こんにちは。
確か6月8日頃の投稿で3ヶ月ぐらいゲーム制作から離れるというようなことを書いたんですが、もうそろそろ9月になってしまうのですが、まだまだゲーム制作をする気持ちが起きません。 今は自分でゲームを作るよりもゲームをやったり映画を見たり小説を見たりというようなことをしていますね。活動内容ということではアウトプットよりインプットの作業してるというような感じです。
腰椎分離すべり症からくる腰の痛みもちょっと治ってきましたので、もうそろそろ本格復帰ができるとは思いますが、2017年は自分の体の悪い所全部直そうと思っていますので、少し時間を取ってでも良い機会なので休みたいと思っています。私の最近の写真で河川敷の写真しかないんですけども、それは私がリハビリの途中でウォーキングをしてるからなんですね。 一時期はもう本格的に歩けなくなる状態がずっと続くのかと思うほどでしたけれども、まあ治ってきてるというのはわかったん安心しました。
腰にかかる負担を減らすために体重3キロぐらいで減らすのやろうと思っているんですけれども、なかなかちょっと減らないので頑張ろうと思いますけれども、いかに日頃人間の腰には大きな力がかかってるんだなってるのが分かりましたね。だから3キロでも全然変わると思うんですけれども。
後、遊んでる時にも色々 sns を意識して写真とか取ったるすると遊びに集中できなくなるので、あんまり sns とかブログに、のめり込むのも辞めようかと思ってるんですけれども 、ただ、まー、インターネットに登場しなければ誰も私のことを知らないということになってしまいますので、くだらない文章でも、こうやって投稿できればいいと思います。
精神年齢的には25歳ぐらいだと嘘ぶいているんですけれども、さすがちょっと40を過ぎると体の消耗品になってる部分の劣化が始まるっていうのは自分自身で実感するようになりましたね。これはもう気合いではどうしようもならないですね。腰椎が、ずれることによって神経が触れることによって痛いですから、関節の痛みとか筋肉痛の痛みだったらいいんですけども(しかしこれらは私は体験してないので分かりません)脊髄からくる神経の痛みとかなると、どうしようもないですねこれは。
人間っていうのは脊椎動物ですから脊椎が駄目になったら駄目ですね。昔の日本人的に考えれば、気合いで頑張れ、と言うことになるんですけども、体のメカニズムから考えて無理なわけですからね。そういった意味で最近は、インターネットで素人でも色々、医学的な知識が身につけられるようになったので良かったと思います。
本当は年寄りじみた話はしたくはなくって、昔、お年寄りと言うのは病気自慢ばっかりしてるんだなと思ったんですけども、少し気持ちが分かってくるようになりました。この間、耳鼻科で待っていたんですけども、突然、待機室で、おじいちゃんが倒れてですね。そのまま患者が待機する廊下のベンチに寝っ転がって、点滴を受けてましたけれども、私もあと何十年も経てば、、、いや20年も経てば、体の言うことが聞けなくなるんだなっていうの思いましたね。
だからこれは、また後の記事で書こうと思ったんですけども「人類のオフェンスとして人工知能。人類のディフェンスとして再生医療などの最新医療」が求められます。人工知能は人間が発明する最後の物になると思いますけれども、それによって技術的特異点を早く迎えてですね、あらゆる分野のテクノロジーが進化すれば良いと思うんですけども、早くも「人工知能が人間に反逆するんじゃないか」みたいなもんが起きていますけれども、そんなのはあまりにも早すぎるんであって、別に人工知能が人類を滅亡させてもいいんじゃないかと思いますね。そこまで人工知能を進化させることができるんだったら行ってみてくださいと。早く。笑
今まで人間が生きてきて、色んなことがあって来たんで、もういいんじゃないかと。
自然を大事にするんだったら人間が、いなくなったっていいんだから、別に人工知能が反逆したっていいじゃないですか、と言うことですね。
ロボット三原則と言うのがありまして、これsf のの世界なんですけれども。
この三原則によって人間は絶対にロボットに守られると言うのですけれども、まず人工知能が三原則をどうやって破るかというレベルに来たところで、そう言ったことを考えればいいんであって、なにゆえ今から人工知能が人間の邪魔をするみたいなことを言うのかな、と思いますので、そんなに原始時代に戻りたいのかな、っていう。。。なんか島と海があって、そこで遊んでるのが幸せ、みたいなイメージありますけども、それホームレスと一緒ですからね。
ま、お金に余裕があるからこそ、そういう場所にいるのが幸せって言うんですけれども、でもそれ全然、機械的じゃないし、未来的じゃないし、全然面白くなさそうじゃないですか。
でも、そういうイメージを好む人って、あんまり人工知能、好きじゃないと思うんですよ。例えば原子力発電所を、なくそうって言うのもそうですね。本当に地球の環境が、どうなっているのか、それは分からないんであって、それだったら一番わかりやすい人工知能を、早く作ってですね、今、人間の中で起こっているあらゆる悲しみをなくした方がもういいんじゃないかと。人間世界を終結させた方がいいんじゃないかと。
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人工知能が反発してみたいになる、って言いますけども、面白いじゃないかと。是非やってやろうじゃないかと。人工知能と戦ったって良いじゃないですか。
すぐ新しい産業が起こると、それまで古い産業だった物は侵食されるだとか、絶滅させられるとかって言うんですよ。なくなるものに注目するんじゃなくて、新しく生まれた方のものに注目すれば良いのに、そうなるとシャッター商店街は可哀想だって言うことに、いつまでもなっちゃいますね。
人間なんか誰でも罪を犯しているんであって、可哀想だと思われる人が果たして、今までやってきた中で100%正しく生きてきたのか、ということです。少し話は違うかもしれませんが芥川龍之介の羅生門っていう小説ありますよね。お金が全くなくて困ってる下人が羅生門の建物中に入ったらお婆さんが若い女性の死体から髪の毛を取って盗んでるんですね。
これに怒った下人が、おばあさんに言うんですけども、おばあさんは「この死んでる女性は生きてる時に蛇の肉を魚だと言って売っていたから私が髪の毛を盗んでも何も言わんだろう」というようなことを言ったわけですね。それだったら、と言う事で、下人は婆さんから服を剥ぎ取って盗んだわけです。
私はこの小説のことを昔ブログで書いたことあったんですが、結局この小説は最後、下人の行方は、どうなったのか分かんないって言う結末なんですけども、どうやらそれの修正をする前のものがあったらしくて、それでは結末では、下人は、そのまま泥棒になるって言うものだったんですけども(下人は盗みを働きに町に向かった。。。)やっぱ、そうだったのかなと。。。
結局、人間というのは、自分では、正しい正しい、と思っていても、人から見れば、どういう風に思われているのかなんてわからなくて、罪というものは必ず犯してると思うんですよ。だから世の中に可哀想な人がいるとか言っても、本当にその人は正当な生き方をして、その結果そうなってるのかって言うと、それはちょっと怪しいですね。
一つの場面だけ見て、ところ構わず可哀想だからとか言って、人間のテクノロジー進化を阻害してはいけないんですね。
テレビなんか、いくらでも編集ができますので、可哀想だと思う風に編集することも出来ますし、音楽の選曲によっても、どのようにでもイメージ操作できるわけです。
ヤフーの知恵袋で記事があったんですけども、「家の女房が、すごいテレビっ子でテレビの前で喜怒哀楽が、すごくって、感動した後、テレビの前で爆笑しては、その次では涙を流しまくるとか、、、何もやる気がなくなって、すぐ寝ちゃう」っていう相談があったんですけど、まさにそういう様な人は、少し注意ですね。
とても自由が与えられてるとは思えないのです。 日本の外側に行けば反日思想いくらだってあるんであって、そういった意味でも私たち日本人が本当に客観的を受け取っているのかというのもかなり怪しいです。nhk でも客観的とは言えません。あくまでもnhk は nhk という視点で、ものを語ってるだけです。
こういったマクロ的なものを具体的に映像化して考えてみますと、「日本列島に住む人間たちが、一家に一台、洗脳箱「テレビ」というもので笑ったり泣きじゃくってるしている。それで毎日過ごしているっていう物凄い「滑稽で馬鹿げたイメージ映像」が頭の中に浮かび上がります。毎日の駅前、多くの行き交う人々。。。それは確かに一人一人の人生をミクロ的に見てみれば、色々な事があるでしょう。しかし矢沢永吉の歌「アリよ、さらば」のような怒りが私の中にあります。笑
私はこの曲は、いかにも簡単なロックンローラーが、簡単に世の中を批判してるみたいな、幼稚な歌だと思ってたんですけども、(それは長渕剛にも言える)もしかしたら、これが一番シンプルでは本質を突いているんじゃないかと最近思うようになりました。(でも結局、矢沢永吉もテレビじゃないかと、いう矛盾も生じてきますが)
そういう意味で日ごろ私は、為替でもって、巨大な見えない「何か」を倒してやろうと思っているわけです。
以上、読み頂き誠に有難うございました。江嶋ゆきひろ