【田原総一朗さんの「聖徳太子知ってる?」&なぜ高い食事?&波長】
こんにちは。
さて前「朝まで生テレビ」のネット動画で見た事があるのですが、とある議論者がキレる様子がありました。(笑)
「聖徳太子 生テレビ」などで検索すると出てくると思います。
どう言った内容だったかと言うと
議論でざわめいている中、話の中で田原総一朗さんがいいました。
田原氏「で、聖徳太子知っている?」
キレた人「ええ。知ってますよ。」
数秒後・・・
キレた人「そんな物、知ってるに決まってるでしょうがっ!!」
田原氏「怒るな。」
田原氏「そう言う風になると、やはり人格破綻と言うものに・・・」
キレた人「人格破綻は君の方だよ!聖徳太子知ってる?、だなんて無礼な質問をして!」
キレた人「じゃあ、イエス・キリスト知ってるか?」
田原氏「うん。」
キレた人「イエス・キリスト知ってるか?って質問されたら、
どうだ?怒るだろう?」
・・・以上、こういった内容だったと思いました。
後から考えてみると、恐らく田原総一郎さんは、話の論点を変えようとして
「さて例えば聖徳太子と言う人がいましたが、聖徳太子の話に論点をおきましょう。」
と言う意味で「で、聖徳太子知っている?」と言う発言を
したと思うのですが、あの「朝まで生テレビ」特有の熱狂感と、
あの田原総一郎さんの、あの、いかにも否定的で「何時でも人に突っ込みを入れて追い詰める様」な淡々とした表情。
あるいは歳をとっているので、そう言った意味での、若者にはない愛想の無い「無表情感」も感じられます。
それから考えると、あの場での「聖徳太子知ってる?」
は、人によっては、さまざまな解釈として捉えられるのであり、キレた人は田原総一郎さんに「小学生でも知っている様な質問をされた」と思い激怒した訳です。
なぜか「聖徳太子」と言うキーワードでキレたと言うことで、
そこに漫才の様な「笑いの性質」が存在し、私は爆笑したのでありますが、
人とのコミュニケーションの伝達力は「言葉」だけでは限界があって、
表情や振る舞い、そしてその場の雰囲気によっても180度変わってくるものなのだと思いました。
それから考えると、その場の雰囲気と言うのも非常に大事だったりします。
さて、話は変わります。
例えば、極端に言えば重要な話をする時に、
汚い部屋と綺麗な部屋では
どちらが友好的に話できるでしょうか?
綺麗な部屋の方が良いのですね。
だから私は、これは決して汚いと言う訳ではないのですが、
モロに下町の裏路地にある様な、本当に飲んだくれの
終わったサラリーマンが居そうな所では飲みません。
昔、池袋の屋内テーマパーク「ナンジャタウン」で「昭和の下町エリア」が良いと書きましたが、
あれはテーマパークの演出として提供されているから
安全で良いのです。
まあ、ネット時代の人は、いかにも昭和的な雰囲気に立ち入る事はないかと思いますが、例えば古い路地裏に開けっ放しのマンホールの穴があったりして、そこに転落したり、上からネズミが落ちてくるかもしれませんよ(笑)
だからお金持ちの人や政治家の人が高級店で食べたりするのを
嫉妬してはならないのです。それは飲食時のセキュリティーの
問題もあるから、高級店で食事しなけばならないのです。
例えば極端な話になりますが、政治家が自由に気軽に
街中の飲み屋に行ったとします。
そして実は、その飲み屋の店長は金に困っていて、
その政治家の対抗勢力の裏組織から金をもらってしまって、
食事に毒を盛ったりして・・・(笑)
これは過激な話になるかもしれませんが、
実際にそういう訳で、権力者や有名人は警備上の理由で
街中を自由に行きかいする事はできないのです。
以前、総理になったばかりの野田氏が、
「私は以前から使っている」と言うことで、
総理になった直後でも1000円カット美容室を
護衛と共に入店しましたが、
「あれはパフォーマンスだ」
「1000円カットでも警備の方が金がかかっている」
と皆に言われました。
さて
あるいは、普通の人でもバリバリの昭和テイスト溢れてて
そして店内の内装も含めてガムテープで止めてあったり、
ネズミが居そうな感じで、日本酒を飲んでいたら
本当にドラマでありがちな「そんな店内で喧嘩になる」
モードに入ってしまうかもしれません。
実際「ろくでもない場所」に「ろくでもない人」が集まり、
「きちんとした場所」に、「きちんとした人」が集まる、
・・・と言うのは「類友の法則」で真実だと思います。
「思考」は世の中に目に見える形となって「出現」します。
ですから、いろいろ訳はあるでしょうが、
極端に言うと土手の河川敷のダンボールの家の数々、
その周りには、「それなり」の「思考」と言うエネルギーが、
存在するのです。
それは、そうなってしまった人達の脳から発せられる波長です。
すべての人には波長がありますから
前述した田原氏とキレた人は、波長が一致しなかったのでしょう。
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人間から脳から発せられるエネルギー波は存在するのです。
これは思念波とでも言ったら良いでしょうか。
脳波が人の脳から発せられるのは科学的な常識ですが、
それを他人の脳が受信するかどうかと言う点については現在不明です。
しかし科学的な調査機で観測できない物であっても、
表情や言動、態度、その場の雰囲気、過去の出来事、
そう言った、あらゆる要素が組み合わせって、
人から人へ、何かしらの波が伝達するのは確かです。
その波、思念波は、やがて目に見える形で、
物々を形作っていくのです。
だから自分自身の思念のあり方について
日々、自分で客観的になりながら、自分で観測しなければ
なりません。
お読み頂きありがとうございました。江嶋ゆきひろ
