかたら「ゆりかごから墓場まで」自分自分の存在から社会貢献以上の対価を搾取され続けるだけなのではないかと。

実力者が一切の手を抜かずに稼ぎすぎるが故に多くの凡人は、富少なく働かざるを得ないのではないのだろうかと。たしかに実力者が居なければ文明は発展しませんが、今、文明が発展した上での幸せを感じ取れているのだろうかと。本当は、一番の実力者は手を抜いて二番目の者に仕事を与えた方が良いのかもしれません。

「誰もが活躍する時代」を目指している割には、実力者の力が圧倒すぎる時代なのです。

そして実力者も本当に自分の力だけで功績をあげたのだろうかと。その功績に協力した沢山の無名の労働者(そう。今朝、私が見た方々の様な)に名誉と富は差し出されたのだろうかと。しかし労働者は自己の名誉を謳って富を得る事を上手い具合に禁じられているのではないかと。

実力者の作った上手いシステムに乗せられ、多くの労働者は作られた道を歩かないと生きていけません、

例えば今、実力者達のこれまでの成果が無かった事にして、文明退化し30年前と同じに戻っても何も変わらないのであり、文明発展させた上での「精神すり減らし」で幸福度は相殺されるだけではないかと。

そして医療テクノロジーが発展しても、その分、不健康な時代となれば同じです。本来健康であれば医療テクノロジーに興味さえも沸きません。むしろ医療テクノロジーが富を得る為のシステムとなり、その肥大化の為に多くの病人が必要とされ、病人が作り出される。

それにタッグを組んで協力しているのが企業なのではないかと。もしかしたら皆誰もが「サラリーマンを卒業すると病院に入学」のコースなのではないかと。

親は自分の人生しか知らず、その様な生き方しか子供に教えられない為に、次世代もまた同じ様な無表情に駅に歩くだけの人生になります。

しかし、むしろこの「労働」。
「半沢直樹」の様にドラマも存在する領域なので飽きる事なく、何気に「人生を懸命に生きている」風になります。「花の金曜日」なんてのも労働者ならではの言葉です。

だからヨーロッパ等は働かない分だけセンスが良くブランド物が良く売れます。日本の朝の様な風景で暮らす民族がブランド等、生み出せるのだろうかと。

いち早く、この「無表情」が人間の物ではなく人工知能搭載のロボットになるべきだと強く思ったのでございます。

以上、否定も肯定もしませんが、これは既に知られている世の中の姿なのです。